さやかな岸辺

短歌という風の中州の草はらに言葉の卵をあたためています

りいふ7号・10首

2013-01-10 05:41:51 | 自作短歌

すこし睡ろう                    岸原さや           

                                         

雪解けの伏流水のわく池に夏の少女がひたすくるぶし

すずやかな風は水面をわたりきて羽黒蜻蛉がやすむ水茎     ※羽黒蜻蛉・・・はぐろとんぼ

ひるがおの蔓のさみどり空へ伸び しらべのような花の連なり

まひるまに日傘をたたむそのように眩しみながらさよならを言う

うっすらとあなたの影をしりぞける琉球硝子の水差しの青

わだかまる思いののこるゆびさきでひどく寡黙なラジオをつける

もういちど生まれたならば無防備にだれか愛せるひともあろうか

ひそやかに陽はしずみゆく窓の外だれもしらないわたしのこころ

まだ海をみたことのない猫が聴く 波のCD すこし睡ろう

桜貝のかけらの残る空き壜をすすいですてる明日の朝には

 

※ 初出・・・「りいふ」7号(2012年11月15日発行)

Copyright(c) Saya Kishihara.All Right Reserved.

コメント (6)   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

りいふ5号・10首

2013-01-10 05:15:10 | 自作短歌

花と火と水                   岸原さや               

                                            

花の名を呼びだすように寝台でひらくカラーの鉱物図鑑

ほほべにをさせばほのかにさみしさのさゆらぐ朝よ 青めく鏡

「泣かないで」きみは言ったねあの夏の朝はやさしいいきものだった

噴水のつぶつぶのようわたしたち落ちてふたたび噴きあがるみず

わたくしが気配を消せばおもむろに闇に満ちゆく秋の虫の音

ていねいに消した火がある二人して熾し両手をかざしたあの火     ※熾し…おこし

まどろみのしずかな窪みきみの夢にホログラフィとして揺れるかわれは

手をあてる痛む場所へとやわらかくそのほのかさを手当てと呼んだ

花ならばしおれるときも花であり 給湯室にみちる宵闇

終電後 ホームの椅子のうす青く 今からが汝のしずかな時間            ※汝・・・な

 

※ 初出…りいふ5号(2012年3月15日発行)

Copyright(c) Saya Kishihara.All Right Reserved.

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

世界への交信と祈り   ―笹井宏之をめぐって―   岸原さや

2013-01-10 01:30:02 | 笹井宏之論

短歌をつくる

短歌をつくるとは、どういうことだろう。

短歌をつくり始めたばかりの人。歌歴半世紀以上の人。日々過ぎ去る日常を一行日記のように短歌で書き留めたいと望む人。定型が紡ぐ世界に魅力を感じ、鑑賞者から創作者の側に移行した人。自分が今、ここに生きていることを刻印したいと願う人。あるいは世界への洞察をリズムある箴言として綴りたい人……。どの人にもそれぞれの内的必然性とスタンスが存在する。すべての人に死が等しく与えられているように、歌を詠む者すべてに31音が等しく与えられている。死が生を照り返すように、5・7・5・7・7の5句31音の定型が表現の密度を高める。

世界と自己と短歌。その関係性を、私は考える。

本稿では「平明なのに、そのよさが説明しづらい」と言われることの多い笹井宏之の短歌について、その始まりから辿って特質を探究してみたい。また笹井自身の言葉や、彼をめぐる人々の評言も整理しておきたい。

 

笹井短歌を論評する難しさ

彼の短歌を論評する難しさを斉藤斎藤はこう記した。「一首一首に難解なところはないのに、よいと感じる歌も、どこがどうよいと言うのが、むずかしい。そして、笹井宏之論を書け、と言われると、論というよりエッセイになってしまいそうです」。宇都宮敦も、笹井短歌がフラットな口語短歌で措辞にかなり音数を割くため、結果的に使える名詞の数が少ないと指摘したのち、「名詞の数がすくないのにそのすくなさで (なんでそういうことができているのかよくわからないんだけど) 圧倒的詩的世界の構築に成功している」と述べ、分析的手法の及ばない領域が笹井短歌に存在することを示唆している。(※ともに『風通し その1』より)

 

笹井短歌の始まり

笹井宏之は2004年、22歳の秋から短歌をつくり始めた。彼は後に、『ひとさらい』(2008年発行)のあとがきで次のように記している。

 

