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大滝詠一の「ジプシー・レーベル変奏曲」

2014-08-31 | 大滝詠一

大滝さんは、1985年を音楽活動のひとつの区切りの年として考えていたようです。1985年といえば、6月にはっぴいえんどが再結成をした年でもあり、「ゆでめん」から15年、そしてナイアガラ・レーベル発足から10年にあたる年でした。
この年の8月、雑誌「ブルータス」に大滝さんはエッセイを載せています。「<ジプシー・レーベル>変奏曲」というタイトルで、ナイアガラの10年間を振り返る内容でした。蔵出しエピソードも満載で読み応え十分。落語から漫才、あるいはDJとあらゆる話芸を知り尽くした大滝さんならではのユーモアと心地よいリズムで綴られた文章が洒落ていました。その冒頭、語りはじめの部分を引用してみましょう。

 1975年暮。所は東京・後楽園。今は亡きエレック・レコードの悲しき倒産大バーゲンが、なかばヤケクソ気味に開催されたのだった。
 エレック・レコード。ご存知でありましょうか。70年代初頭、日本を席捲したフォーム・ブームに乗じて勃興。かの吉田拓郎、泉谷しげるを擁し、一時はハブリがよかったものの、フォークがニュー・ミュージックへと衣替するドサクサに乗り遅れ、哀れ倒産の憂き目を見た懐かしのインディ・レーベル。日本初のプライベート・レーベルとのホマレ高きわがナイアガラは、このエレックの傘下に、75年、産声をあげたのでした。
 思えば、ワタクシが松本隆、細野晴臣、鈴木茂とともに69年に結成したはっぴいえんど。あの幻のおばけバンドのデビューもまた、ジャパニーズ・インディーズの草分け、URCレコードだった。URC。そしてエレック。つくづくマイナーの匂いがしみこんだわが身を嘆きつつも、75年3月、山下達郎ひきいるシュガーベイブの処女作『ソングス』。続いて5月、大滝詠一『ナイアガラ・ムーン』。日本の音楽シーンに新風を吹きこむべくアルバム制作は続いた。
 にもかかわらず、同年暮、発売元がやぶからぼーに倒産。ナイアガラ、つまずきの10年の幕開けだった。
 後楽園でのバーゲンには当然ナイアガラ作品も並んだ。レコードは拓郎、泉谷、古井戸……の順で次々売り切れ。しかし、ナイアガラ関係は一向に動かない。当日、現場をしきってた叩き売り風のオッサンが思わず叫んだそうだ。
「ほーら! 最後の大物、大滝詠一だよォ、買ってけーッ!」
 73年にバンドを解散し、75年、晴れて本格的ソロ活動を開始したとたん、いきなり最後の大物と化してしまったワタシだった。

(「<ジプシー・レーベル>変奏曲」より)

こうして今、読み返してみても、やっぱり面白いです。
大滝さんを師匠と仰ぐ思想家の内田樹は、『街場の文体論』のなかで、一流の作家は例外なしに説明が上手いと言っています。橋本治、三島由紀夫、村上春樹を例にあげて、説明の上手さとは、遠くから俯瞰的に対象を見たか思うと一気に顕微鏡的な距離まで接近して描く、その焦点距離を自在に行き来させる技術であると説いています。倒産大バーゲンの描写と70年代前半のインディ・レーベルについての説明をしながら、ナイアガラ・レーベルの幕開けを語るこのエッセイでも、「焦点距離を自在に行き来させる」技が効いていると思います。

『街場の文体論』は、大学でクリエイティブ・ライティング(書くことによる表現)について教えた授業を書籍化したもので、文章や言語について多くの示唆を与えてくれる内容ですが、「焦点距離を自在に行き来させる技術」が大切なのだという内田樹先生の主張には、少なからず大滝さんの影響があるのではないかと思えます。
大滝さんの音楽活動は、その多彩な楽曲のみならず、ライナーノートやラジオ番組に至るまで、あらゆるフォーマットで届けられてきました。それらにふれるとき、聞き手や読み手の私たちは目線をつねに固定することは許されず、縦横無尽に駆け巡らせることが求められるのです。それが、ナイアガラで大滝さんが私たちに伝えようとしていたモノの見方であり、価値観でした。

