世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

納豆を求めて国境を越える。インド北東部~ネパール入国。

2008年02月01日 20時31分05秒 | アジア


普通、インドのコルカタからバングラデシュへ旅する人は再度コルカタに戻るのが一般的なルートっぽいのですが、コルカタの宿で出会った日本人旅行者Hさんに「インド東北部のメガラヤ州は、チベット系や東南アジア系の少数民族がたくさんいて面白いですよ。」と聞いて、コルカタには戻らずにインド東北部へと抜けるルートを取ることにしました。一度通った道を戻るのは面白くないし、コルカタが大嫌いだし、そして何より決め手だったのは、Hさんの「メガラヤ州では、納豆が食べれるんですよ。」という言葉です。どうやらインドのメガラヤ州では納豆が地元料理として食べられているらしいのです。しかも日本の納豆とほとんど変わらない味なのだそうです。インドで納豆が食べれるとは(しかも地元料理として)、何という不思議な体験なのだろう!ということで、バングラデシュからインド北東部のメガラヤ州をめざすことにしました。
<ルート参照:どこなのコム>
http://www.dokonano.com/kisimt4/index.html

しかし、バングラ出国は順調には行きませんでした。

バングラデシュのビザには入国と出国をどこでするかが明記されていて、その場所以外での入出国はできないことになっているのです。もし、ビザに明記されている以外の場所から出国したい場合はダッカのイミグレーションオフィスに行ってロードパーミッションなる出国場所変更許可をもらわなければいけないのです。このことは、宿の情報ノートにも書いてあり知ってはいたのですが、”別にロードパーミッションがなくても大丈夫かも”という記述も情報ノートに見受けられたので、せっかくなのでパーミッション無しでの出国にチャレンジしてみるかと思い、そのまま国境まで来てしまっていたのです。許可をもらうためだけに、ダッカにあれ以上滞在するのは嫌だったというのもあります。なんせダッカは食べ物のバリエーションが少なく、ネット屋が遠い、という長期滞在には不向きな場所なので。

インドからバングラデシュへの石炭輸送が主な越境者というタマビル・ダウキ間のボーダー。

旅行者は少ないです。イミグレオフィスの名簿を見たら旅行者っぽい人は一週間で5人しかいなかったです。


まあ、大丈夫だろうとタカをくくってイミグレオフィスにいくと、係官(まじめそうな若者)は僕のパスポートのバングラビザのページを見て渋い表情になり、「君はここを通れない。コルカタに戻りなさい。ほら、ビザのこの部分に書いてあるだろ。ベナポール国境(コルカタ方面)か飛行機でしか入出国できないんだ。」という、まさかまさかのお堅い言葉をおっしゃられましたのです。もちろん「ハイ、すいませんでした。」と言って帰るわけにはいきません。せっかくダッカからはるばるこんなバングラデシュの北の果てまでやってきたのに、また同じ道をダッカまで引き返すのなんて、絶対に嫌です。ましてやまたあの嫌いなコルカタに戻るのはもっと嫌です。そして、戻るとインドで納豆が食べれない!

これは、パーミッションなしで国境を越えれるかどうかの勝負なんだ!ここが勝負所だ!と自分を奮い立たせて、係官の説得に挑みました。

「え!?そんな事知らなかったんです。コルカタ領事館の人もビザをくれる時にそんな事一言も言わなかったし(本当に)。インドのメガラヤ州に今日中に行かなきゃ行けないんです(ウソ)。お願いします!お願いします!」と、泣きそうな顔で頼み込みました。実際、本当に追い返される事を考えると(あのダッカやコルカタにまた戻ることを考えると)、本当に泣きそうな気分になりました。必死の説得の甲斐あり、彼は上司に電話で相談をしてくれました。電話での会話は初めは和やかな感じだったけど、僕の状況を上司に話しているうちに、だんだん暗く硬い雰囲気になっていき、案の定、電話を切って「ボスは駄目だって言ってる。残念だけど、ダッカに帰ってくれないかな。」と言いました。

