鷹誌の中にも「Ⅰ・Ⅱ句欄から」というコラムがある。
同人が毎月20句を取り上げて短評を書いている。初心者へのエールという意味合いがあり、同人も大勢ここに混じっているがそれは取り上げないというルールがあったと記憶する。
小生はそういう配慮はしない。面倒である。
新松子裏の新婚子を成せり 寺島きしを
裏がにぎやかになった。若い嫁さんの声だけではないらしい。「裏の新婚子を成せり」という突き放した言い方に作者の年齢と隣への興味のありかたが端的に出ていて、おもしろい。
一献の始め枡酒菊膾 髙松遊絲
はじめから枡酒とは驚いた。あとは何を飲むのか。豪勢でいい。
小一時間かしたる耳や石蕗の花 吉野 朋
聞き上手というか思いやりのあるのか。上五中七はこの作者ならではの表現。かなり皮肉もあるので季語はそれを支援するもののほうがいいのかも。
相槌の笑ひあいまい衣被 伏見ひろし
日本人特有の他人との関係。話の内容にそうは納得していないことが見てとれておもしろい。
くつさめや試着室より首の出て 山﨑真中
首を出したのは奥さんか。妻に付きあわされている手持ちぶさたの夫という感じ。
星組のラインダンスの爽気かな 桜井美季
単純明快で気持ちいい句。美脚がそろってまさに爽気。
連弾の腕の交差や日脚伸ぶ 大久保朱鷺
連弾の句は俳句にそうとう詠まれているが「腕の交差」はあまり見ない。作者の目が利いていていい。
澄む秋や眠れる母の爪を切り 木村ジャスミン
眠っている隙に爪を切る母とは…そうせざるをえぬ事情があるのか、考えさせる内容。奥行を楽しめる句である。
手に檸檬洋上に風吹き渡る 小山博子
作者はたぶん船旅をしていて海を眺めている。それを巧みにまとめている。「洋上を風吹き渡る」のほうが広がりが出るのでは。てにをはは、むつかしい。
あきざくら優等生が泣いてゐる 井上宰子
映画の一シーンみたい。できのいい子が泣くのが風情ある。季語がコスモスであるし。
マフラ巻き思ひ上がりを戒める 飯島美智子
まじめな作者である。マフラーは華やぎがあり気分が高揚するものという認識ゆえおもしろみが出た。
議論白熱総理の胸の赤い羽根 鎌田ひとみ
このシーンは国会中継で見ましたね。舌鋒鋭い首相の胸の赤い羽根が静かだったのが印象的。
満月や輸血パックの血のしづく 井上陽子
満月を配したことで血の色が黒みを帯びた赤であることが強調される。ぞっとする感じと迫力が申し分ない。
疼く膝忘れ花野に眠りたし 斎藤芳枝
花野まで歩いてきて膝が痛むのかもしれない。眠りたしは埋めてほしいということでありたしかに花野は死へのファンタジーを誘う場所。
高々と舞ひ上りたる落葉かな 白根田舟
落葉ゆえ「舞ひ上りたる」が効く。最終的には落ちるのだがこういった何秒かがありそれを見逃さないのが俳句魂というところ。
萩の寺砂利踏む音と雨音と 晶阿弥ひろこ
二つの音があいまってまさに秋をしみじみ感じさせてくれる。萩の寺という舞台もいい。
真直ぐに進む参道秋深し 石木戸雅江
この句の秋の深まりもいい。なんでもないことに思える「真直ぐに進む」という人の行為が秋の深さを惹起する。こういうとき俳句はおもしろい詩と思う。
赤んぼの爪もう伸びて小鳥来る 宮本準子
配合の句なのだが激突させていずゆるやか。そういう内容なのだ。赤んぼの爪が伸びたことと小鳥が来ることとの間に何の因果関係もないが引き合うものがある。
榛名湖へ真つ逆さまや紅葉山 林 俊子
はじめ何が「真つ逆さま」なのかと思う。これは逆さ富士という言葉があるように湖面に映った山のことであろう。あのへんの山は急だから湖面の紅葉も冴えるのだろう。「映る」と言わなかったことでおもしろくなった。
消防士並ぶ葬や金木犀 神武雄代
制服を着た消防士が並んでいる葬式。団員が殉職したのか自然死かは知らないがはっとする。こういう場合、季語を別なものにすることでもっとそのへんの事情を明らかにできそう。
篝火や白面の巫女月に舞ふ 柴崎芙美子
義経が惚れた静御前をイメージする。白拍子である。作者の住む秩父の山間に行きたくなる。
ふらここや母より空へまた母へ 市毛佳子
今回取り上げた句の中でもっとも難解の句。いろいろ解釈に悩んだ挙句、ぶらんこを漕いでいる子を母が見守っている場面と考えた。地上の母と宙を行き来するぶらんこであろう。中七下五が謎めいていて楽しめた。
色白の肌に生まれてしぐれけり 加藤又三郎
時雨という季題からみて不思議な内容である。作者は名前から見て男性。男性として肌が白すぎることにいい感情を持っていないのか。白いので弱く思われるとか。時雨をつけたのは大胆である。
黒猫の寺門出てきし石蕗の花 多田芳子
黒猫でなにか霊力のありそうな寺を思う。石蕗の花との色の合わせ方も味がある。
鈴虫に餌をやる夜のガードマン 高橋正弘
このガードマンは独り者で年も取っていそう。寂しい、悲しいを言わないのが俳句の要諦ということの教科書のような一句。
逸る子を肩ぐるまして里祭 一木みつるこ
子を肩車するという句はいっぱい作られているだろうが、「逸る子を」といったことで新しさが加味された。俳句はこうして1ミリ2ミリと変えて行くものだろう。
月光の音なき大地パオ泛ぶ 志村芙美子
モンゴルを旅したのだろう。静かで広大な大地とぽつんぽつんとある白っぽいテント状の家屋が絵画のごとし。
苔厚き蝦夷の墓や霧襖 本多伸也
これも旅情がある。ていねいに手堅く詠んでいるのがいい。「霧襖」は伝統的な凝った季語だがこの場面で使って当を得ている。
(来年につづく)