ふたたび、「<ジプシー・レーベル>変奏曲」から引用しましょう。
『ロング・バケーション』のヒットと「冬のリビエラ」についてはこんなふうに語られています。
ちなみに、冒頭の「アゲイン……」というくだりは、『レッツ・オンド・アゲイン』を最後にレーベルの活動を休止した話から続いているからです。

 アゲイン……と未練がましく沈んでいったミスター・ナイアガラは、しかし、3年後、81年3月にふたたびシーンに返り咲くのだった。『ロング・バケーション』出てきたとたん、今度は"長いお休み"だって。あ、こりゃ大笑い。
 今、改めて『ロング・バケーション』について語るべきことはない。あのアルバムのヒットに関しては、とにかく松本隆との再会が大きかった。8年ぶりのコンビ復活。松本と組んで、ぼく自身の曲ばかりでなく、松田聖子、太田裕美、ラッツ&スター、角川博など、他のシンガーにいくつか曲を提供したりもした。
 中でも大笑いは、森進一の「冬のリビエラ」。といっても歌い手だとか曲自体がどうのってわけじゃない。コンセプトがなにしろ大笑いだった。
 サッチモをやろう、と。最初はそう思っていたのだ。森進一でルイ・アームストロングをやる。これだ。
 なんせ言い出しっぺは川崎徹だもの。川崎さんから来た話なのだ。川崎さんが、森進一と大滝詠一でサントリーのCMをやれば面白くなるだろう、と目論んで持ちこんできた話。となりゃ、こちらもそれに応えてあげたい。せっかくオレんとこ来て、なーんだよって言われちゃ、ね。
 で、考えたのがサッチモ。サントリーのCMで森進一が「ハロー・ドーリー」みたいな曲をマンハッタン・トランスファーよろしくキメたらどうか? 面白い。イケる。
 と思って、とりあえず曲を先に作っちまえ、ととりかかったのだが、なかなかできない。ジャズだからね。あのテの曲ってのは何でもアリ。メロディに必然性があるようでない。どうにでもなっちゃう。決め手がない。これじゃラチがあかない、と。じゃ、まず誰かにジャズっぽい詞を書いてもらって、それから曲をつけよう。というわけで、松本に詞を頼んだんだけどねえ。
 これが運のツキ。あがってきた詞の通りに曲をつけてったら、なんのことはない、ただの歌謡曲になってしまった。サッチモになるはずが歌謡曲。ガッカリしたなあ。いくらヒットしたとはいえ、あれはガッカリ。
 ところが、松本はといえば――、「うーん、久々に実感がある曲ができた……」。
 やっぱりあいつの実感のほうが当たるのだ。『ロン・バケ』のヒットも松本なくしては語れないんだよ、きっと。うん。

(「<ジプシー・レーベル>変奏曲」より)

80年代の松本隆とのコンビ復活について綴られた内容ですが、目玉は「冬のリビエラ」の裏話です。あの曲は当初、ジャズのルイ・アームストロング(サッチモ)を分母に森進一を分子にした楽曲を、マンハッタン・トランスファーよろしくCMソングでやろうという構想だった。「森進一と大滝詠一でサントリーのCM」という川崎徹の目論見に、大滝さんは持論である「分母分子論」を森進一で実践するというアイデアで応えようとしたのです。

