三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野市にたいする抗議・要請 2016年11月26日 

2017年01月25日 | 木本事件
 きょう(1月25日)、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と第23回追悼集会参加者一同は、河上敢二熊野市市長と倉本勝也熊野市教育長に、抗議と要請の文書を送りました。 文書の日付けは、李基允・さんと裵相度さんを追悼する昨年の23回目の追悼集会の日である2016年11月26日です。抗議・要請文の全文はつぎのとおりです。
       三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会

 
■抗議・要請■
 本日、わたしたちは木本トンネル入り口の追悼碑の前で23回目の追悼集会を開催しました。この追悼集会には、例年と同じく、地元の方々はもとより、各地から参加者が結集しました。
 1994年に朝鮮半島を向いて建立された李基允さんと裵相度さんの追悼碑は、その後22年の間、地元の方々の協力によって草取りや整地や植樹がおこなわれ、守られ、維持されてきました。
 狭くて登るのに苦労する入り口の階段には手すりをつけ、追悼碑のある高台の危険な崖の縁には防護柵を設けて、追悼碑の敷地はすこしずつ整備され、熊野の地域にしっかりと根づいた碑となっています。
 李基允さんと裵相度さんの命を奪った「木本事件」は、熊野の地域住民が引き起こした虐殺事件であるにもかかわらず、熊野市はこの事件の実態がどのようなものであり、なぜこのような虐殺事件が起きたのかについて、その究明を積極的に行おうとしてきませんでした。わたしたちがその究明を求めて毎年発している質問にも熊野市は答えようとしていません。
 このような熊野市の態度は、事件を二度と起こしてはならぬものとして教訓化し、次世代に伝えていこうとする姿勢を欠落させるものであり、それどころか事件を引き起こした地元住民の差別意識を温存することにもつながっています。
 2016年9月1日に、「「木本事件」の発端」という会員の佐藤正人が書いた記事に対して、「木本人」という署名で、「朝鮮人の捏造記事」というコメントが投稿されました。その全文は、つぎのとおりです。
   「木本事件の内容は父から聞いた事があります。当時朝鮮人労働者の迷惑ぶりは悲惨で
   あったらしく、朝鮮労働者達は徒党を組んで傍若無人の振る舞いにより、町の人々を怖
   がらせ大問題になっていたらしく、小さな村の木本警察などでは、手に追えなかったら
   しいです」。
 また、その前々日の8月30日に、「木本水道」という署名で「実際」と題するコメント投稿されていました。その全文はつぎのとおりです。 
   「私は父からこの事件について話を聞いたことがあります。
    このトンネルは実家の直ぐ近くにありますが、父も事件を見ていたそうですが、私が
   聞いた話とは、随分違う様にかんじますが…」。

 「木本人」は、「当時朝鮮人労働者の迷惑ぶり」、朝鮮人労働者たちの「徒党を組んで傍若無人の振る舞い」を理由とすることによって、地元住民によるふたりの朝鮮人殺害をやむを得ないこと、あるいはしごく当然なこと、であるかのように語っています。
 この事件が起きた当時の地元新聞のコラム欄では、お二人を殺害した住民の行動を「吾が民衆の先駆者」と呼び、事件当時在郷軍人会副会長だった谷川義一氏の手記(「鮮人騒動の記」、『木本小学校百年誌』、1973年発行)には、朝鮮人労働者の「無法地帯的な行状に泣いたこの地方の人々こそあわれ」だとして、住民によるお二人の殺害を「あながち無理とも言えない」と肯定しています。
 事件後に、朝鮮人労働者を殺害した住民の行動を「あながち無理とも言えない」などと肯定することが、今回の「木本人」の発言となって再現しているのです。
 この事件を根源から問い直すためには、朝鮮人虐殺を正当化するこのような発言がなぜ生まれたのか、そのような発言とその背後にある民族差別意識をどうしたら克服できるのかを考え、その課題に取り組むのが熊野市に課せられた責務なのです。しかし、熊野市はわたしたちの呼びかけにもかかわらず、なすべきその責務を放棄してきました。
 たとえば、事件から50数年が経過した1983年に熊野市が発行した『熊野市史』中巻の「木本トンネル騒動」のなかでも、住民による朝鮮人への襲撃と虐殺を、「木本町民としては誠に素朴な愛町心の発露であった」としています。三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、すでに1989年6月4日の創立集会の翌日に、熊野市に『熊野市史』の書きかえを求め、それ以後、これまで27年あまりの間、この文言の削除を求めると同時に、「木本トンネル騒動」の記述全体の書き換えを求めてきたのですが、熊野市はその要請に応えてきませんでした。
 木本トンネルは、木本町民らの生活を便利にするために作られたものです。そのトンネルを日本人労働者とともに掘っていたのは、日本による朝鮮の植民地支配によって日本に働きに来ざるをえなくなった朝鮮人労働者でした。木本町の住民たちはその朝鮮人を集団で襲い虐殺したのです。さらに、在郷軍人、消防組員らを中心とする住民集団は、2人の朝鮮人を虐殺したあと、警察官らとともに、襲撃を逃れようとした朝鮮人を捕まえようとして、徹夜で山狩りまでしました。
 熊野市と熊野市教育委員会が、「木本事件」について事実をみずから明らかにし、その歴史的責任をとろうとし、このような犯罪がくりかえされることを阻止する活動に積極的に取り組んでいたならば、「木本人」がこのようなコメントをすることはなかったでしょう。
 「木本人」が上記のような発言をするという状況を許してきた熊野市・熊野市教育委員会の責任は重大です。
 熊野市長、および熊野市教育長は、朝鮮人虐殺を事実上肯定する発言が「木本人」から発せられたことについて、どう考え、どのように対処すべきだと考えるのか、責任のある回答を文書で求めます。
 同時に、昨年の抗議要請文をここに添付し、そこでわたしたちが求めた質問事項に対する速やかな回答を求めます。回答は、2月末日までに必ずお送りください。(2017年1月25日発信)


