天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

弔堂が呼び出す湘子、晴子

2017-02-23 16:18:47 | 身辺雑記


京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』は終盤、生死に関するアフォリズムが冴える。
目についたものを拾うと、

「繰り返しまする。死後の世界は、生きている者の中にしかございません。今、生きている私達が、生きていくために生み出すものなのでございます」

「戻らぬ者を戻そう、戻って欲しいと願うから、幽霊は出る」

「人は、死ねばそれまで。そして二度と生き返りはしません。しかし、あの世が生者の中にある以上、幽霊はいつだって――逢えるのでございます」

「生きている者の心こそがあの世。人が生きている限り、あの世は常に、この世にありまする。ならば、この世こそが」
常世でございます。


説得力がある。京極さんはアフォリズムの本来持つ説教臭さを弔堂の喋りとして使い鼻につかないよう処理する。
生死、幽霊に関するくだりを読んでいてなぜか、亡き藤田湘子や飯島晴子の生前のあれこれをいきいきと思い出した。

藤田湘子について。
先生の思い出はあまたあるのだが、指導句会の終った戸塚駅ホームで一シーンを思い出した。
指導句会が終りホームで確か玄彦さんと先生のことを話していた。
話のなかで「莫迦がつくくらい指導が熱心」みたいなことを言っていたように思う。三橋敏雄が湘子のことを「教え魔」と称して呆れいたという。そういうことを含め先生のことを熱く語っていた……と、後ろに先生の影がありぎょっとした。
よもや先生は「莫迦」しか、耳に入らなかったのではとわれわれは黙りこくったが、先生は表情を変えず景色を眺めておられた。
「先生、いまの話聞いてました?」ともお伺いできずぼくらは静かにしていた。

飯島晴子について。
彼女はぼくが鷹に入ったころ先生を支える№2であった。鷹の凡百を鍛えようと晴子さんは東京西支部句会を担当していた。
出した句でダメな句についても晴子さんは「これはどういう気持ちでお書きになったのですか」とまるで皇后が被災地の方々を慰問するような優しい言葉かけをなさったものだ。
ぼくはそれが晴子さん本来の姿ではないと感じ、憐れでしかたなかった。
晴子さんはダメな句は切って捨てるほうが似合う。孤高の俳人であり指導など嫌いなのだ。
その優しい言葉かけにぼくは「ダメな句は何も聞かずに捨ててください」といったところえらく怒った。
それは予想していた。
そのとき晴子さんは何といって怒ったかをまるで覚えていない。
それが残念でならない……。記憶していたらぼくの財産になっていただろう。

死者のことをかくもいきいき思い出させる契機になったことでも『書楼弔堂 炎昼』は優れた本だと思うのである。死者を身近に引き寄せてくれる本である
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1 コメント

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Unknown (まな)
2021-09-17 15:55:01
いつもブログ勉強させて頂いております。
飯島晴子さんの俳句に魅了されているものです。
飯島晴子さんの思い出など、また何かありましたら教えて頂ければ幸いです。

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