僕は途方に暮れてしまいました。彼も随分と気の毒そうな表情になってきています。お互いちょっと涙目になってます。しかしあきらめるのはまだ早いです。次は、ほめ殺し作戦で彼の心に迫りました。「バングラデシュは美しくて素晴らしい国だったよ。人も親切だった。この国が好きになったんだ。でも、最後にこんなことがあったら、悲しい思い出のままバングラデシュを出国しなきゃいけない。とにかく、お願いします!」と土下座をせんばかりの勢いで頼み込みました。彼も、ほとほと困った顔になっています。しかし、しばらくすると彼の表情が何かを決意した顔になりました。「君を通してあげよう。そして僕にお金をくれ。」「・・・・・!!!」ついにワイロ要求来た!!!元々、ワイロは最後の手だと思っていて、あまり使いたくなかったけど、他には方法がなさそうだし、彼の気持ちが変わる前に即座にオッケーを出して、「ありがとう!ありがとう!」と感謝の言葉を言いました。その後、しばらく金額交渉があり、ダッカ経由でコルカタに戻るのに使うのと同じくらいの金額で折り合いがつきました。パスポートにスタンプをもらい、彼にお金を渡して、お互いに「アーユーハッピー?アイムハッピー!」と言って握手をして別れました。
実は、悪に手を染めてしまったことの罪悪感もあって心底ハッピーでもなかったけど、深く安堵のため息が出ましたね。よかったよかった。

そして国境を越えた先のインドは、僕の知っているインドとは全然違っていました。噂どおり日本人と変わらない顔をした人がたくさんいるし、日本人とはちょっと違うけど東南アジア風の人も多いし、タクシーはぼってこないし、涼しくて空気はきれいだし、まるで違う国のようです。バングラデシュのほうが、まだインドっぽいくらいです。外国人観光客自体がほとんどいないので、インドでおなじみの「フレンド!コンニチワ!ハワユー?」という攻撃は全く無かったです。メガラヤ州素晴らしいです。

ほっと一息ついた茶屋。

ちょっと日本っぽい木造の造り。こういう所でもほっとさせてくれます。

スモウという名前の乗り合い四駆。黄色。山間の町や村ばかりなので、四駆が便利なのでしょうね。

スモウに乗り、国境から約3時間山道を登り、また登り、州都のシーロンという町に着きました。高度が上がって寒いです。でも、空気がさらに澄んだ感じがします。

東南アジアっぽい顔の人達。

こういう東洋人っぽい顔の人はインドではあまりいなかったですね。



そして、ここへ来た最大の目的「納豆」を求めてカーシ料理(メガラヤ州の地元料理の名前)の食堂へ行きました。食堂の名前はなぜか「トラットリア」。

店内はなぜか教室スタイルで、みんな長机で同じ方向を向いて食べています。


そこで食べた納豆と豚のご飯。

初め見た時は、え?これが納豆っすか?と思いましたが、どうやら写真の皿の上部の緑色のどろっとしたものが納豆ということだそうです。ひき割りの。見た目はかなり得体の知れない食物という感じで、食に関してはかなり保守的な僕は相当びびりました。恐る恐る口に入れてみると、味は紛れも無く納豆でした。謎の緑色は、カーシ料理特有の調味料で色がついているみたいです。豚肉も量は少ないけど、柔らかくて角煮のようでした。結論としては、カーシ料理は、たいそう美味しかったです。いやー、ここまで来た甲斐があったというものですわ。


メガラヤ州の”メガラヤ”というのは「雲が多い」という意味らしいです。その名の通り、毎日思いっきり曇っていました。そして雨も多かったです。寒かったです。

雲・雲・雲

晴れていれば向こう側にはバングラデシュの黄金色の大地が広がっているらしいですが・・・

シーロンには三泊して、次はアッサム州の州都グワハティを目指しました。しかし、そこからネパール・カトマンドゥまでの道は長く辛いものになりました。。。

グワハティへ向かう途中の山間の村にて


シーロンからグワハティに向かうバスで、隣の席のダージリン州のインド人にお茶などをご馳走になり、暖かい気持ちで夕方にグワハティに着きました。バスの着いた場所は、バスターミナルが目の前にあり、半径500m以内に安宿が何十件も並ぶ、夕方に町に到着するというシチュエーションにおいて最も便利な場所でした。そのまま夜行バスに乗り換えて次の町に行ってもいいし、近くのよりどりみどりの宿の中から一つ選んで一泊し、翌日に移動してもいいのです。僕の場合は、せっかくなのでアッサム州も一日くらいは観光したいので、一泊することにしました。

近くの手頃な宿に行ってみると、シングルはフルだけど一泊200ルピー(600円)のダブルなら開いているとの事でした。これだけホテルがあれば、他にもっと安い所があるだろうと思って、他を探すことにしました。2件目は、「日本人は泊まれない。xxxというホテルに行け。」という返答。そしてそのxxxに行ってみると「外国人用の部屋はフルだ。yyyに行け。」という返答。そしてそのyyyも外国人用はフル。というか雰囲気的に外国人にはそもそも部屋を使わせていない様子です。元々アッサム州はホテルに外国人の宿泊に制限を設けているらしいことは知っていたのですが、まさかここまで厳しいとは。ガイドブックには「ホテルは多数あるので、夜遅く着いても何とかなる」と書いてあったけど、状況が変わったのだろうか。。。(後で判明したのですが、翌日が祝日というのが原因らしい)