「短歌は道であり、扉であり、ぼくとその周囲を異化する鍵です。キーボードに手を置いているとき、目を閉じて鉛筆を握っているとき、ふっ、とどこか遠いところへ繋がったような感覚で、歌は生まれてゆきます。それは一種の瞑想に似ています。どこまでも自分のなかへと入ってゆく、果てしのない。」

 

 「それは一種の瞑想に似ている」  この言葉には、静かに目を瞑り、世界の音と自己の内面の声にじっと耳を傾ける青年僧のような風貌が感じられる。彼の短歌にはしばしば独自の静謐さと、「この世」的世界を離脱する空気感が漂うが、その源は世界に対するこの瞑想的な姿勢にあるように思う。

 

二十日まえ茜野原を吹いていた風の兄さん 風の母さん  ( 『ひとさらい』 )

ここでは人っ子一人いない夕暮れの野原に風が空しく吹く情景が浮かぶ。死後のイメージと言ってもいい。「二十日前」とあることから、その風の消息も今は知れない。「私」が(あるいは「風の私」となった「私」が)「風の兄さん」や「風の母さん」をさがしても、茜野原ではもう出会えないのかもしれない……。そんな虚ろな哀しみが予感される。

 

一生に一度ひらくという窓のむこう  あなたは靴をそろえる  ( 『ひとさらい』 )     

この歌では、現実を超えたシュールな世界が現出している。ここでもリアルモードの読みは無効だろう。「窓」は閉ざされている。だがそれは一生に一度だけひらくという。窓が何の喩なのかはわからない。だがその「一度」を逃したら取り返しがつかないような瞬間だという感触は伝わってくる。そしてそのようにしてひらく「窓のむこう」で「あなたは靴をそろえる」。「あなた」とは誰なのか。「靴をそろえる」とはどんな意味か。説明可能な手がかりはない。にもかかわらず「あなたは靴をそろえる」という行為が極めてさりげない動作でありながら、厳かな、世界をただしくととのえようとする神聖なふるまいとして立ち現れる。

 

しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだろう ( 『ひとさらい』 )

おそらく、熱に倦んだ「私」が自分の頭をひんやり受けとめてくれる氷枕に、ふと「もの」を超えた優しさや慰めを覚えた瞬間があったのだろう。「このまくらは以前人間だったことがあり、病む者のこころがわかるのかもしれない」  そんな、「もの」との交感が伝わる歌だ。さらに深読みが許されるなら、自分もしっとりとつめたいまくらに生まれ変わり、誰かを慰めることがあってもいい……そのような転生願望さえ感じ取れなくもない。

 

「モルミルス」的交信

笹井は小学生の頃からしばしば体調不良を覚えた。高校一年の一学期には登校すると体が硬直するなどして通学困難になり、自宅で療養生活を送るようになる。体調の良い時には自宅周辺や病院、通院途上の図書館など、ごく限られた場所への外出はしたものの、20歳夏から22歳夏までの二年間は極度の体調悪化と精神不安定に襲われたという。そんな彼がその年(2004年、22歳)の秋から短歌をつくり始める。

若き詩人、斉藤倫はその頃の笹井を次のように回想している。

 

「笹井さんは、2004年に出たぼくの最初の詩集をどこで知ったのか、読みたいといってメールをくれて、ぼくは短歌を書く人だとさえ知らず、詩集を売った。つまり数少ない最初の読者だ。そのうち彼のつくった歌を知り、こんなことをいうのは申し訳ないけど、なんてぼくに似ているんだろうとおもった。もちろんそんなわけはなくて、それは笹井さんのマジックなのであり、笹井さんにハマる人はみんな、なんて自分に似ているんだろうっておもうのだ。それがハマるっていうことばの本来の意味だからね。そのあとハガキやメールでやりとりをしたり、迷惑とおもいつつも、お体に障りそうな重たい詩誌を送りつけては感想をいただいたりしてた。(でも、初めに、詩の同人誌というものを見たことがないのでぜひ送ってほしいといってくれたのも笹井さんだった。」 ( 『生命の回廊vol.1』「笹井さんのこと」 )

 

笹井はインターネットを通じてさまざまな人への交信を試みていた。その身をナマな現実社会には置けなかった彼が、有名無名を問わず何か感じるところがある人に、自分の直感だけを頼りにコミュニケートしていったのだ。

