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「広東裁判」・「香港裁判」 18

2012年02月18日 | 海南島史研究

 戦犯裁判の前提は、侵略犯罪・戦争犯罪にかかわる事実を認定することだと思います。
 犯罪事実をできるだけ正確に認識し、犯罪容疑者をすみやかに逮捕し、さらに詳細に犯罪事実と被害実体を解明していこうとしなければ、公正な裁判はなりたちません。
 国民国家日本の近現代史は、侵略犯罪・戦争犯罪の歴史でした。
 国民国家日本は、他地域・他国地域侵略によって国民経済を発展させてきました。
 アイヌモシリ領土化、琉球王国領土化以後、国民国家日本は、1945年以前に限っても、「台湾蕃地処分」、「日清戦争」・台湾植民地化戦争(1895年に開始。1930年に「霧社虐殺」)、義和団戦争、「日ロ戦争」、対抗日義兵戦争、シベリア戦争、第一次世界戦争、中国東北部・モンゴル東南部植民地化戦争、「日中戦争」、「アジア太平洋戦争」をおこなってきましたが、これらの戦争における戦犯が逮捕され裁判にかけられることはありませんでした。
 いまなお、日本では、日本の侵略犯罪・戦争犯罪の歴史的全容が明らかにされていません。
 日本敗戦後に開始された戦犯裁判においても、日本民衆は、みずからの力で国民国家日本の侵略犯罪・戦争犯罪の事実を明らかにし、戦犯を裁くことができませんでした。
 アジア太平洋戦争時期の国民国家日本の戦争犯罪は、アメリカ合州国軍、中華民国軍、イギリス軍、オランダ軍、オーストラリア軍、フランス軍などが戦犯裁判で追究しましたが、それは、犯罪の事実認定においても、犯罪者の特定においても、量刑判断においても、不公正で不十分なものでした。
 海南島における日本の侵略犯罪・戦争犯罪にかんする戦犯裁判も、不公正で不十分なものでした。
 海南島では、台湾人海軍巡査補であった台湾人は逮捕され処刑されましたが、海南島で侵略犯罪を直接指揮していた海南海軍警備府司令長官や参謀たちは逮捕されることなく、日本に帰国しました。
 日本海軍省は日本敗戦後第二復員省に変わっていましたが、第二復員省総務局総務課在外部隊調査班が1946年3月31日に出した「在外部隊状況速報第二〇号」には、「海南島状況」として、つぎのように書かれていました。
     「三月十九日大竹着V六〇号竝ニ二十一日田邊着V三八号ニテ海南島南部地区ノ海軍部隊帰還セリ
      主要帰還者、横四特司令青山茂雄大佐、十六警司令能美実、同主計長今井善樹主少佐、海南警備府参謀荒井義一郎少佐、猶海南島地区ハ四月上旬内地着便ニテ還送完了ノ予定」。
 1946年4月25日の「在外部隊状況速報第二十三号」には、「海南島及雷州半島」とのこととして、つぎのように書かれていました。
     「雷州半島部隊ハ海南島海口ニ集結シ海南島部隊ト共ニ帰還セリ
      海南島部隊ハ四月六日田邊着ニテ海南警備府長官以下引揚ヲ完了セリ」。
                                                          佐藤正人

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第二復員省 1946年 アジア太平洋戦争 イギリス軍 フランス軍 中華民国軍 オーストラリア軍 アメリカ合州国 1945年 1895年
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