三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「八・一五」五一年後の「ポストコロニアリズム」 5

2013年12月17日 | 個人史・地域史・世界史
■五 日本民衆として
 民衆の研究機関であるアジア問題研究所が発足してからまもなく二〇年、『所報』が創刊されてからまもなく一〇年になる。この間に、ヒロヒトが侵略責任をまったくとることなく死に、日本政府とマスメディアの先導にしたがっておおくの日本国民が、その死を「哀悼」した。ソ連という国家体制が崩壊し、ロシアナショナリズムが強化され、東ドイツが西ドイツに「併合」され、ドイツナショナリズムが強化された。南アフリカ共和国の白人アパルトヘイト政権が打倒された。日本の陸軍と海軍が国外に出兵した。イラク、クルディスタン、チェチェン、ボスニア、ルアンダ……で大殺戮がおこなわれた。
 日本民衆は、天皇(制)を廃止し、日本の侵略の構造をうちくだき、じぶんの生活の向上のために他国の民衆から収奪することをやめないならば、アジアの民衆と連帯することはできない。
 「侵略の構造のなかの「共生」でなく、侵略の構造を破壊する共闘を」というよびかけに応え、わたしも「侵略の構造を破壊する共闘」としての歴史研究をすすめ、過去の侵略の事実を明らかにし、民衆のたたかいの勝利と敗北を総括し、日本帝国主義者の策動にひとつひとつ対抗していくたたかいの拠点を確実なものとしていきたい。
                                  (一九九六年七月)
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