「分母分子論」は、明治から現代までの歌謡史を、輸入された洋楽から和製西洋ソングが生まれ、それが歌謡曲になっていくという構造でとらえ、世界史(例えば、ジャズ、シャンソン、ハワイアン、ロカビリーなど)と日本史の関係として読み解いたものです。1995年には、実際の楽曲をかけながら大滝さんが解説するというラジオ番組、「日本ポップス伝」(NHK-FM)がオンエアされました。
その原型は、「私論・日本の流行歌の系譜」(『All About Niagara』に収録)というタイトルで1980年に発表されています。その中で、淡谷のり子がシャンソン歌手のダミアのような声になるためにタバコで声をつぶしたという話をとりあげて、「外国の曲・アーティストに近づけるための<努力>は、それ迄の歌謡界にはなかったこととなりがちで結果として新味を感じさせる曲となり、ヒットする場合がある。このことは現在でも頻繁にあることだ。森進一は<サッチモが演歌を歌ったら>という発想であると聞いた」と大滝さんは書いています。
幻に終わった、ジャズを歌う森進一による「冬のリビエラ」。それはこんなところにアイデアの種があったのかもしれません。

「ルイ・アームストロング×森進一」をマンハッタン・トランスファーよろしくキメる…というアイデアは実現しませんでしたが、分母分子論の実践版としては、同じ1982年に「イエローサブマリン音頭」が発表されています。大滝さんは、ビートルズを音頭でカヴァーするこの作品のアレンジャーに、クレージー・キャッツの作曲・編曲を手がけた萩原哲晶を起用します。
「<ジプシー・レーベル>変奏曲」からその部分を引用しましょう。

 売れる、売れない。メジャーかマイナーか。ミュージック・ビジネスにつきもののこの二元論に関しては、本当のところ、さして興味がない。本人が音楽を楽しんでやっている限り、その問題は結局二の次だと思っている。その辺が”偉大なるアマチュア”などと異名をとるユエンなのだろう。が、ひとつだけ、『ロング・バケーション』のヒットによってメジャーなフィールドへと浮上できてよかったと思えることがある。故・萩原哲晶氏と出逢えたことだ。
 哲晶さんは偉大だった。往年のクレージー・キャッツのヒット曲、そのほぼすべての作編曲を手がけた人。まさにワン・アンド・オンリー。ぼくにしても、あの人以上に大きな影響をうけたアレンジャーはいない。たとえば、ぼくの「君は天然色」、あの曲のアレンジなど、哲晶さんのコミカル・ソング、たとえば「ハイそれまでよ」の超スピーディな場面転換の手法をそのままぼくなりに解釈したものなのだ。それだけに、生前、哲晶さんに「天然色」のアレンジを絶賛していただいたときの感激といったらなかった。
ニュー・ミュージックの歴史ってやつは、なぜかクレージー・キャッツの歴史にシンクロする。たとえばサザンオールスターズ。彼らなどまさに80年代型のクレージーだ。日本という風土にポップスという外来文化をとりこむ際、いかにカリカチュアするか。その点に最大共通項がある。加えて、リード・ボーカルの破天荒な魅力。本人はマジ。なのにやっていることはいいかげん。この点も似ている。結果としてのパロディ。結果としてのコミカル。
 哲晶さんの遺産は、たぶんそのような形で継承されているのだ。だから、今、あの人を評価すべきなのは歌謡界じゃない。ぼくらだ。

(「<ジプシー・レーベル>変奏曲」より)

「イエローサブマリン音頭」は、分母分子論的アイデアを、敬愛するクレージー・キャッツ・サウンドの再評価というかたちで実現しようとした作品だったことがわかります。「今、あの人を評価すべきなのは歌謡界じゃない。ぼくらだ。」という言葉に思わず感動させられます。

こうして「<ジプシー・レーベル>変奏曲」を再び読んでみると、70年代から80年代にかけてのナイアガラの活動は、大滝さんの歌謡史へのクールな眼差しと、ポップスを受け継ぎながら新しい音楽をつくろうとする情熱によるものだったことがわかります。それを一歩引いて軽妙で洒落た文章で綴ってみせるところも、じつに大滝さんらしいなあ、と思います。
「いつまでも、あると思うなナイアガラ。あとは各自で」
大滝さんが残したメッセージを受け継ごうとしている全ての人にとって、珠玉のエッセイをここで紹介することが、少しでもお役に立てたらと思います。


