三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か」

2017年06月28日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-521509.html
『琉球新報』2017年6月26日 06:01
■<社説>本部町の朝鮮人遺骨 空白の解明は日本の責務
 沖縄戦に動員された朝鮮人の遺骨が本部町に埋葬されていたことが判明した。本紙報道を受け、韓国の市民団体や県内の遺骨収集団体、地元本部町の関係者が埋葬現場を確認し、今後、収骨に向けて具体的に動きだす。
 沖縄戦中の朝鮮半島出身者の動向については不明な点が多く、歴史の空白となっている。それを埋める一つの動きであり、実現に期待したい。同時に、政府をはじめ日本側には空白を解明する調査、研究を進めていく責務がある。
 本部町健堅に埋葬された遺骨は、1945年1月22日に米軍が沖縄全域を狙った空襲による被害者だ。日本軍の戦闘記録によると、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が米軍機4機から攻撃を受けた。救助に向かった船も合わせて、朝鮮人を含む軍属ら少なくとも14人が死亡した。
 45年5月発行の米雑誌「LIFE」に、瀬底島を背に墓標14本が立つ写真が掲載された。「本部町史」にも載っていない米軍撮影の写真で、関係者が数年前に入手し、朝鮮人名簿などと照合した結果、3人は朝鮮人と判明した。
 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」と、韓国の市民団体「太平洋戦争被害者補償推進協議会」は、日韓友好事業として共同で遺骨調査をする方針だ。戦時中に北海道に連行された朝鮮人の遺骨を、1997年に日韓の若者が共同で掘り出した実績がある。沖縄でも実現し、両国の次世代が沖縄戦を追体験して学び、継承につなげてほしい。
 沖縄戦に動員された朝鮮人の人数については、今なお不明だ。糸満市摩文仁の韓国人慰霊塔は「一萬余名」と記すが、最新の「沖縄県史 沖縄戦」は「根拠ははっきりしない」と指摘する。
 朝鮮人軍夫は県内各地に動員され、日本軍の下で重労働を強いられた。その多くが「特設水上勤務中隊」(水勤隊)の101~104中隊に配属され、港での荷役や陣地構築、飛行場建設、砲弾運びなどに従事させられた。
 平和の礎に刻銘された朝鮮人は昨年まで447人にとどまっていた。朝鮮人被害者を長年調査している「沖縄恨(ハン)之碑の会」などの支援団体が申請して、今年7年ぶりに15人が追加刻銘され、462人に増えた。それでも実態とは大きく懸け離れた数字だ。
 朝鮮人軍夫は戦中は異郷で非業の死に追い込まれた上に、戦後は日本政府が調査をせず生死すら確認してこなかった。「捨てられた存在」だ。遺族が複雑な手続きで問い合わせて初めて、部隊名や任地が分かる程度で、回答書類には「復員または死亡記録なし」と冷たい文字が並ぶ。
 政府はいまだに戦争責任を果たしていない。日本軍「慰安婦」も含め、「皇国の民」として朝鮮半島から沖縄に連行された人たちの実態は、難しいかもしれないが、解明すべき課題だ。沖縄側も官民挙げて調査を進める必要がある。


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-517285.html
『琉球新報』2017年6月19日 08:30
■沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、本部に埋葬 戦闘動員、未収骨か

