三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

新しい碑

2016年11月02日 | 紀州鉱山
 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する場に、新しい碑が建った。ハングルと漢字で「朝鮮人追悼碑」と彫られている。
 この碑は、三重県に住む兪柄煥さん、申載永さん、呉相龍さんの協力によって建てられた(2015年10月7日に発行の三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会『会報』61号と紀州鉱山の真実を明らかにする会『会報』16号合併号の金靜美「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する「場」のこと」を見てください)。
 申載永さんは、2010年3月28日の除幕集会に在日本大韓民国民団三重県地方本部団長として参加した。兪柄煥さんと呉相龍さんは、2014年11月8日の紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する8回目の集会に、申載永さんといっしょにはじめて参加した。
 集会が終わった直後に、兪柄煥さん、申載永さん、呉相龍さんから、追悼の場のあらたな整備に協力したいという提案があった。
 昨年9月3日、会員が亀山に行き、兪柄煥さん保有の石を選定した。
 そのあと、碑文字を会員が書き、その彫刻を兪柄煥さんが業者に依頼した。
 10月24日に、兪柄煥さんたちが「朝鮮人追悼碑」と彫った石を亀山から「追悼の場」に運んで、設置作業がはじめられた。
 その後、26日、27日、29日、30日と、延べ5日間、兪柄煥さんと職人さん数人が、設置作業に取り組んだ。紀州鉱山の真実を明らかにする会の会員も手伝った。
 石は大きい。見るからに頑固そうで、大地に踏ん張っている。
 それを固定するのに、兪柄煥さんたちはとても大変そうだった。石と格闘する、というようすだった。
 ようやく場所を得た碑石のまわりを、兪柄煥さんは、石で囲んだ。朝鮮半島の形だという。「朝鮮人追悼碑」と彫られた碑石は、「軍事境界線」をまたがっている。
 碑石を固定するコンクリートにみんなで小石を嵌めた。
 碑文のある追悼碑と犠牲者の名を記した35の石は、この新しい「朝鮮人追悼碑」に守られているように感じられる。
                                     金靜美
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