天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

カジノ法案と刀の銹

2016-12-13 12:30:01 | 世相

カジノの街マカオ


通称「カジノ解禁法案」が成立するとか。
讀賣新聞は本日一面の「編集手帳」でそのことに批判ぎみの見解を示している。
経営上の妙味がどれほどあろうとも、カジノは人の不幸と不運を養分にして咲く徒花である。日本経済の定評であった優秀の「秀」の字が悲しい金まみれ、「銹」に変る。見るに忍びない。
このように記事を締めくくっている。

カジノのことはしくみも金の流れもよく知らない。
金持ちが金を蕩尽する、あるいはぼろ儲けするものと理解しているので「カジノは人の不幸と不運を養分にして咲く」というのはやや疑問。貧乏人のぼくは養分がなくはなから行かないので。
それよりこの文章における「秀」から「銹」へ展開したレトリックのうまさに感心した。

「銹」ということで刀の銹を思い、ゆうべ見たテレビ映画「子連れ狼」の拝一刀の10秒足らずで10人ほどめった斬りにした太刀筋がよみがえった。
ゆうべ大五郎は風邪で高熱を発した。蜜柑を食いたいという息子のたっての要望を叶えんと父が馬を駆る。貧乏な村の百姓家の物置のようなところで大五郎を養生をさせるのだが、実は拝一刀は大金持ちではないのか。
一仕事五百両をしょっちゅうこなしているから手押し車の中は小判ざくざくで大五郎の乗るスペースがないのではないか。蜜柑など夏でも取寄せられる財力を持っていて百姓に五両もやれば蜜柑探しに奔走してくれるだろう。
選りにも選って寒村など旅しなくても京都で金を使って高級旅籠に泊ればいいし美女の接待も存分に受けられる身の上である。むろん息子に医者もあてがうことができる。
当時カジノがあれば拝一刀は上客ではなかろうか。
経済という視点でこの時代劇をみるとリアリティの欠如は目を覆うばかり……。

カジノにまつわる金はカジノを運営する胴元にほとんど入るのか。その周辺の商業や街をどのくらい潤すのだろうか。
カジノを知らないのでとりあえず博打と考える。
府中市には東京競馬場という博打場がある。胴元が手数料25%を取る暴利の営業をしている。国と日本競馬会がつるんでいるのである。
そのせいかどうか競馬場が存在して府中の街が潤っているとは思えない。
客は金のほとんどを胴元に使い、残りを飲食等の店に使う。あとは交通費か。カジノもその中でお金が動くことがほとんどならば街全体が活性化するのだろうか。
金が動くことじたいが景気がいいと思うのは幻想ではなかろうか。

拝一刀のように金をしこたま儲けて使わない貧乏暮しは行きすぎだが、金さえ動けば経済が発展するとか、金が動けば豊かになる、というのも幻想ではなかろうか。
「編集手帳」のカジノに対する危惧は妥当のような気がする。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« オレンジ、ピンク、緑の晩年 | トップ | 乃南アサの書く究極の片恋 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。