とうにクリスマスを過ぎて

クリスマスがもう終わった〜っと思った瞬間に思いついたタイトルです。
他意はありません。年末にはタイトル変更か?

身に水流の音ひびくなり

2017-04-16 09:58:08 | 日記
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

馬場あき子 『桜花伝承』

花は毎年違うことなく咲きみちるのであるが、しかし、この季節のめぐり、その円環時間には、一方で、行って帰らぬ直線的な時間の流れが交差する。次の花の季節には、直線的時間の住人であるわれわれ人間は、一年分だけ歳をとっているのである。私はこれを直線と円とが織りなす螺旋時間と呼んでいる。来年の桜は、まちがいなく螺旋の一つのピッチ分だけずれた花の季なのである。
馬場あき子も、これから繰りかえし桜の花を見ながら、「幾春かけて」己れの身は老いていくのだろうとしみじみ思う。身の真央(まなか)を流れる「水流の音」は、また時の流れの音でもあろうか。
永田和宏『現代秀歌』

永田和宏の文章のうっとりするような滑らかさ、そして的確さ。何度も何度も読み返してしまう。そのたびに溜息が出る。身体の中にとうとうと水流の音が聞こえてくるようにも感じる。

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