三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野市にたいする抗議・要請 2016年11月27日 

2017年01月26日 | 紀州鉱山
 きのう(1月25日)、紀州鉱山の真実を明らかにする会と第9回追悼集会参加者一同は、河上敢二熊野市市長と倉本勝也熊野市教育長に、抗議と要請の文書を送りました。文書の日付けは、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する昨年の9回目の追悼集会の日である2016年11月27日です。抗議・要請文の全文はつぎのとおりです。
 
                    紀州鉱山の真実を明らかにする会

■抗議・要請■
 わたしたちは、2010年3月に追悼碑を建立し、毎年11月に碑の前に集まって追悼集会を開催して9回目を迎えました。これまでと同様、今回も千葉、東京、小樽、京都、奈良、兵庫など各地から参加して、紀州鉱山に拉致され過酷な労働を強いられた後、故郷に戻ることなくその生を断たれた朝鮮人を追悼する集会を開催しました。
 昨年の追悼集会の直前には、三重県に住む朝鮮人の協力により、亀山から運んだ巨石に「朝鮮人追悼碑」と刻んだ新しい石碑を建立しました。土地の中央に建てられた追悼碑、および犠牲者ひとりひとりの名前を刻んだ石碑に加えて、道路に向かったこの新しい大きな石碑が道行く人に紀州鉱山における朝鮮人強制連行の歴史を訴えています。この土地が日本の過去の植民地支配と侵略戦争の犠牲となった朝鮮人を追悼するという公的な場であり、そのような場として年々整備が進められていることをここからしっかりと確認することができます。
 昨年も、今年も、追悼集会には雨が降りましたが、参加者の中には「この雨は犠牲者の悔し涙だ」、と語る人もいました。
 石碑に刻まれた35名の方々は、わたしたちの会が知りえたかぎりの方々であり、紀州鉱山の強制連行によって亡くなった方々のすべてではありません。しかもその35名のなかでも本名が一部しかわからない方もおり、さらにそれらの方は多くが遺骨の所在すらいまもなお不明のままです。
 70年以上か経過した現在もなお、日本の政府と企業は、朝鮮人を連行し死に至らしめその方々の生命の尊厳を踏みにじった行為に対して、実態の調査も、責任者の処罰も、犠牲者に対する謝罪も、賠償も、行っていません。
 追悼集会では、熊野市の不当な課税行為に抗議する裁判の報告もおこなわれました。熊野市は追悼碑の土地を私有地と見なして固定資産税を課しました。熊野市のこの課税行為は、市民団体が紀州鉱山で命を断たれた朝鮮人を追悼し日本の歴史的責任を明らかにするためにおこなった追悼碑建立の公共的意義を否定するものにほかなりません。
 わたしたちは追悼集会のたびに、熊野市に対して、本会とともに、紀州鉱山における朝鮮人の強制連行・強制労働に対する実態を調査し記録し、朝鮮人を追悼する行事に取り組むよう求めてきました。しかし、熊野市は、一昨年も、追悼集会に際してわたしたちが発した抗議要請に対して、回答していません。そのような熊野市の態度は、行政の公的業務を放棄することを意味します。
 昨年の抗議要請文をこの抗議要請と合わせて同封しますので、昨年の質問事項を確認のうえ、責任のある回答を求めます。2月末日までにかならず文書で回答してください。
                                  (2017年1月25日発信)


