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Ⅹ 日本の統計事情(10-2)(社会統計学の伝統と継承)

2017-02-21 15:01:20 | 社会統計学・社会科学方法論アーカイブズ

10 日本における統計事情(調査統計の沿革と旧統計法)

1.調査統計の沿革とその内容

(1)明治初期の調査統計(土地調査と物産調査)

  明治維新後,明治政府は新しい近代的社会体制構築という課題を抱えていた。鮫島龍行によれば,その主要なものは財政の立て直し(税制改革)と戸籍制度の確立であった。これら2つの課題はいずれも,当時の社会的実状を認識するための調査活動を必要とした。明治政府は,当初から広い意味での統計活動に関わることになる。

  明治政府は1871年[明治4年]の廃藩置県とともに,同年7月大蔵省に統計司を設置,さらに12月に太政官正院に政表課を創設し,統計を組織的に編成する基礎の構築をはかった。それらの組織の主要業務は,行政活動に関わる範囲の記録の整理,保存,編集であった。

  税制改革は,その事業遂行の前提条件としての調査活動を要請した。租税体系は直接税に関わる調査と消費税のそれとに分かれる。前者は地租改正事業としての全国土地調査(1873年[明治6年]から始まる)につながり,後者は物品の生産・流通をおさえる必要から「物産表」(1870年[明治3年])の調査をうながした。

  地租改正事業としての土地調査は,土地台帳すなわち「地券台帳」の作成を主目的とする調査活動である。全国の地価を再評価し決定する行政活動である。この活動を通して民有地・公有地・田畑・宅地・山林など各種別の土地の計量がなされた。このように維新の税制改革によって土地統計が生まれた。地券台帳は正確性を欠いていたものの,明治期における土地所有の動きをとらえる業務統計の基盤となった。

  もう一方の消費税体系の整備,すなわち旧幕時代の雑税整理の事業は,物産調査を要請した。酒税その他の消費税の新設には,物品の生産量・流通量の資料が必要だったからである。この物産調査は,もともとは行政上の必要性から表式調査の形式で実施されたが,実施の過程で統計としての正確性をもとめる意識ひいては統計としての独立性を確保する意図が育ち,本格的な「農産表」の調査に移行する。

 関連して,もうひとつ重要な統計がある。物価調査である。その実態は一つに明治政府の税制改革で必要とされた相場調べであり,もう一つは秩禄処分に関わる調査であった。これらの調査,なかでも米価調査にもとめられたのは,地租改正における地価算定の場合と同じように,事物の貨幣表示化に際しての基準価格の設定である。

  物価統計本来の貨幣価値の測定,すなわち一般的な物価水準の変動の測定という目的にそくした統計としては,1895年[明治28年]に公表された「東京物価割合比較表」(卸売物価指数)が最初である。その作成にあたったのは,1893年[明治26年]10月に金本位制の採用の可否を審議する目的で,政府部内に設置された貨幣制度調査会である。

 税制改革とともに明治政府が直面した大きな課題は,戸籍制度の確立であった。政府が戸籍編成に速やかに取り組んだのは,第一にそれが学制・徴兵制度・郵便制度など創設の基礎であるからである。それなしには,近代国家としての行政は不可能であった。第二に当時各地に横行していた脱籍浮浪人を取り締まるという治安上の必要からであった。こうした事情から早くも,1871年[明治4年]4月に太政官によって戸籍法(いわゆる検戸の法)が布告された。戸籍法は戸籍業務の基礎である戸籍簿編成とそれにもとづく「戸籍表」「職分表」の作成をうたい,このうち後者が人口統計の契機となった。

  この戸籍法のもとで実施された戸口調査が,1872年[明治5年]実施の壬申戸籍登録事務である。それは全国民の戸籍登録事務であるとともに,「戸籍表」「職分表」という人口統計作成の母胎になる試みである。しかし,内実をみるとその調査方法は江戸時代の「人別改め」の方式と異ならない前近代的なものであった。人口の静態,動態の概念的区別は曖昧であった[6]

  統計作成実務のこうした前近代性を払拭するには,1879年[明治12年]に杉亨二の指導の下で行われた「甲斐国現在人別調」をまたなければならなかった。この調査は1879年[明治12年]12月31日午後12時現在で実施され,表式調査ではなく調査票(世帯表としての家別表)が使われた。鮫島はこの調査の特徴として,人口が現行常住人口の定義よりもやや広いこと(他国ニ居ル者,行方知レザル者の一部を含む),正確な年齢別人口が表示されたこと,職業分類が従前の職分表の前近代的性格を脱却していること,当時の山梨県全域の工場と職工数が把握されていること,などを挙げている。

  以上とは別に,明治維新以降の統計の発展の歴史において,民間統計団体が果たした役割を忘れてはならない。薮内武司「日本における民間統計団体の生誕-「表記学社」とその系譜-」(1977年)[7],薮内武司「日本における中央統計団体の軌跡-「東京統計協会」の結成とその展開-」(1987年)[8]は,それらを紹介した論文である。

  「表記学社」(1876年に設立,1878年に「スタチスチック社」と改名)とそれを継承した「統計学社」は,最初の民間統計団体である。「表記学社」の設立に際しては,杉が社長に, 世良太一が副社長に就任した。「表記学社」とともに, 明治期の民間の統計結社に「製表社」がある(設立は1878年12月)。その目的は統計資料の収集編纂である。杉亭二をはじめとする有志がこれに参画した。同時期に渡邊洪基, 馬屋原彰, 小野梓が同じような組織をつくろうとしていた。 両者は協議の上, 合体し統計協会が発足した。統計協会はその後東京統計協会と名称を変更し, 1883年に杉亭二らの尽力で開校した共立統計学校と合併(1885年12月)。後者がそれまでに行ってきた統計学の講習会を継続した。1899年6月からは統計学社との協賛し, この活動を軌道にのせた。さらに, 統計院編「統計年鑑」を刊行した他, 官庁統計に必要な膨大な資料の蓄積を行った。

 しかし,東京統計協会は太平洋戦争での戦局の悪化のなかで,組織自体が解散においこまれた。戦後の「日本統計協会」の活動は,「製表社」から出発して, 「統計協会」 さらに「東京統計協会」と名称変更しながら, 関連分野で地道に果たした活動の延長線上にある。(続く)



[6] 壬申戸籍,およびその後の戸籍法と寄留手続きを中心とした静態人口の把握が統計調査によらずに人口把握が可能とした経緯を指摘し,このことが日本で国勢調査の成立が遅れる理由となったことについては,金子治平「日本における戸口調査と静態人口調査-国勢調査の前史として-」『近代統計形成過程の研究』法律文化社,1998年3月,参照。
[7] 薮内武司「日本における民間統計団体の生誕-「表記学社」とその系譜-」『経済論集』(関西大学)第26巻4・5号, 1977年1月(『日本統計発達史研究(第1章)』法律文化社, 1995年)。
[8] 薮内武司「日本における中央統計団体の軌跡-「東京統計協会」の結成とその展開-(第2章)」『経済論集』(関西大学)第36巻5号, 1987年2月(『日本統計発達史研究』法律文化社, 1995年)。
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