三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「琼中革命老村的美丽变迁——古老黎村看便文」

2017年06月13日 | 海南島史研究
 以下は、昨日(6月12日)の『海南日报』に掲載された記事です。
 海南島近現代史研究会は、2014年3月23日に便文村を、2016年4月28日に什寒村を訪ね、証言を聞かせてもらいました(このブログの2014年3月23日の「細水郷、元門郷、便文村、番陽鎮、万冲鎮」、2016年4月28日の「2016年春、海南島で 6」をみてください)。
 2014年3月23日の便文村での吉家元さんの証言については、『海南島近現代史研究』第4号・第5号(2016年5月発行)の88~89頁をみてくださいい。
 2016年4月28日に什寒村のすぐ近くの牙寒村の自宅で、王玉欽さん(87歳、1922年生?)は、つぎのように話してくれました。
    「日本軍が村を襲ったとき、村人たちはみんな逃げたが、家は焼かれた。日本軍は
   夕方引き揚げていったので、村に戻ったが、そのあと、日本軍が怖くて、村人は、儋州
   の三好村に逃げた。
    わたしの家族は、父母、長兄の妻とその子(女)、わたしの5人だった。わたしは11歳
   だった。長兄の玉琴と次兄の玉皇は、先に儋州に行って玉錦の軍隊に入っていた。
    日間歩き続けた。見つかるといけないので、昼は休んで、夜、歩いた。村の人ぜんぶ、
   30~40人がいっしょだった。妊娠中の人はいなかったと思うが、歩くのがやっとの子ども
   や年寄りがいた。木の葉などを食べながら歩いた。
    だれの命令でもない。いとこの兄、玉錦が儋州の根拠地にいるというので、儋州の
   ほうに行けば、‟我紅軍”がいると聞いて、みんなで行った。玉錦は紅軍の指揮官だ
   った。いとこの兄を探していきたいが、どこにいるかわからない。だれを探して聞い
   たらいいかもわからない。紅軍があっちのほうにいる、北のほうにいると聞いて、‟あ
   っち”のほうに行った。そこが儋州だった。
    儋州で、30~40人が、みんなでうろうろしてたら、声をかけてきてくれた紅軍の人
   がいて、食べ物や寝るところなど世話になった。さいしょの10日間くらい、軍の人た
   ちといっしょに食事をした。そのあと、そのひとの世話で三好村に行った。そこでコメ
   を分けてもらったり、稲刈りをいっしょにした。そのあと、落ち穂を拾って食べたりして、
   生活した。
    兄たちが、白沙から逃げてきている人たちがいる、とうわさを聞いて、三好村に探し
   に来てくれた。それで会えた。
    三好村は黎族の村だったが、わたしたちとはまったくことばが通じなくて、海南語で
   話した。半年から1年足らず、日本軍が敗けるときまで三好村に逃げていた。
    紅軍の人が三好村に来て、日本軍が降参したと教えてくれた。
    もとの村に戻ったら、だれも住んでいなかったので、草や木が茂っていた」。

                                  佐藤正人


http://hnrb.hinews.cn/html/2017-06/12/content_22_1.htm
『海南日报』2017年6月12日  文\海南日报记者 郭畅 通讯员 陈欢欢
■琼中革命老村的美丽变迁——古老黎村看便文

【相片】俯瞰便文村。 海南日报记者 陈元才 通讯员 朱德权 摄
【相片】便文村步行线路上的民族壁画。 郑潮民 摄
【相片】便文村石臼景观。 郑潮民 摄

  日前,国家民委命名717个村寨为第二批“中国少数民族特色村寨”,海南共有11个特色村寨榜上有名。而琼中黎族苗族自治县一地,就有3个村落获此美誉——红毛镇的什寒村、什运乡的便文村和番道村。

  到海南看美丽乡村,“山景”也是一个关键词。虽已是盛夏,被大山环抱的便文村,却依然透着一股沁人心脾的凉意,让人神清气爽。
  琼中黎族苗族自治县便文村,一个闻名遐迩的革命老区村,它见证了中国人民解放军琼崖纵队的成立,是红色爱国主义教育旅游基地。绕山而行,山泉流淌,水声潺潺;梦里梯田,稻穗摇曳,绿意盎然。