                                  
抗議・要請      2015年11月8日
  熊野市長   河上敢二 さま
  熊野市教育長 倉本勝也 さま

               紀州鉱山の真実を明らかにする会
               第8回追悼集会参加者一同

 わたしたちは、1997年2月の会の結成以来、朝鮮から紀州鉱山に連行され過酷な労働を強いられた1000人以上に及ぶ朝鮮人労働者の歴史について調査を進めてきました。そして2010年3月に紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立し、それ以降毎年追悼集会を開催して、本日、8回目の追悼集会を迎えました。
 今回の追悼集会には、紀州鉱山で働かされた朝鮮人の出身地のひとつである慶尚北道の道議会のみなさんが参加されました。紀州鉱山に連行され労働を強いられ犠牲となった朝鮮人の韓国の遺族のかたがた、そしてその出身地の地域や議会がこの追悼集会に強い関心のまなざしを向けています。
 当会が独自に調査を進めた結果、これまでのところ、少なくても朝鮮人労働者とその家族35名が紀州鉱山で亡くなったことが明らかになっています。しかし、この35名の方の遺骨の所在も、死亡の状況や原因についてもほとんどわかっていません。
 わたしたちは旧紀和町、そして熊野市がこれらの朝鮮人の追悼碑の建立に取り組むよう働きかけてきましたが、貴職らは誠実に応答しませんでした。 
 わたしたちはやむなく、会で独自に土地を確保し、追悼碑を建立して、2010年3月28日に除幕集会を開催しました。ところが、この土地に対して、熊野市長は固定資産税を求めてきました。
熊野市への朝鮮人強制連行、熊野市での朝鮮人強制労働という歴史について、熊野市が責任をもってその事実を究明し、犠牲者を追悼することは当然のことであるにもかかわらず、貴職はその責務をはたさないばかりか、市民団体が心ある多くの人びとの寄金によって入手した追悼碑の土地に課税をするという、無恥で理不尽なことをしました。
 わたしたちはその不当性を公の場で問うために2011年3月18日に三重県津地裁に訴訟を提起しました。この訴訟の提起は日本の社会だけでなく、韓国にも大きな反響を呼び起しました。紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷の江原道および慶尚北道の道議会では、わたしたちの会による提訴を支持し、熊野市による固定資産税の課税の撤回を求める決議がなされています。また慶尚北道の道議会議員団が2012年4月に三重県と熊野市を訪れ、三重県の不動産取得税と熊野市の固定資産税の課税を撤回するよう求めました。慶尚北道の道議員団は今回8回目の追悼集会に参加するため、熊野への二度目の来訪をおこないました。
 以上の経緯を踏まえて、熊野市のこれまでの不当な対応に抗議するとともに、改めて以下のことを要請します。

 1 熊野市紀和鉱山資料館に、紀州鉱山への朝鮮人強制労働、紀州鉱山での朝鮮人強制労働に関する資料を展示すること。
 2 紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山での朝鮮人強制労働についての調査を進めること。
   石原産業が1946年に三重県内務部に提出した朝鮮人労働者についての「報告」はきわめて不正確なもので、この「報告」に「逃亡」したと書かれている千炳台さんは紀和町で死亡していることが判明していますが、旧紀和町は、私たちが千炳台さんの埋火葬許認可書の開示を要望したにもかかわらず、この要望を拒否し続けてきました。
 3 熊野市は、紀州鉱山での朝鮮人犠牲者を、今後どのようなかたちで追悼するのか、その内容を具体的にあきらかにすること。
昨年の7回目の追悼集会ではこの同じ要請を貴職に対して行ったにもかかわらず、貴職は当会への回答を1年近く経過した今日までおこなっていません。
 市民の要望に答えるという行政の基本的な責務を放棄するこのような態度は許すことのできないものです。

 さらに加えて、倉本教育長に対して以下の質問を行います。
 昨年9月25日の熊野市教育委員会で、鉱山資料館に紀州鉱山の朝鮮人の強制労働に関する資料の展示についての教育委員の質問に対して、杉松前教育長は、「鉱山の資料館として、昔こういう方達がはたらいていたことで写真を飾ることは構わないと思います」と答えています。
 この答弁について以下に質問します。
 1 倉本教育長は、鉱山資料館にすでに英国人捕虜の鉱山労働に関する写真の展示があるのは御存じでしょうか。
 2 杉松前教育長は、これまで当会が紀州鉱山における朝鮮人の強制連行・強制労働についてくりかえし要請してきた経過を承知のうえで、このような答弁をしたのでしょうか。倉本教育長はこの答弁と同じ考えなのでしょうか。
 3 「鉱山資料館に写真を飾ることは構わない」と答弁するに当たって、教育委員会はこの件に関してどのような調査をおこない、どのようなことを確認したのでしょうか。
 4 倉本教育長は、鉱山資料館の道路を挟んだ斜め向かいに紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑が建てられていることをご存知でしょうか。また、熊野市がこの土地に対して、固定資産税を課していることをご存知でしょうか。

 上記の要望と質問に対する回答をかならず12月28日までに文書で求めます。
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