三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史研究会第10回総会・第18回定例研究会報告

2016年10月29日 | 海南島近現代史研究会
海南島近現代史研究会総会・定例研究会報告
■第10回総会・第18回定例研究会   主題:海南島と台湾
 2016年8月28日

 3名が主題報告をおこないました。
 佐藤正人さんは、「海南島に連行された台湾人(軍属・兵士、「台湾報国隊」……)」と題して、“海南島を植民地化する基地として台湾が利用され、多くの台湾民衆が、軍属や兵士として海南島に送り込まれ、さらに台湾の獄中者が「台湾報国隊」として海南島の日本軍用施設建設工事に送り込まれ、台湾の女性が性奴隷として海南島に送られた。日本敗戦後に広東でおこなわれた戦犯裁判で台湾人が日本兵と共に処刑されたが日本軍の司令官や参謀などは全員が日本にもどった”、と資料をもとに報告しました。
 韓国から参加した金勝一さんは、「日本の海南島侵略における台湾総督府の役割」と題して、“日本が台湾を統治したときの「台湾経験」が海南島侵略後に海南島を統治するモデルとして移植された、台湾総督府は台湾島における軍事的独裁の権限をもち、恐怖政治によって抵抗勢力を封じ込め、「台湾人で台湾を治める」という方針をとったが、この方針が海南島でも適用され、日本語を強要する「皇民化政策」と住民虐殺と資源・食料の略奪が恒常化し、海南島の民衆を苦しめた”、と報告しました。
 斉藤日出治は「台湾総督府の南進政策と海南島侵略」と題して、“1895年の台湾の植民地化以降、日本は政府だけでなく台湾銀行による金融活動、台湾協会による教育事業などによって民間レベルでも台湾を拠点としてアジア南方への侵略を進めてきた。1930年代末になると、台湾を「大東亜共栄圏」構想の中軸として位置づけ、海南島をも「大東亜共栄圏」における資源確保の拠点に組み込んで、収奪を進めた”、と報告しました。
 主題報告のあと、竹本昇さんが、「『台湾日日新報』で日本の海南島侵略は、いかに報道されていたか」と題して、『台湾日日新報』の記事を紹介し、“1908年から1936年ころまで台湾総督府は海南島への「探検」を企て、資源の「調査」をし、海南島の資源を略奪しようとし、1933年ころからは、海南島への軍事的な関与の動きが活発化したことが、新聞記事から知ることができる”、と報告しました。

 つづいて、会場からの発言を受けました。
   「わたしの父は、海南島に召集された。父の所属する部隊に台湾や朝鮮の人がいた
  ことは聴いていたが、詳しいことは知らなかった。今日の報告で、台湾人が海南島に
  派遣されたことを知り、自分の父もその加担者であったことを知って、罪深いことだと
  思った」。
   「非暴力の闘いを自分の中に抱えている自分にとって、海南島の歴史研究が思考の
  突破口になるか、歴史研究をする中で自分がどう生きていくか、そういうことを思いま
  した」。
   「日本人はいまだに沖縄を属国だと思っている。それは、対外的な膨張を続けていっ
  た大日本帝国の植民地支配の清算をやっていない敗戦後の私たちの問題だと思う。
  天皇裕仁を戦犯として裁くことができなかったことが大きいと思う」。
   「日本の軍需産業、軍産共同体を潰すことが大事だ。軍需産業は戦争を起こそうと
  している」。

 討論の後、久保井規夫さんが「海南島への侵略と支配」と題して、図版や写真(「黎族を使役して軍用道路をつくる」「黎族の部落」「占領に怯える住民」「海南島を侵攻する日本軍」「海南特務部」など)を紹介しました。
 そのあと、金靜美さんが、2016年春に、海南島の土卜嶺村、嶺尾村、南北溝村、新街村、大坡村、老王村、昌美村、慶雲村、光村、大水村……で聞かせてもらった証言を、写真を示しつつ報告しました。
                                          斉藤日出治 記
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