天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句は向こう三軒両隣

2017-03-21 03:55:47 | 俳句


きのうの讀賣新聞の俳句欄、

積み肥の天地返しや春隣 天地わたる
の近くに、
春の水一円玉を浮かせゐる 薄井逸走
があってひどくなつかしい気分になった。

このモチーフはぼくが俳句を創めた37歳のころノートに書いていたものである。下五を「浮かせけり」にしたか「浮かせたる」にしたかおぼろだがノートに書きつけただけで発表していない。
俳句をはじめたばかりでできた句がどのくらいいいのかもわからなかった。
「秋の水」「冬の水」が季語にあることは知っていてこれらより「春の水」に浮く一円玉がいいとは思った。水の表面張力を一番感じ取る素材は一円玉である。薄井さんの気持ちが手に取るようにわかる。

ぼくの句のモチーフもほかの人がかなりやっているだろう。
ある句会で「天」という題が出て「天地返し」でいけるなと思った。農家に生れ野良でこの作業はよくやった。ぬるぬるした堆肥に素手で触ると手がつるつるに潤う。隠れた美容法である。
句はできたが堆肥の積み替えは去年の鷹中央例会に出たことを思い出した。この句と表現も季語も違っているからいいのだが鷹に出しにくくて讀賣新聞の世話になった。

俳句を長くやっていると素材も表現も繰り返しているようなところがある。締め切った部屋で扇風機をまわしているみたいで同じぬるい空気がまわってくるような感じ。
句はそう考えずにできるのだがいつも自分の句に既視感を抱く。誰かがやった句ではないかと疑う。
俳句が五七五という短いものゆえ誰かの句に似てしまうことは避けられない。
それを恐れ人の選を受けたりする。
ぼくよりもっとたくさん句をみている偉い先生にみてもらいたくなる。

人はみな似たようなことを考えているのだと俳句を通じて痛感している。それでも人は表現欲求があって句を作っては発表する。
発表する場があることが大事である。新聞や雑誌といった広い媒体でなくても市井の句会でいい。
出した句をきちんと読む人がいてくれて句は市民権を得るのではないか。
だから句会では一生懸命人の句を読む。

俳句は向こう三軒両隣、という気がする。
朝、顔を合わせたらおはようございますという。人の世にあいさつが必須のように出た俳句にあいさつすることが大事である。
自分の心を打たない句でも、どの辺に問題があるか言ってやりたい。

皆似たようなモチーフを手を替え品を替え新しく見せようとする。自分らしく見せようとする。いじましくほほえましい。
俳句は向こう三軒両隣、なにか言葉をかけてやることで元気になる世界である。
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