三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「東京大空襲・戦災資料センター、「東京大空襲と朝鮮人」新設」

2017年05月05日 | 個人史・地域史・世界史
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2007/post_551.php
『東洋経済日報』 2007/03/09
■<在日社会>東京大空襲・戦災資料センター、「東京大空襲と朝鮮人」新設

【写真】東京大空襲・戦災資料センターに展示された韓国人犠牲者の名簿

 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂)が、1日にリニューアルオープン。「東京大空襲と朝鮮人」の展示コーナーを新設した。同館では、韓国人被害者の事態調査を行っており、今後も展示を増やしていく計画だ。
 東京大空襲は1945年3月10日未明に起きた。10万人以上が一夜で亡くなったといわれるが、詳細な犠牲者数はいまだにわかっていない。
 同センター研究員の山本雅人さんによると「米軍の爆撃した地域を検証すると、軍需工場に限らず住宅地も狙った無差別爆撃だったことがわかる」と話す。
 センターには実物の焼夷弾や、当時の被災者が着ていた衣服などが展示されている。写真や資料も豊富で、東京大空襲の全貌が理解できる。
 空襲当時、東京には約9万7000人の韓国人が住んでいたといわれる。空襲での韓国人犠牲者数は不明で一部実態がわかり始めたのはこの数年のことだ。朝鮮人強制連行市民調査団をはじめとする在日、日本の市民団体が都慰霊堂(東京・墨田区)にある被害者名簿約7000人の調査を続けていたが、2005年12月になって韓半島出身者の遺骨が数十体確認された。
 また当時、多数の韓国人が軍需工場で強制労働させられ、深川区洲崎の遊郭跡にあった石川島造船所の寮に住まわされていたが、地理不案内のため空襲から逃げ遅れ、犠牲になったという。その犠牲者名簿約100人分も今回判明した。
 山本研究員は、「他の軍需工場でも働かされていたと思われるが、朝鮮人労働者がどれだけいたかは不明で、現在調査を進めている。実態を明らかにすることが、アジアにおける共生の一歩になると確信しているので、今後も継続調査したい」と話す。
 「東京大空襲62周年朝鮮人犠牲者を追悼する会」が3日、東京・墨田区の東京都慰霊堂で開かれた。東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元さんらが呼びかけ人となって開催されたもので、韓国と在日の僧侶が読経を行った後、追悼辞が読み上げられた。東京大空襲での韓国・朝鮮人犠牲者の追悼か開かれたのは初めて。

◇ ◇ ◇

 同センターは、東京大空襲の惨禍を後世に伝えていくため、約4000人の市民による募金1億円をもとに民営の資料センターとして建設された。2002年3月にオープンし、今年5周年を迎える。5周年を前に増築の資金を募り、約3000人から9000万円が集まり、今回のリニューアルオープンとなった。在日韓国人についての展示も新たになされ、判明した犠牲者名簿などが陳列されている。
 館長は作家の早乙女勝元さん。地下鉄の住吉駅か西大島駅から徒歩約20分。℡03・5857・5631。
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