★坐落在鹦哥岭半山腰
 最美便文村藏于深闺
  清晨,从琼中县城出发,沿着海榆中线一路向西,会路过琼中什统黑村,在村口,木质的路标写着“琼中全域旅游国家步道系统——番文国家步道”(番道村—便文村),地图显示,最靠近鹦哥岭自然保护的村庄便是便文村。
  五彩路标,秀美梯田、织锦姑娘、凶猛山猪……沿途村庄充满小惊喜,热情邀请远方人做客。
  沿着蜿蜒小路继续前行,便抵达山高水寒、背靠鹦哥岭、面向五指山的革命老区——便文村。云卷云舒,青山葱翠,什运乡便文村坐落在鹦哥岭半山腰,海拔700米左右。
  这里山高坡陡,人烟稀少,是一块难得的热带雨林风貌“处女地”,有着丰富的动植物资源和奇特的雨林景观。穿过狭窄的村道,远道而来的行者可以看见梯田在阳光下肆意地绿着,看到道路旁的溪涧,缓缓流过的清泉,鹦哥岭脚下的琼崖纵队司令部旧址和山谷里漂亮的露营地。
  你来,便忘不了便文村秀美的梯田,沐浴在阳光下的群山,显得分外青翠。盘旋曲折的田埂,宛如一条条凌空的天梯。近几年,随着村民们改稻种桑新发展,天梯的景色也随之变幻,一半稻一半桑,绘出一幅四季多彩画卷。
  春天引水灌溉的时候,梯田犹如镶嵌在群山之间的一块块明镜,光影澹澹,同时,也是桑葚成熟的季节,饱满多汁的果实,令人垂涎欲滴;夏天时,梯田中的禾苗和桑叶滋长,绿意盈阶,油油密密。桑叶,也在为“蚕宝吐丝”孕育力量。
  到了秋天,一半是金黄色成熟稻子,一半仍是绿意盎然的排排桑树,金黄色与绿色的渐变色景致,随风舞动,仿若少女的裙摆;冬天,广袤土地上的光溜溜的根茎,是四季轮回的写照,新希望来年还将如期而至。

★红色革命热土
 琼纵根据地
  便文村位于什运乡西部,境内属山地,什运河水系贯穿村寨。辖有5个自然村,共有138户682人,村内黎族人民世代繁衍,生生不息。
  村子里,有两块显眼的景观石,上面的刻字分别介绍了便文村不同时代的“身份”。一块是“中国少数民族特色村寨”,一块是“广东省琼崖游击队独立纵队首次代表大会会址”。
  当这里是一片红色热土。便文村曾是琼崖纵队孤岛奋战的根据地,也是琼崖区中共党政军领导机关驻地。70年前,琼崖纵队首次代表大会就在村里的大榕树下召开,经过一个多月的会议商讨,中共中央军委指示,将琼崖独立纵队改称“中国人民解放军琼崖纵队”。
  “那时便文村人迹罕至,只有两条崎岖小路通往山上。”琼中党史县志办公室退休干部谢晋颀说,恰恰是险峻高山,庇佑了琼崖革命在此吹响从自卫转向反攻的号角。
  2008年,什运乡政府以便文村“琼崖游击队独立纵队根据地遗址”为依托,以国际旅游岛建设为契机,建立了“琼崖纵队首次代表大会纪念馆”,将便文村打造成了红色旅游爱国教育基地,每年七一、国庆节,大批新老党员来到这里缅怀先烈,传承革命精神。
  站在纪念馆前,放眼望去,崎岖山路,悬崖峭壁,丛林绿野,令人不禁联想革命先烈当年的艰辛不易。
  经过“天为被,地为床”的抗战史,岁月变迁,人们的生活幸福指数不断上升,从上世纪50年代的茅草房到1970年代的水泥瓦房,如今,便文村红瓦白墙的新式民居,充满黎族风情。

★黎族同胞热情好客
 黎家美食美景一路相伴
  沿村行走,菠萝蜜树硕果累累,青芒果挂在树头惹人惦念,村道两旁的黄皮已然成熟。正当你踌躇不前,不知找谁购买时,过路村民会热情地说,“想吃便摘,我们村多着哩!”
  “这里黎族同胞淳朴好客,与没有被修饰过的自然风光一样,让人难忘。”来自辽宁的游客王先生说,便文村能洗净自己内心的烦忧。
  在山里,下点小雨才是最惬意的享受。朦胧的远山,笼罩着一层轻纱,影影绰绰,在缥缈的云烟中忽远忽近,若即若离,就像是几笔淡墨,抹在蓝色的天边。
  不知是哪里传来的黎歌,悠远的歌声似乎传递着大山无比宽厚的深情。一股凉风袭面而来,湿润地打在脸颊,仿佛夹带着溪流,夹带着清泉,夹带着丝丝缕缕的缠绵,在耳边,在心际轻柔地飘浮着。
  赏过山景、梯田、漫水桥的游人,是不是想在便文留宿一晚?村中的民宿是村民自主经营的,环境卫生却不比高档酒店差。近两年,政府出资改造了4家民宿。站在民宿楼上的观景台,蓝天映衬下的群山,若隐若现。
  村中的农家乐店主和民宿主人,都是黎族同胞,炊烟袅袅,飘香的饭菜,让人食指大动。味道鲜美的鹦哥岭山溪鱼茶、能跑会飞的山野土鸡、香醇醉人的山兰米酒等特色黎族美食,待人品尝。
  便文村原生态休闲露营基地,以原生态为理念,让人们告别都市的喧哗,回到自然的怀抱。在大山的怀抱中,夜色渐浓,满天的繁星更加明亮,小小的帐篷坐落在半山腰上,让人恍如遨游在宇宙星空。
  印象中这种情景只出现在童年的世界里,那仿佛是一幅美妙的梦境。这么多的星星,这么些年不知道它们都躲藏到哪里去了,在今夜全都又入了眼中,走进心里。
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