私はある魚の話を想起する。『ぼくらの鉱石ラジオ』(小林健二著)という本に書かれたそれは、濁った大河に住むモルミルスという魚である。彼らは河の濁りのせいで視覚によって同種の個体を認識し合うのが難しい。そのため、体の横にある電気的感受器官で他の仲間と交信する。ごくごく微弱な電磁波を放電し合い、その律動を鋭敏に感受することで互いの愛すべき個体を認識し、コミュニケートするというのだ。そんな「モルミルス」的交信を笹井はケータイメールやパソコン通信でおこない、さらに短歌へと近づいてゆく。

翌2005年の春に彼は「かばん」の購読会員になり、「かばん関西メーリングリスト歌会」(※会員制のインターネット歌会、略称МL歌会)で毎月作品を発表するようになる。またJ‐WAVE「笹公人の短歌Blog」や枡野浩一のサイトにも、ネット投稿を始める。

笹公人はそのときの驚きを次のように語っている。

 

「笹井の存在は最初から目立っていた。投稿作品の中に玄人顔負けの口語短歌や前衛短歌風の歌があったからである。(略)かと思えば、他の初心者と同じような拙い歌も平気で投稿してくるので、この男はいったい何者なのだ? と強く印象に残った。初めてメールのやりとりをした時、彼がまだ二十代の前半であること、短歌史についてまったく疎いこと、そして短歌をはじめてまだ一年も経っていないという事実を知った。」(『新彗星』3号 「短歌の申し子」)

 

笹井は、同年6月締切の第4回歌葉新人賞に「数えてゆけば会えます」という三十首連作を応募。10月の選考会で受賞が決定する。

 

世界と笹井と短歌の関係

笹井は「歌葉新人賞 受賞のことば」で次のように記した。

 

「ことばは、雨のようだ。(略) はじめは、短い詩ではなく音楽をつくっていた。音楽づくりは、僕に日照りと洪水をいちどに起こさせる。動かないこころとからだには、たいへんな作業だった。三十一音というかたちは、療養生活に馴染みやすいものだったのかもしれない。
きょうも雨を乞う。
誰も立ち入ることのできない場所にひっそりと降ってくる、ひとしずくを待つ。
耳を澄まして、読んでほしい。」(『短歌ヴァーサス』10号 )

 

そして歌葉新人賞受賞の一年後(2006年末)、加藤治郎に迎えられて「未来短歌会」に入会。その後一年も経たぬうちに2007年度の「未来賞」を受賞する。そして翌2008年、『ひとさらい』を出版し、若手歌人の旗手として大きな注目をあびる。

このころ短歌と自分と世界との関係を、彼は次のように語った。

 

「おおむね、短歌=自分(ひとりの作中主体)を見せる、ですよね。それを無意識に捨ててしまっているんじゃないか、という気がします。」
「(療養生活について)これが、癌だとか、死につながる病だと違ってくるのかもしれませんが、とりあえず寝ておくしかなく、自分を肯定しておくしかない微妙な状態なので、逆に自分にはこの詠い方しかない、という気持ちが強いですね。」 ( 『新彗星』 創刊号「私たちの向かう場所」 ) 

 

笹井は社会的に不如意な自分を織り込み済みの与件として受容したところから出発している。そのせいか、彼の作品には自意識の過剰さや被害者意識的嫌味は感じられない。痛みは存在するが濁りがなく清潔である。しかも軟弱ではない。たとえば次の三首。

 

影ふみのつよい人にはたくさんの影を与えて踏ませればよい ( 『ひとさらい』 ) 

軽蔑をはじめて軽蔑おわるまで真っすぐ地平線をみている       (  〃  )

札束でしあわせになるひとびとをまつげあたりで肯定してる 

                                              (かばんML歌会07年1月 → 『てんとろり』)

笹井は「炭鉱のカナリヤ」のように時代閉塞の実感をいちはやくその身に感受していたのかもしれない。富は偏在し、不況の出口はなく、若年労働者は使い捨てられ、年間三万人が自殺する日本である。その社会構造を維持補強するシステムが揺らぐ気配はない。この三首にはそんな世界への反感・拒絶・皮肉が見える。笹井の歌は「優しい」「癒される」と言われるが、甘くはない。その芯には倫理的な潔癖さや本来有るべき世界への希求がある。歌に「ただしく」「きちんと」という語が多数登場するのも、それを裏づける。

 

 こん、という正しい音を響かせてあなたは笹の舟から降りる   ( 『ひとさらい』 )

