天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

『最果てのアーケード』に見る俳句マインド

2015-09-26 04:13:59 | 
小川洋子『最果てのアーケード』(講談社/2012)は、俳句を扱っているわけではないがきわめて俳句的な小説である。


本書の内容についてわかみさんは「読書メーター」で以下のような感想を述べている。
「ゆっくりゆっくり時が刻まれる最果てアーケード。わけありのお客さんや店主たちが登場するけれど、余計な雑音のないひっそりとした不思議な世界が広がり、そこには様々な記憶が詰め込まれている。アーケードの奥にある読書休憩室が好きで、近所にあったら入り浸るなぁ…と思う。ステンドグラス調の屋根からこぼれる日差しの色彩がとっても素敵に表現されていた。人の死が、非常に淡々と、そして胸に深く残る描かれ方をしている作品だと思う。」
なにも付け加えなくていいみごとな要約である。

本書は10の掌編の寄せ木細工のような構成であり、ぼくは特に「百科事典少女」に感銘を受けた。
私は「小公女」や「青い鳥」などフィクションが好きな少女だがRちゃんはそんな嘘がどうして好きかという。Rちゃんは百科事典を「あ」から「ん」に向けて読むことに熱中している。それもノートに一字一句違えないように筆写しつつ…。
この辺からしてすごい無常感があり、Rちゃんは道なかばで突然死んでしまうのは虚しさの極致。
するとその父がやってきて同じ作業をたんたんと続け、最後「ん」に至る。
国語辞書に「ん」から始まる言葉はないはずだが百科事典にはある、つまり物としてあるということに希望を託す。この感覚がきわめて俳句的であり、さらに小川がポプラ社の総合百科事典から以下のように引用して物に終始する姿勢が俳句の極みといえる。

「ンゴマ 南アフリカ共和国の北東部にあるトランスバールの民族楽器。この地方に住むベンダ族が用いる大型の楽器で、木でつくられたつぼの形の胴の上面に革がはられている。地面におき、1本のばちで革をたたいて音を出すが、ふつう奏者は女性である。合奏のときは、ミルンバといゆばれる高温用の太鼓とともに用いられる。」


長き夜の「ん」から始まる言葉かな
「ん」というのは不可思議な音感である。
『最果てのアーケード』に出てくる絵葉書、徽章、義眼、バネ、レース、端切、ドアノブ、ステンドグラス、人形…といった物たちがぼくに「俳句にしてちょうだい」といっているかのようである。
また新聞やテレビには取り上げられることのない地味な人たちがいきいきしていて俳句へインスピレーションをくれる。

郵便を仕分くる寮母小鳥来る
地味に自分の人生を全うしている人物が好ましく登場する。小川には言葉を発するに不自由で小鳥とコミュニケーションできるおじさんを書いた『ことり』という逸品もある。

本書を原作として有永イネが漫画という二次作品を創っているがそれは小川の書く物が漫画家の創作意欲を駆り立てたのだろう。
小川:最初から今回は人物よりも先に場所を描きたいというのがまずありました。なにかしらのモノを売る小さな店が寄り集まっていて、それを必要とする人が時々現れては買い物していく、決して繁盛しているわけではない小さなアーケード。
小川:なぜ私が輪郭を求めるかというと、結局は区切られた狭い場所にずんずん入り込むほど広い世界に行けるのではないのかってことなんです。
有永:小川さんの作品を初めて読んだ時、すごくモノに対して真摯で、モノと一体化できる作家さんなんだなと思い衝撃を受けたんです。


小川がいう「結局は区切られた狭い場所にずんずん入り込むほど広い世界に行けるのではないのか」がまさに俳句の論理である。
俳句は広い世界に行くためにドアを開ける。そのドアが季語なのである。
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