天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳人の行くべき本屋「弔堂」

2017-02-22 06:35:38 | 


京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』(集英社/2016)を読んだ。同じ著者の『書楼弔堂 破暁』に続く第2弾である。

読書家ao-nekoさんが本書の魅力を手際よく述べる。
「シリーズ二作目。ありとあらゆる書物の集まる「書楼弔堂」を舞台に繰り広げられる物語。実在の偉人が数々登場するのが読みどころです。そしてやはり、本好きとしてはこの設定だけでわくわくさせられます。
哲学的とも思える考察が語られるのもまた魅力の一つ。「常世」での幽霊に関する議論には目からウロコでした。なるほど、そういうことかあ。
全編通して登場する松岡がいったい何者なのかが気になっていましたが。うわ、あの人だったんだ! とラストで驚愕。」


京極さんは本の世界の淀川長治といった存在。映画解説の淀川さんはどの映画もさもおもしろそうに述べることで映画界に奉仕した印象がある。
京極さんも同じように、おもしろくない本はない、と常にいう。このあたりが淀川さんふうで本の世界の宣伝マンという印象。本の文化にえらく貢献していると思うのである。

弔堂の主人はむかし僧侶で還俗した人という設定ですこぶる博識。
つまり京極さんが博識なのだが、それを利して明治時代の政界、言論界等の大物相手にその人の悩みをじっくり聞きつつ、その人がいま一番読むべき一冊を提案する。弔堂はそういう本屋さんである。
弔堂の薦める一冊が明治時代の登場する各人の後の人生をひらく一書になった、という展開に興奮する。

わがはいが本書をあえて「俳人の行くべき本屋」などと紹介するのは、随所に言葉の本質に触れた箇所がありそれらはすこぶる洞察力に満ちているからである。
たとえば、言葉は呪術であり文字は言葉を封じ込める記号であるという。
「科学論文も短歌俳句も経典も、新体詩も新聞記事も小説も――全て呪文です」
などという切り口にうっとりするではないか。
俳句や短歌の解説書で写生がああだこうだという記述はよく目にする。しかし方法論ばかりをうんぬんしても浅い。
言葉を論じて俳壇歌壇に京極さんほどの深みを持つ人がいないように思うのである。

この本だけでなく京極さんが自分の著作の随所で展開する言葉についての論考は俳人におおいに参考になる。
水を通すための施設としてU字管がある。これを空間におくだけでは弱い。U字管は両側に土があることで強度を得て盤石となる。

たとえば俳句をやる人が言葉の重要性、写生の大切さを学ぼうとして俳句解説書を読むのは空間のU字管を認識するようなもの。
京極さんの言葉についての造詣の深さはU字管を支える土の厚みなのである。
そのような印象をわがはいは京極先生に感じているゆえ、「俳人の行くべき本屋」といって憚らないのである。
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