 いつかきっとただしく生きて菜の花の和え物などをいただきましょう

                                              ( かばんМL歌会07年2月 → 『てんとろり』 )

 たましいのやどらなかったことばにもきちんとおとむらいをだしてやる

                                                    ( 『未来』09年4月号 → 『てんとろり』 )

ひとさらい

穂村弘は2008年5月24日、博多で開催された「『ひとさらい』を語る会」でパネリストを務めたのち、加藤治郎との対談の中で「風圧」という語を使った。「近代がどんどん貧しくなっていって、もうプログラムがどんどん閉じていって、で、今その末端に来ていてね、笹井さんの歌集なんか読んでも透明ですね、透明な被害者みたいな感じがすごいあって、これはもう彼個人の問題じゃなくて、斉藤斎藤だってやっぱりそうだろうと思うし、それに対するスタンスや反応が違うだけで、受けている風圧みたいなものは非常に似ている」   (『新彗星]2号 「穂村弘と語る『ひとさらい』と現代短歌」)

 

 いつもより遠心力の強い日にかるくゆるめたままの涙腺   ( 『ひとさらい』 )

安物の衣類をまとい夕暮れと夜のさかいに立ち尽くす主婦     (  〃  )

上空のコンビニエンスストアから木の葉のように降ってくる遺書  (  〃  )              

生涯をかけて砂場の砂になる練習をしている子どもたち

                           ( 『風通し その1』「ななしがはら遊民」 →  『てんとろり』 )

かわむきき 誰かのために皮を剥く かわむきき かわむきき かなしい 

                                         (  〃  )

前述の「語る会」において「ひとさらい」という歌集タイトルの意味を問われた際、笹井は、「さらう」という語には「川を浚う」というように「汚れをきれいにする」という意味もある、と答えた。

私たちの生きる世界が人を損なうシステムであるという悲しみは、私たちのこころに世界の修復と再生への希求を生む。笹井の短歌が慈雨のように読み手に届くとしたら、それは彼の作品にある愛の無償性が世界再生への希求と深くリンクし、祈りにつながっているからだ。

 

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす ( 『ひとさらい』 )

鞄からこぼれては咲いてゆくものに枯れないおまじないを今日も   (  〃  )                 

笹井の命は『ひとさらい』刊行の約一年後(2009年1月24日)、インフルエンザによって失われた。短歌を始めてわずか4年半後のことだ。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ この文章の初出…「未来」2010年6月号   (本稿へ転載するにあたり推敲を加えました)

☆ 笹井宏之 第一歌集 『ひとさらい』 2008年(Book Park) /2011年(書肆侃侃房)

   http://www.booknest.jp/detail/00006014

   http://www.kankanbou.com/kankan/item/408

  笹井宏之 第二歌集 『てんとろり』 2011年(書肆侃侃房) *遺稿:加藤治郎選/中島裕介制作進行

   http://www.kankanbou.com/kankan/item/409

  笹井宏之  『八月のフルート奏者』 2013年(書肆侃侃房・新鋭短歌シリーズ) *佐賀新聞発表歌ほか、新たに発見された短歌と作品の集成

    http://www.shintanka.com/shin-ei/kajin/sasai-hiroyuki   

 

Copyright(c) Saya Kishihara.All Right Reserved.

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

永井祐 『日本の中でたのしく暮らす』にみる現代との関わりと、「わたし」の奪還     岸原さや   

2012-12-13 21:06:39 | 永井祐論

作者と歌集プロフィール 

『日本の中でたのしく暮らす』(ブックパーク)は若手歌人、永井祐の第一歌集である。本歌集巻末のプロフィールには次のように記されている。

 【1981年、東京生まれ。18歳ぐらいのころ作歌をはじめる。サークル早稲田短歌会に入会。歌会・勉強会・他大学との合同合宿を行う。水原紫苑の短歌実作の授業に参加する。2002年、北溟短歌賞次席。2004年、第3回歌葉新人賞の最終候補。ガルマン歌会などフリー参加の歌会、批評会等に参加しつつインターネット上でも活動。2007年、「セクシャル・イーティング」に参加。2008年、「風通し」に参加 

 「セクシャル・イーティング」とは、石川美南・今橋愛・永井祐・光森裕樹の四人が、2007年8月19日~12月1日までの百五日間、毎日の食事を記録し、毎月短歌を十首詠んでネット上で発表した企画。