仕方なく、最初のホテルに戻ると、なんと「フル。」の冷たい一言。別のホテルを周っている僅か30分ほどの間に部屋は別の客に取られてしまったようです。ああ、ショック。その後、20件以上のホテルをしらみつぶしに訪ねたけど、全てフルか外国人拒否のどちらかでした。外はすっかり暗くなってしまいました。UAEのシャルジャ以来の野宿の危険が迫りましたが、幸いバスターミナルが近くにあったので、もう夜行バスで移動することにしました。チケットを買うと最後から二つ目の席でした。最後尾です。でも、ギリギリバスに滑り込めてよかったです。

ホット一息ついて、夕食に辛すぎてとても完食不可能なカレーを食べて、バスに向かうと、暗闇の中に南米ボリビア以来ともいえる超ボロいバスが待っていました。荷室が無いので、バックパックは通路に置きました。それをインド人が通るたびに踏んづけていきます。くそぅ。そして、最後尾の席はエチオピア以来とも言える狭さでした。膝と前の座席の間隔がほとんどありません。そしてリクライニングは無し。その上、前の席はリクライニングできるみたいで、僕の一つ隣の席は、前の座席のリクライニングが故障で前に戻らないと言う冗談のような過酷さでした。その僕の一つ前の故障している席には、今日の昼間にグワハティ行きのバスで席が隣だったダージリンのインド人(ナイスガイ)でした。しかし、出発時間が迫ってきて客がどんどん増えていき、夜行バスにもかかわらず立ち客が出始めました。ダージリンの彼のチケットはどうやら座席指定のチケットではないらしく、立たされることになったのですが(10分以上口論の末、渋々席を譲った)、僕の隣の裕福そうな恰幅の良いインド人紳士が、彼に情けをかけて自分の席に無理やりスペースを作って彼を座らせてあげたのです。もちろん僕の席にもしわ寄せが来ました。これで二人分の席に大の大人が三人。しかも僕の隣は前の席のリクライニングが壊れているので超狭い席。アフリカ以来に経験するすさまじい圧迫感です。ちょっと身体を動かすとどこかにぶつかります。しかも立ち客の出ていた通路はいつのまにか一杯になり、僕のバックパックの上にはおっさんが座っています。勘弁してくれ・・・

この地獄は、バスが出発してからが本番でした。インドなので舗装されている道を走っているはずなのですが、バスがボロ過ぎてサスペンションが全く効かないのです。ちょっとした振動でも激しくシェイクされます。アフリカのボロバスで未舗装の移動を経験した人ならご存知でしょうが、最後尾の座席は最も揺れが大きいのです。少しでも大きい段差があると膝が前の座席に激突し、天井か窓に頭がぶつかります。その度に最後尾の乗客全員が「ワォ!」「アウチ!」「シット!」と口々に叫びます。はっきりいって相当キツイです。こ、この移動が12時間も続くのですか・・・。これほどの超ベリーハードな移動は、アフリカや南米のガイアナ以来ですね。アジアもなかなかやるのう。隣のインド人紳士は、休憩後の再出発時にこう言いました。「俺達は目的地に向かって再出発するんじゃない。地獄へ向かうんだ。」と。
でも、通路の立っている客よりは楽ですよね。多分。

2時間ほどの浅い睡眠の末(それでも2時間くらいは眠れるものなんですね)、ガタガタの身体で国境の町シリグリに着き、乗り合いタクシーなどを乗り継いで憧れの国ネパールへ入りました。

そして二夜連続の夜行バスで首都カトマンドゥへ向かいました。疲れていたけど、一刻も早く癒しの楽園カトマンドゥでゆっくりとしたかったのです。相場よりも遥かに高い料金のバスだったのでかなりの豪華バスを想像していたのですが、前夜の地獄バスとほぼ同じグレードでした。ぼられたのか・・・。今回は座席がかなり前の方だったので、揺れはそこそこ大丈夫だったのですが(もちろん結構揺れているが)、窓の隙間風が凄くて寒さがすさまじかったです。途中大雨が降って雨漏りで服が結構濡れたし。真冬の服装をしていても寒さであまり眠れませんでした。
圧迫揺れ地獄の次は冷凍地獄なわけですね。なるほど。天国と言われるカトマンドゥへは、そう簡単には着かせてくれないわけですね。

そうして、ようやく、カトマンドゥへ着き、日本食屋で本物の納豆を食べたのでした。


本当に涙が出るくらい美味しかったです。

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