三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「木本事件」は終っていない 2

2016年11月11日 | 木本事件
「木本事件」は終っていない
     ―― いま、「木本人」はなぜ朝鮮人虐殺を肯定するのか ――

■「木本人」のコメント
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログは、読者が各記述にたいする意見を自由に発表できるよう設定してあり、これまで、さまざまな投稿が寄せられています。
 ことし、9月1日に、「「木本事件」の発端」という佐藤正人の記事に、「木本人」という署名で、「朝鮮人の捏造記事」というコメントが投稿されていました。その全文は、つぎのとおりです。
「木本事件の内容は父から聞いた事があります。当時朝鮮人労働者の迷惑ぶりは悲惨であったらしく、朝鮮労働者達は徒党を組んで傍若無人の振る舞いにより、町の人々を怖がらせ大問題になっていたらしく、小さな村の木本警察などでは、手に追えなかったらしいです」。

 また、その前々日の8月30日に、「木本水道」という署名で「実際」と題するコメント投稿されていました。その全文はつぎのとおりです。
「私は父からこの事件について話を聞いたことがあります。
このトンネルは実家の直ぐ近くにありますが、父も事件を見ていたそうですが、私が聞いた話とは、随分違う様にかんじますが…」。

 「「木本事件」の発端」に引用している1926年1月5日の『紀伊新報』の記事には、「(新宮に住む永光夫が)日本刀を携へて来り、鮮人工夫の肩も骨も砕ける程殴り……」と書かれています。
 「木本人」はブログの「木本事件」についてのほかの記事も読んでいると思いますが、「「木本事件」の発端」に掲載されている碑文の前半を読み、さらに日本刀をもった日本人が朝鮮人を「肩も骨も砕ける程」殴ったという当時の地域新聞の記事を読んだうえで、「朝鮮人の捏造記事」と題するコメントを「「木本事件」の発端」に書き入れています。
 「木本人」は、当時の地域の新聞の記事を「捏造記事」であるとし、それが「捏造」である「証拠」として、「父から聞いた」という「木本事件の内容」を、2016年9月1日に示しています。
 「木本人」は、「朝鮮人の捏造記事」というコメントを9月1日に投稿したことの意味を自覚していないようにも思われますが、客観的な意味は大きいと思います。
 朝鮮での1919年の3・1独立運動の4年半後、1923年9月1日の関東大地震の翌日9月2日から約1週間のあいだに、日本人は、関東地域(東京、横浜、神奈川、千葉、埼玉、群馬……)の都市や村で、6000人以上の朝鮮人を、600人以上の中国人を、被差別部落民を、社会主義者を殺戮しました。朝鮮人と思って日本人を殺した自警団員もいました。
 その2年半後、木本町の在郷軍人、消防組員らは、朝鮮人を虐殺しました。
 現在の「木本人」のコメントには、1926年1月当時の「木本人」の朝鮮人差別意識が、あからさまに、90年半後に表現されています。
 このようなコメントが関東大虐殺の93年後である2016年9月1日に投稿にされたことは、現在の日本の思想・社会状況を示していると思います。
  
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