三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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壬辰倭乱・朝鮮植民地化・強制連行の痕跡をたどる 2

2016年10月31日 | 紀州鉱山
壬辰倭乱・朝鮮植民地化・強制連行の痕跡をたどる
    ――2015年11月、韓国慶尚北道の道議員団とともに――

                                   金靜美

■解放後、新宮地域で亡くなった朝鮮人
 このあと、浄泉寺に安置されている朝鮮人の遺骨を見せていただいた。 
 山口範之住職によれば、本堂を改修したときに出てきたという。
 「栄宋讃」と書かれているが、朝鮮で「栄」という姓があると聞いたことはないので、書きまちがいかもしれない。
 山口範之住職からいただいた「ダム 工事人夫 家 過去帳」と書かれた名簿によれば、金光珠さんは1959年8月19日に亡くなり、42歳であった。ほかに、金徳俊さん(32歳)、河玉変さん(42歳。燮のまちがいと思われる)、金点守さん(54歳)、金成出さん(35歳)、「金田武夫」さん(35歳)の名前があるが、遺骨が残っていないので、家族が引き取ったのだろう。

★南谷墓地
 その後、山口範之住職に新宮の南谷墓地にある共同墓地に案内していただいた。
 南谷墓地には、「大逆事件」の犠牲者、大石誠之助さん(1911年に処刑)、高木顕明さん、峯尾節堂さん(1919年に千葉監獄で獄死)の墓がある。
 高木顕明さんの顕彰碑に案内していただいた。

■16世紀末の日本の朝鮮侵略と熊野
 その後向かった徐福公園にある「徐福の墓」(1736年建立)の碑文字「秦徐福之墓」は、李梅渓が書いたものだという。李梅渓(1617-1682年)の父、李真栄(1571-1633年)は、朝鮮慶尚道霊山の儒学者で、壬辰倭乱(1592-1593年)のときに捕えられ、大阪に連行され、後に和歌山の紀州藩主徳川頼宣の「侍読」になった。 李真栄と李梅渓の墓は、和歌山市道場町の海善寺にある。
 その後行った熊野速玉大社(2004年7月にユネスコの世界遺産)は、熊野本宮大社、熊野那智大社を合わせた熊野三山のひとつである。
 壬辰倭乱のさい、熊野水軍の総督として朝鮮海域に侵入した九鬼嘉隆は鳥羽城に本拠を置いていたが、九鬼の祖先は、9世紀から13世紀末にかけて熊野三山を統括する役職だった「熊野別当」をしていたという。
 また、新宮地域の支配者であった堀内氏善も熊野水軍に加わり、壬辰倭乱と丁酉倭乱(1597-1598年)のとき、朝鮮に侵入した。
 朝鮮侵略のさい、熊野地域沿岸の港では、船100隻あまりが造船されたという。

 こうして、慶尚北道議員団とわたしたちは、11月6日から7日にかけて、李基允氏と裵相度氏を追悼する集会がはじまる午後2時まで、16世紀末から20世紀中期の朝鮮人の強制連行にいたる時期の熊野地域を回った。
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