 「風通し」はWEB上で展開された歌会をもとに編集発行された〈そのつど同人誌〉。メンバーは、我妻俊樹・石川美南・宇都宮敦・斉藤斎藤・笹井宏之・棚木恒寿・永井祐・西之原一貴・野口あや子の9人。  永井は短歌結社には所属せず、主に同世代の若手歌人とのゆるやかな繋がりのなかで短歌をつくり、発表してきたと言えよう。

 

まとまった形で初めて読む永井祐作品 

 永井祐といえばフラットな口語短歌をつくる歌人として注目されてきたが、私にとって今一つその全体像の把握は難しかった。 その詠風は一見稚拙に見えるほどシンプルである。だが背後には意外に勁い補助線が存在するのではないか? 今回歌集というまとまった形で永井作品を読む機会を得たので、作者が何を志向・企図し、それがどんな意義や可能性を持つのかを考えてみたい。

 

あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな      

2002年に発表され話題になった作品。  猛スピードで走る青い電車。その電車との接触場面の映像が脳裏によぎる瞬間をつぶやきの形式で作品化している。「はね飛ばされたりするんだろうな」は潜在意識から届く声のように響き、〈微妙に遠い生々しさ〉を読者に手渡す。言語化されることで改めて呼びだされる感覚というものがあり、これはその呼び出しに成功している。

 

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる    

 「わたしは別に」と脱力的に始まり「撮ったりして暮らしてる」と終わる。「わたしは別に/おしゃれではなく/写メールで/地元を撮ったり/して暮らしてる」と、七七五八七音とすれば三句目の「写メールで」が短歌の腰を押さえており云々……と言えるのだが、私はむしろ、散文的に上から下までするりと読みくだすのが適切と思う。「腰押さえ」の読み筋を採用すると、一首の中で「写メールで」が強調され浮き出てしまうからである。

この歌は「わたし」の生活様式を「こうですよ」と示しているだけで、他には何も言っていない。他には何も言わぬため、つまり限定や強調を避けるため、このフラットな形態が選択されているのだと思う。

私はこの作品が2007年9月に発表されたことに注目したい。「おしゃれではない」「地元で写メールを撮ったりして暮らしてる」という情報には、2007年における特別の意味と価値があるからだ。

日本は1991年3月にバブルが崩壊して以降、二十年にもわたる不況の中にある。その出口は今も見えない。だがその雲間に輸出産業の好転を受けてプチバブルを迎えた時期があった。2005年後半から2008年の約三年間である。株価は上昇し投機ファンドの村上世彰が時代の寵児と呼ばれていた。彼は2006年後半に株のインサイダー取引容疑で逮捕されたが、逮捕前の会見で「金儲け、悪いことですか?」と言い記者団を沈黙させた。株価は2007年7月にバブル崩壊以後の最高値を付け、その後下がるのだが、プチバブルの名残りは2008年9月のリーマンショック直前まで続く。

 哲学者の池田晶子は2006年10月発行の『知ることより考えること』(新潮社)の中で次のように書いている。 

 「小中学生の間で株がブームになっているという記事を読んだ。/子供向けの投資教育セミナーも大盛況で、参加した子供が言うには、『お金持ちになりたい。貯金が五十万になったらデイトレードを始め、一億円稼ぎたい』/端的に私は、死にたいと感じた。こんな世の中に、これ以上生きていたくない。」 

こうした時代の文脈を踏まえると、永井が2007年に「都会より地元」「おしゃれよりフツー」「お金をかけずに遊ぶ」というスモールモデルを提示したことは注目されてよい。時代の逆を行く抵抗だったと読みかえることができるからだ。

 

バブル崩壊後のロスジェネ世代

大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋

                              俵万智『サラダ記念日』(1987年) 

さらに時代を遡ってみよう。

1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間をバブル景気と呼ぶ(*註)。この一首はその時代の空気を反映している。『サラダ記念日』が出た頃の永井は六歳位。 その後彼が十歳前後でバブルがはじける。株価が急落し、地価が下がる。不良債権問題が深刻化する。企業の業績も悪化し、倒産やリストラ、新規社員採用の抑制による苛酷な就職難が到来した。1997年頃からは経済政策の失敗により、大手金融機関が破綻や統廃合を余儀なくされ、以後長い就職氷河期が続く。1993年から2005年の12年間に大学卒業を迎えた世代(1970年から1982年生まれ)は大卒時に就職氷河期に遭遇した受難の世代となり、ロストジェネレーション(略してロスジェネ)と呼ばれる。前掲の永井が参加した同人誌のメンバーでは、今橋愛・光森裕樹・宇都宮敦・斉藤斎藤・笹井宏之・棚木恒寿・西之原一貴がロスジェネ世代に該当する。