引用元
「ブルータス」(1985年8月1日号)
Et tu, Brute? <ジプシー・レベル>変奏曲
 会社の倒産で始まったナイアガラ・レーベルつまずきの10年
 森進一「冬のリビエラ」をサッチモ風で決めたかったんだ、ホントは
 ニュー・ミュージックはクレージー・キャッツの歴史にシンクロする



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『イーチタイム』 その3

2014-04-06 | 大滝詠一

『イーチタイム』は1983年の7月に発売される予定で、その年の1月にレコーディングが始まりましたが、直前で発売延期になりました。そのときのことはよく憶えています。
先日出た「レコード・コレクターズ」(4月号)では、7月に発売される予定だった『イーチタイム』の幻のアルバムジャケットが公開されていますが、当時、「大滝詠一がニューアルバムをレコーディング中」とか、「いよいよ大滝詠一の新作が出る」といった記事はかなり出ていて、幻のジャケットもある雑誌には載っていました。これがそれです。(「↓大瀧詠一の新LP」と書いてある。なんと、切り抜きがとってありました)


これは何の雑誌だったかさえも定かではないのですが小さな囲み記事で、しかもモノクロで解像度が低かったゆえにかえって想像がかき立てられました。EACHのHとEiichi Ohtakiの一部しか判読できませんが、下にはナイアガラレコードのロゴがわずかに見て取れます。そして、どう見ても『ロング・バケイション』や『ナイアガラ・ソングブック』でナイアガラの定番デザインになっていた永井博のイラストではなさそうだし、どこかポップアートに近い印象もある。おそらく新作は『ロンバケ』とは全く違う作品になるのではないか、早くこのアルバムを手にしたい・・・そんなざわめくような期待に胸が高鳴ったことをいまでも憶えています。
しかし、新作は発売延期となり、翌年(1984年)の3月に全く違うジャケットになって発売されたのです。今回、「レコード・コレクターズ」で幻のアルバムジャケットが公開されたことで、私にとってあの小さな記事で見た『イーチタイム』が、やっと実像を結びました。

1983年の『イーチタイム』のジャケットのイラストには、どこか空虚な印象があります。イラストの作者が誰なのか、まるで想像がつきませんが、それまでのナイアガラのどのアルバムにもないテイストです。あえて喩えるなら、ポップアートの巨匠デイヴィッド・ホックニーの作品を見たときの感覚と近いような気がします。


デイヴィッド・ホックニーの作品はありふれた日常の断片を描いたものが多く、アメリカ西海岸らしい光が満ちあふれているのに、どこか冷ややかで抑制されたアクリル画という印象があります。その理由のひとつは、彼が英国人の画家だからかもしれません。

ホックニーは1937年にイギリスのヨークシャー州で生まれ、ブラッドフォード美術学校、王立美術学校で学んでいます。王立美術学校に在学中に、のちにビートルズの『サージェント・ペパーズ・ ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のデザインを手がけるピーター・ブレイクと共に「若手現代芸術家展」に出展してポップアート運動に参加するようになりました。その後アンディ・ウォーホールと出会い、1964年にアメリカに移住してカリフォルニアで活動を開始して、イギリスを代表するアーティストとして、今もロサンゼルスを拠点に活躍しています。



プールサイドを描いた作品が多いことも特徴で、例えばこの下の作品などは同じプールサイドなのに『ロング・バケイション』のプールサイドとはだいぶ印象が異なることがわかります。それはどこか『ロンバケ』と『イーチタイム』の音楽がもっている色彩感の違いにも似ています。



大滝さんのアルバムでは、ジャケットはたんなる表紙ではなくて音楽とアートワークが相乗効果をもたらして、音楽と絶妙の響き合いを演じるようにデザインされています。このブログでも『ロング・バケイション』と、『ナイアガラ・ムーン』を例にとって書きました。だからといって、大滝さんが『イーチ・タイム』の幻のジャケットで、デイヴィッド・ホックニー的なデザインを意識していたのかというのは確かめようもないですし想像の域を出ない話であることは十分承知しています。
ですが、大滝さんはあるインタビューで、「『ロンバケ』はほとんどアメリカン・ポップスで、『イーチタイム』はブリティッシュの色が強い」という発言をしています。『イーチタイム』の幻のジャケットと英国を代表するポップアート作家であるデイヴィッド・ホックニーがどこかつながっていても不思議ではないと思うのです。

