とうにクリスマスを過ぎて

クリスマスがもう終わった〜っと思った瞬間に思いついたタイトルです。
他意はありません。年末にはタイトル変更か?

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死だけは平等だ

2017-05-04 13:32:58 | 日記
「人間は生まれながらにして平等だ」と言われることがあります。その意図する理念には同意できるとしても、しかし、すべての人々が平等に生まれついているとはとても言えない。才能、容貌、貧富、家庭環境どれをとっても平等というにはほど遠い。さらにどの国の、どのような状況に生まれたかも、その人間の一生を決定的に左右する。
私たちはこの70年間、武器によって殺したり殺されたりする危険をもたずに過ごしてきましたが、それはもとより保証されていたことでもなんでもない。いま中東をはじめとしてテロや戦争が続いている国に生まれれば、たちまちその生の初めから生命の危機にさらされ、幼い命が当然のように傷つけられたり葬られたりしているのが、世界の現実でしょう。
日本のこの状態がむしろ稀有なことなのだとして、だからこそこの平和な状態を変えてはならないのだと心しておかなければならない。同じ人間として生まれながら、たまたまそのような危険地帯に生まれたばかりに、幼い頃より命の危険にさらされている子供たちに対する、それが一つの責任の取り方でもあると思うのです。
しかし、もともと不平等な人間という存在が、それでもなんとか生きていけるのは、生の根本のところで、平等を保障されているからかもしれません。それは〈死〉であります。〈死〉だけは、どんな金持ちでも、どんな有名人でも、誰にも平等にやってくる。己の死だけはいつか己自身が引き受けなければならない〈絶対〉なのです。

永田和宏著 『人生の節目で読んでほしい短歌』の「死を見つめてーついにゆく道とはかねて」章の冒頭部分の文章です。
死だけは平等に訪れるのだけれども、幼い頃から命の危険にさらされる環境は、あくまでも「人為」によってもたらされたものであって取り除かなければならない。そのために、本当はなくともよかったかもしれない経験をわれわれは積んできたのだ。経験によって得た貴重な知恵が、しかしながら、今ないがしろにされようとしている。
章立ての必要とは関係なく、永田和宏の憤りが込められています。
昨日の一連のニュースを見るにつけ、永田の憤りが反時代的ととらえられる現状を、心底おそろしいと思います。
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