 

ここにある心どおりに直接に文章書こう「死にたい」とかも   

何してもムダな気がして机には五千円札とバナナの皮         

五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いとおもう          

一首めは2002年の出来事を詠んだ連作中の作品。やりきれなさや無力感が漂う。

二首めの結句「バナナの皮」の字足らずの体言止め。あきらめを超えた投げやりな感じを与える。三首めの「五円玉」と「春はとっても遠いとおもう」の組み合わせにも未来への希望喪失が窺える。

 先にも記したが、この後2005年後半から2008年の約三年間にプチバブル期が訪れた。

次は先行世代が仮りそめの豊さに浴していた時の歌。

 

水母のような代用品にみちていてさしあたりしあわせなぼくたち

                                加藤治郎『雨の日の回顧展』(2008年)

勝ち組・負け組という言葉が躍っていた。だがこの時も就職の採用は新卒に集中し、ロスジェネ世代の既卒者は時代の恩恵を受けることがなかった。 その後、新自由主義の名のもとにグローバリゼーションが進む。国際競争の激烈化の中で企業は生き残りのためさらなる固定費の削減、つまりリストラや正規雇用の抑制を図る。非正規雇用が拡大し、日本は下流社会化した。

 

みんなまけみんなまけぺらぺらのマスクに顔を包んであゆむ  

                                      加藤治郎『しんきろう』(2012年)

いわば、ロスジェネ世代が貧乏くじを引かされて受けて来た風圧を、いま遅れて多くの者が経験しているのだ。逆に言うと、永井たちの世代から学ぶべきことがある筈なのだ。

 

 ◆作者はどこにいるか 

ここで永井の作品に戻ってみたい。彼はどこにいて何を歌にしているのか。

歌集の全274首のうち、部屋(家)の中にいる歌が12首ある。

 

テレビの台にティッシュを2枚しいた上にお餅をのせてみかんをのせる     

お正月を迎える歌。〈マイ鏡餅〉完成までの動作を順序正しく書いている。「ティッシュを2枚」の「2枚」にリアリティがある。

部屋の外にいる歌はどうか。場所が確定できるものは約百首あり、そのうち家路・坂道・駅の連絡通路を移動中の歌が約三十首、電車の中や駅ホームにいる歌が約20首ある。

 

夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社   

リクナビをマンガ喫茶で見ていたらさらさらと降り出す夜の雨

                           ※リクナビ…就職情報

公園・駅付近・ドラッグストア・コンビニ・レンタルビデオショップ(ツタヤ)・マンガ喫茶・マクドナルド・西友・デニーズ・ブックオフ・ゲームセンター・カラオケ・駐輪場・交差点・歩道橋・駅ビルの連絡通路・道ばた。彼が描く短歌風景は電車の中から駅、駅から住宅街、ほぼそのルートに集約される。日常の移動の中で歌が生成されているのだ。歌集中盤からは、友達とのお花見や飲み会の帰り道・「君」と歩く道・湾岸の美術館・冬のディズニーシーなど、行動半径が広がり彩りや躍動感が出てくる。そしてその日常の中から、相聞歌も登場する。

 

たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のままわたす 

元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれた 

君に会いたい君に会いたい 雪の道 聖書はいくらぐらいだろうか   

この歌集では架空(空想)の場所・過去の場所は登場しない。自分が今いる場所が歌われる。これは何を意味するか。作品の中心点は「今のわたし」にあり、作者と作中主体はほぼイコールで、私性がきわめて高いということだ。その「わたし」の位置から現代日本のありふれた風景が描かれる。コンタクトをした0.8ほどの視力で、見える風景の見えたままの縮尺をキープし、写し撮る。そのキープ力の靭さが非凡だ。

 

おじさんは西友よりずっと小さくて裏口に自転車をとめている

 

選ぶ ~自己把握と世界選択~  

次の三首で永井は「僕」の好む風景を明確に定義している。興味深いので引用する。

 