【写真】埋葬地の向かいの自宅で、写真の複写を持つ中村英雄さん。背後に見える瀬底島の稜線と写真の稜線が重なる=12日、本部町健堅

 1945年1月22日、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が空襲を受け、戦闘に動員された朝鮮人を含む、少なくとも14人の陸軍軍属らが亡くなり、同町健堅に埋葬されていたことが18日までに分かった。沖縄戦開戦直後に米雑誌で掲載された写真や朝鮮人の死亡者名簿、日本軍作成の資料で明らかとなった。県戦没者遺骨収集情報センターには、埋葬地から遺骨が収集された公的な記録は残っていない。沖縄戦に動員された朝鮮人は戦後、生死の確認がなされず、沖縄戦での戦死を証明する公的書類が遺族に届いていない場合が多い。今回、埋葬地が明らかとなったことで遺骨調査などに発展する可能性もある。
 45年5月28日号の米雑誌「LIFE」には「空襲によって殺された」として墓標が14本並んだ写真が掲載された。写真には墓標の脇に米軍とみられる兵士が立ち、奥には瀬底島が写る。
 墓標に記載された名前のうち、強制動員された朝鮮人の死亡者名簿をまとめた「戦時朝鮮人強制労働調査資料集(竹内康人氏編著)」によると、「金山萬斗」「明村長模」の2人は45年1月22日に「彦山丸」で戦死したとされている。「半田充祇」は1月22日に死亡した記録は残るが、死亡した経緯は記されていない。
 旧日本軍の戦闘記録「独立混成第44旅団南西空襲戦闘詳報」(防衛研究所所蔵)によると、彦山丸は45年1月22日、敵機4機から銃撃や爆弾投下を受けた。さらに、救助に来た船も銃撃を加えられ、合計13人が亡くなった。
 遺体が埋葬された土地は本部町健堅で、戦時中は漁師の我部政良さんの土地だった。我部さんの長男で山梨学院大学名誉教授の我部政男さん(78)は「未収骨の可能性がある。歴史の証言として掘り返して検証することが必要だ」と指摘した。埋葬地の道向かいに住む中村英雄さん(88)は「戦後、遺骨が収集されたことは見たことがない」と証言した。
 沖縄戦に詳しい沖縄国際大の吉浜忍教授は取材に対し「1月22日の空襲の詳細は知られていない部分がある。特に名護湾で船舶が被害を受けていたことは、空襲が県内全域であったことを裏付ける事実だ」と語った。
       (池田哲平)


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-519225.html
『琉球新報』2017年6月22日 08:30
■本部の埋葬地調査へ 空襲の朝鮮人犠牲者 日韓団体が共同で

【写真】遺骨が埋葬された土地で向かいに住む中村英雄さん(左)から説明を受ける遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(左から2人目)、李熙子さん(右から4人目)ら=21日、本部町健堅

 米軍機による日本軍の輸送船への攻撃で亡くなった朝鮮人を含む軍属ら14人が本部町健堅に埋葬されたことを報じた本紙報道を受け、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」、韓国で強制連行被害の補償を求める市民団体、本部町の関係者らが21日、埋葬地を視察した。「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は埋葬地の遺骨を「日韓友好事業」として、韓国側や地元の有志らと共同で調査する方針を示した。土地所有者の親族で山梨学院大名誉教授の我部政男さんによると、所有者も遺骨調査に協力する意向を示しており、日韓の団体は近く調査に向けて具体的な協議を始める。
 北海道幌加内町朱鞠内で1997年、戦時中に朝鮮半島から強制連行され、ダム建設や道路工事などで命を落とした犠牲者の遺骨を日韓友好事業で掘り出そうと、若者らが中心となって実施した事例がある。このケースを参考に、日韓の若者や支援団体、地元の関係者らが協力して収集を進める。
 具志堅さんは「亡くなった方の遺骨をどうにかして返してあげたい。仮に遺骨が見つからなかったとしても、亡くなった方に近づこうとすることが大事だ」と強調した。その上で「北海道で日韓が協力した実績を参考に、遺骨収集を通して平和な未来がつくっていければと思う」と日韓共同調査の意義を語った。
 視察には約20人が参加し、周辺住民などが埋葬時の土地の状況などを語った。住民らによると、埋葬された土地は当時、我部さんの父・我部政良さんが畑として使っていた土地で、当時よりも約2メートル盛り土されているという。
 韓国から来沖した李熙子(イヒジャ)さん(74)は埋葬された土地で「長い間お待たせしました」と語り、韓国から持ってきたお酒をささげて亡くなった人たちの冥福を祈った。李さんは「報道で明らかになるまで、公となってなかったことに心が痛む。(本部町の)地元の方々に感謝しつつ、遺骨を返すために取り組んでいきたい」と語った。
 日本軍の輸送船「彦山丸」は1945年1月22日、米軍からの銃撃や爆弾投下を受けた。
         (池田哲平)
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