そして何よりも、こうして多面的にさまざまな思いを巡らせたあとに、『イーチタイム』をかけてみると、それまでとは違って聞こえてくるようになりました。特に純カラオケから聞こえてくる情景が別なものになり、さらに今までは湿度が重く感じられた大滝さんのボーカルからは、抑制の効いた別のメッセージが立ち上がってくるではありませんか。『イーチタイム』がこんなにも奥が深いアルバムだったのかと、改めて気がつきました。
大滝さんの最後の仕事になってしまった30周年記念盤は、私にとって『イーチタイム』との再会を果たすことができて、とても意味のある作品になりました。




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『イーチタイム』 その2

2014-03-31 | 大滝詠一

前回は『イーチタイム』が発売された後のことについて、思いをめぐらせて書きました。
大滝さんが六本木の自分のオフィスを閉めようとしていたこと。20周年記念盤のときのインタビューで、(このアルバムが)「はっぴいえんどから始まって、15年間の終わりであった」と思い至ったと発言していること。
しかしそれは、いま『イーチタイム』が「最後のアルバム」になったことを知っているからこそ言えることではないのか。ふとそんなことを考えました。自分は、これらを「最後」であることと結びつけて、どこかで受けとめきれない気持ちを鎮めようとしているだけではないか。そんな発想やものの見方は、大滝さんがつねに批判してきたことでした。(内田樹は「大瀧詠一の系譜学」でそのことを丁寧に解説しています)
そこで今回は、『イーチタイム』を発売する前の大滝さんについて、落ち着いて、少し楽しく書いてみたいと思いました。まずはかつて集めた新聞や雑誌の記事を探し出して、もういちど読み返してみることにしました。


『イーチタイム』は1983年にレコーディングが始まっていますが、それ以前、最も早く大滝さんのニューアルバムについて書かれたものは、おそらく前年の秋に松本隆が新聞に連載していたエッセイだと思います。「リンゴをかじりながら」という松本隆らしいタイトルの連載で、その3回目にこんなことが書かれています。

この二年間ほどは馬車馬のように働いたから、ちょっとTOKYOと自分の距離をはかりながら、外側から都会をみつめ直すという意味で、信州に仕事場を手に入れた。
二週間ほど前に、大滝詠一が訪ねてくれた。彼は旧来の友人だし、前作のロング・バケーションをつくってから、もう二年以上時も流れたから、そろそろ次のプロジェクトにはいろうということで、雑談をしに現れたわけだ。彼は酒もたばこもコーヒーも飲まないという不思議な人で、ぼくも酒は飲まない人だから、紅茶と日本茶をすすりながらの渋い対話となる。
生木を拾い集めて、暖炉に入れ、火をつけようとぼくが苦戦していると、彼は手先もあざやかに火をつけてしまった。「雪国育ちだからね」と例の口調で言って、このマキのこの角度がいいんだと解説するのがいかにも彼らしい。

朝日新聞夕刊 「リンゴをかじりながら」 1982年11月 より)

話は少し横道にそれますが、引用した文章のなかに出てくる、「このマキのこの角度がいいんだと解説するのがいかにも彼らしい」というところ、どこかで聞き覚えがないでしょうか? そう「ペパーミント・ブルー」の歌詞、「斜め横の椅子を選ぶのは、この角度からの君がとても綺麗だから」のフレーズです。松本隆は詞を提供する相手(歌手)の印象に残る仕草や言葉などを、その歌詞にさり気なく忍び込ませる技をよく使います。初めて「ペパーミント・ブルー」を聞いたとき、「このマキの角度」というエッセイの一節をすぐに連想して嬉しくなったことを思い出しました。

(次回に続きます)