抗議・要請            2015年11月7日
 熊野市長   河上敢二さま
 熊野市教育長 倉本勝也さま

   三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
   第22回追悼集会参加者一同

 本日、わたしたちは木本トンネル入り口の追悼碑の前で22回目の追悼集会を開催しました。
 木本町(現熊野市)でお二人を殺害したのは在郷軍人会や消防組などの地元住民の組織であり、その組織に出動を指示した木本町長はお二人の殺害に重大な責任を負っています。
 したがって貴職らは地元行政機関の責任者として「事件」の原因を究明し、遺族に謝罪し、このような事件が2度と起きないような人権教育に真摯に取り組む責務があります。
 私たちは会を結成した当初から、熊野市に対し、地元の行政機関として、この事件がなぜ起きたのかについて地元住民とともに考え、地元の歴史教育に積極的に取り組むべきであると述べてきました。そしてつぎのような課題を提起してきました。
 1 『熊野市史』における「木本トンネル騒動」の記述で、地元の住民がとった行動を「誠に素朴な愛町心の発露」として弁護する文言があることを指摘し、この文言を削除すると同時に、『熊野市史』の記述全体を再検討すること。
 2 お二人の追悼碑を建立するために、熊野市が土地を確保し建立の資金を市民から募って、追悼碑の建立活動に取り組むこと。
 3 地元で「木本事件」を考えるための歴史教育・人権教育に積極的に取り組むこと。
 4 「木本事件」の詳細を明らかにすること。

 しかし、熊野市は当初は我々の会と協力して上記の取り組みを進めるという方針を立てながら、中途でその取り組みを放棄しました。
 1の課題については、熊野市は『熊野市史』の「誠に素朴な愛町心の発露」と言う文言の削除を約束しながら、削除要請通知を一部の『熊野市史』の購読者(主として、熊野市が『熊野市史』を寄贈した相手)に送っただけで、削除が実際に行われているかの確認をも誠実に行ってはきませんでした。
 わたしたちが各地の公立図書館に所蔵されている『熊野市史』を調べたところ、実際に文言の削除がなされていない図書館が多数あることを確認しました。その後、わたしたちは文言の削除が的確になされているかどうかの確認を熊野市と熊野市教育委員会に求めましたが、いまだにその確認はおこなわれていません。
 2の追悼碑の建立については、熊野市議会で了承がなされ、200万円の予算が計上され、なおかつ追悼碑の建立予定地まで確保しながら、碑文を作成する段階で、熊野市は追悼碑の建立そのものを拒絶するに至りました。
 3の課題については、熊野市はこれまでまったく取り組む姿勢をみせていません。それだけでなく、熊野市の図書館に「木本事件」に関する資料コーナーを設けてほしい、という当会の要求を拒否し続けてきました。
 4の「木本事件」の詳細を明らかにするという課題は、熊野市がかならず組織的に全力をあげて早急に進めなければならない課題であるにもかかわらず、熊野市は、現在にいたるまで、まったくなにもおこなっていません。

 22回目の追悼集会にあたって、わたしたちは以上のようなこれまでの熊野市の対応に強く抗議するとともに、あらためて以下の要求を行います。
 1 『熊野市史』における「木本トンネル騒動」に記載された文言「誠に素朴な愛町心の発露」について、『熊野市史』の公的・私的な購入者に対する削除の通知を徹底していただきたい。また削除の通知をするだけでなく、なぜ削除するのかについての理由を明記していただきたい。
 2 熊野市市議会は当初、追悼碑を当会とともに建立するために200万円の予算を計上しそれを可決したが、その予算は執行されていません。現在、その200万円がどのように扱われているのか、説明していただきたい。
 関連して、新屋英子さんが熊野市に追悼碑建立の基金として渡された10万円がどのように処理されたのかについて説明をしていただきたい。
 3 熊野市図書館に「木本事件」の資料コーナーを早期に設置していただきたい。設置しないのであれば、なぜ設置しないのかについての理由を説明していただきたい。
 4 お二人がなぜ異郷の地で無残に殺害されるに至ったのかについて、地元の学校で、あるいは社会教育を通して、反省する機会を設けていただきたい。
 5 昨年9月30日に熊野市の教育委員会の社会教育課に対して追悼碑の案内板を設置するように要望をしました。しかし、教育委員会からはいまだに回答がありません。早急に回答をしていただきたい。
 6 「木本事件」の詳細を明らかにし、お二人が無残に殺害された歴史的社会的原因を究明する機関を設置し、「木本事件」の真相を明らかにする調査報告書を、わたしたちの会とともに作成・発行していただきたい。

 昨年の追悼集会のあと、ほぼ同じ抗議要請文を貴職に送りましたが、回答をいただいておりません。ただひとつ、昨年9月30日に熊野市建設課を訪問し追悼碑の下のがけの危険個所について整備を要請したところ、この整備については調査と工事がおこなわれました。しかし、この工事の実施について、当会のほうには何の報告もありません。今年の9月になって当会が建設課に問い合わせて工事が実施されたということを初めて知りました。追悼碑の土地の管理者であり所有権者である会に対して、工事の事前連絡も事後報告もおこなわないまま工事を実施したのは異常な事態と言えます。
 いずれにしても、上記の市民団体の要請を無視する態度はあきらかに行政の説明責任を放棄するものです。 今回の6点の要望については、そのようなことのないよう、12月28日までにかならず文書での回答を求めます。
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