高いところ・広いところで歩いてる僕の体は後者を選ぶ     

建物がある方ない方 動いてる僕の頭が前者を選ぶ         

整然と建物のある広いところ 僕全体がそっちを選ぶ  

「僕全体が~を選ぶ」とは独自のスタンスである。ここには自己の全体性を明晰に意識化する態度と、世界への選択的姿勢が顕著だ。換言すれば「自己把握と世界選択において主導権を握っているのは自分だ」という強い自己意識をここに見ることができる。

 

お金、そして前世代の価値観からの脱却 

 

大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円   

1千万円あったらみんな友達にくばるその僕のぼろぼろのカーディガン 

一首め。大みそか、作者は渋谷のデニーズの席で一万円札をずっとさわっている。愛おしそうな仕草で。月末のバイト代が入ったのだろうか。

二首めは全三十八音でかなりの字余り。

 「ともちにくるそのくのろのカーン」。これらの濁音が重さを伴ないながら一定の調べを形成している。

作者は「1千万円あったらみんな友達にくばる」という。だが本人は「ぼろぼろのカーディガン」を着ている。貧しさと一千万円。この距離を「みんな友達にくばる」と宣言することで一挙に無化させようとしている。渋谷のデニーズで一万円札の感触を味わいつつ、お金から自由でありたいと希求しているのだ。作者の価値の優先順位は明快だ。お金より友達。世界の価値の序列から離脱し、自分の価値観の採用を夢見る。大げさに言えば世界の脱構築を企図している。

 

人のために命をかける準備するぼくはスイカにお金を入れて    

この歌集にはお金を詠み込んだ作品が多い。お金の歌が九首、「高い・安い・いくら」等の関連語まで含めると十二首がお金の歌である。お金がこの歌集のキイワードだ。

お金は質の違う全てのものを交換可能なように測る尺度である。社会が多様化するにつれ欲望も多様化し、お金を通して交換される。するとお金はそれ自体で人間の欲望を全て実現できる最強ツールのように実感されるようになる。それで人は知らぬ間にお金そのものが欲しくなり、お金で物の価値を比較し序列化するようになる。そして本来自分が欲していなかった物まで(皆がそれを欲しがるから)欲しがるようになる。しかしそれは何者か(メディアとか世間の風潮とか流行とか)によって序列化され刷り込まれた価値である。皆がその獲得競争の土俵に立つとしたら、結局その欲望を実現できるのは少数者であり、その他大勢は失敗することになる。そういう構造になっている。宝くじで誰かが手にする三億円はその他の人々の損の集積で成立しているのと同じ理屈だ。

 

ベートーベンのCD2枚ポケットに入れてくらくらうちまで帰る      

ベートーベン後期弦楽四重奏 ぴちぴちのビニールに透けている       

 作者はベートーベンが好きだ。「くらくら」「ぴちぴち」のオノマトペからは、まるで意中の女の子と初デートするような初々しい幸福感が伝わる。

 

灰色のズボンがほしい安すぎず高すぎもせず細身のズボン      

買ったばかりのズボンを入れた紙袋 日曜日の日ざしであったまる        

本当に欲しいものだけを欲すること、それを手にした時の、借り物ではない心からの充足感。消費や所有の拡大に邁進する時代からの脱却をここに見ることができる。

 

アスファルトの感じがよくて撮ってみる  もう一度  つま先を入れてみる   

 この一首ではさらに「モノからコトへ」の流れも感じる。ささやかなことを面白がり楽しんでみる。ここには向日性へと半ば意識的に自分を促していく意志があるように思う。

 

日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる   

やさしい人やかわいい人と生きていく 家に着いたらニュースが見たい   

ぼくの人生はおもしろい 18時半から1時間のお花見          

とおくから見ると桜は光ってる 着信がある にぎやかな春        

次はあの日付をたのしみに生きる そのほかの日の空気の匂い       

現代社会の労働や情報において人は数でしかない。そのペシミズムをどう乗り越えて「わたし」を救出し、主導権を取り戻すか。どう人と繋がるか。折れない・媚びない・流されない個であろうとするか。そのヒントとモデルがこの歌集には示されている。

 

*註…内閣府経済社会総合研究所ホームページ 「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」(歴史編)1所収〈第2部プラザ合意・内 需拡大とバブル〉石井晋の論文より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ この文章の初出…「りいふ」第7号(2012年11月15日発行)  

☆ 永井祐 歌集 『日本の中でたのしく暮らす』 

   http://www.booknest.jp/detail/00006016 

 

Copyright(C) Saya Klishihara.All Right Reserved.

コメント   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加