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『イーチタイム』 その1

2014-03-23 | 大滝詠一

『イーチタイム』の30周年記念盤を聴きながら、いろいろなことを考えました。

このアルバムにはどうしても「別れ」「終わり」がついてまわります。大滝さんはこのアルバムで、何かに区切りをつけたかったように思えるのです。それはいったい何だったのでしょうか。

小林信彦は週刊文春のコラムで大滝さんの訃報にふれていて、そのなかで『イーチタイム』についてこんなことを書いています。

同年三月に、彼の最大のヒットの「ア・ロング・ヴァケーション」につづいて「イーチ・タイム」が出た。なにかの用で、六本木の彼のオフィスに行くと、オフィスをしめる準備をしている。きいてみると、「イーチ・タイム」の売れゆきがよろしくないためらしい。
(週刊文春1月23日号 小林信彦「本音を申せば」より)

これには驚きました。1984年の発売当時、『イーチタイム』は、オリコンチャートで1位となり、売上は約60万枚を売り上げて、年間チャートで8位となったアルバムです。そしてナイアガラで初めてチャート1位を獲った作品です。
確かに、ミリオンセラーとなった『ロンバケ』と比べたら売れなかったのかもしれません。しかし、同じ年に売れたという印象があるアルバムのひとつ、竹内まりや『ヴァラエティ』の売り上げは48万枚(年間11位)です。また、前年(83年)に発表された山下達郎の『メロディーズ』は51万枚(7位)、82年の『ナイアガラ・トライアングルVOL2』は48万枚(10位)でした。
『イーチタイム』の60万枚というのは「オフィスをしめる」理由になるほど売れなかった数字とは思えず、何かべつのわけがあったのではないかと思えてなりません。

2004年に『イーチタイム』をリマスターして20周年記念盤としてリリースしたとき、インタビューで大滝さんはこんなことを言っています。

「今回もリマスターしながら、ずーっとあのアルバム聴くたんびに、なんかね、葬式のアルバムみたいな気がしてさ。とにかく(歌詞も)終わる話ばっかりなんだよなあ(笑)。うまくいかない話と終わる話ばっかりで。(中略)全体的に終わりというか終焉の影がずーっとかぶってるアルバムで。それが今にして思えば、はっぴいえんどから始まって、15年間の終わりであったという。何なのかは長い間わからなかったけども。」
(『大滝詠一Talks About Niagara』より)

つまり大滝さん自身も、このアルバムに「終わり」を感じとっていて、それが何なのか、ずっと考えていたということ。おそらくアルバムのコンセプトは別にあったが、できあがった作品は「終わる歌」ばかりになっというふうにも読み取れます。
もう少し、このアルバムについて思いをめぐらせてみようと思います。

(次回に続きます)


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3月21日

2014-03-21 | 大滝詠一

今日は『イーチタイム』30周年記念盤を何度も聴きました。

昨年12月30日に大滝詠一さんが急逝されてから、今日(3月21日)をどうやって迎えたらよいのか、気持ちの整理ができないままに時間が過ぎてしまい、「最後の『イーチタイム』」の発売日が訪れてしまいました。

『イーチタイム』というアルバムは、自分にとっては『ロング・バケーション』のように永く繰り返し聴くことがなかった作品です。もちろん曲ごとには「ペパーミントブルー」など愛聴してきた曲はありますが、アルバムとしてはそうではなかったのです。
というのも、このアルバム自体が何度かリイシューするたびに曲目が追加されたり、曲順が変わったりするいわゆる「未完のアルバム」になってしまっていて、自分のなかでマスターピースにはなれなかった。また作品としても『ロング・バケーション』の続編的なコンセプトでありながら、どこか重たかった。歌を楽しむことができず、歌詞もそれまでの乾いた風景画のような印象からぐっと湿度が高くなり、描写も描き込み過ぎという印象さえあったのです。

そこで今回、最後の『イーチタイム』をアルバムとして聴き直して、かつての印象がどう変わるのか(変わらないのか)確かめてみたいと思いました。

(次回に続きます)


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