【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「カビリアの夜(Le Notti Di Cabilia)」(フェデリコ・フェリーニ監督、イタリア、1957年)

2017-07-10 21:49:52 | 映画

     

   男に何度も騙されながら、無垢な魂の持ち主であるカビリアは、気高く生きて行く,というのがテーマです。


  カビリア(ジュリエッタ・マシーナ)は、夜の女。純真無垢な彼女はジョルジュという男友達と散歩をしていましたが、バッグをとられ、川べりで突き落とされ、溺れかかります。子どもたちに助けられ一命をとりとめます。息を吹きかえして事の次第を理解した彼女は、ジョルジュを「ダニ野郎」「地獄に落ちろ」と罵り、家のなかの彼のものを焼きすてました。

 それも束の間、今度は映画俳優のアルベルト・ラツェリ(アメデオ・ナザーリ)に誘われナイト・クラブへ。恋人との諍いでやけになっていた彼は、暇つぶしにカリビアに声をかけたのでした。別段、悪巧みがあったわけではありません。家に連れて、夕食をすすめます。ベートーヴェンの交響曲5番を聴き、シャンパンを飲み、キャビア、ロブスターなどを食べようとしたところに、恋人が乗り込んで来ました。アルベルトはカビリアをフロ場に隠し、彼女と諍いに決着をつけようとします。

 「憎み合う前に別れよう。君の嫉妬はたくさんだ。女と話すのも仕事だ」とアルベルトが恋人に喋っているのを、鍵穴から見ているうちに、寝込んでしまったカリビア。翌朝、彼女はアルベルトに起こされ、ベッドのなかで眠っている恋人に気づかれないように帰されます。俳優との夢のような一夜は、こうして泡のように消えました。

 「神の愛」の巡礼集会に参加した彼女は、聖母に願いごとをと誘われます。集会にまき込まれた彼女は、勝手が分からずおろおろしていましたが、一瞬、敬虔な気持ちになり「生活を変えたいのです、力をお貸しください」とひたすらに祈るのでした。集会が終わって、カリビアは「わたしのすることを見て、家も何もかも売り払う、こんな生活とは縁をきって出て行くの」と叫びますが、奇跡は起こりません。「誰も変わらない、みんな変わらない」と無力なマリアに、怒りとも、悲しみともつかない言葉をぶつけました。

 ショーを見ようと入った芝居小屋でカリビアは客席から舞台に引き出され、催眠術をかけられます。催眠のかかった状態で、青年オスカーと恋に落ちたマリアの役を演じさせられます。舞台では、花を摘んだり、「メリー・ウイドウ」のワルツにあわせてダンスをしたり。催眠を解かれキョトンとしているカリビアに客席は、拍手喝采。「わたしに何をさせたの」と怒ってその場を出た彼女を追って来た青年。彼は自分の名はオスカー・ドノフリオ(フランソワ・ペリエ)で、舞台でカリビアが演じたラブシーンの相手と奇しくも同じ名だと言います。デート約束をし、付き合いが始まりました。彼は、ナポリ近郊の寒村で生まれ、家族はなく一人ぼっちで貧乏を知り自活してきたと、嘘とも本当ともつかない身上話をしました。二人は親密になり、彼はカビリアに結婚を申し込みました。

 真に受けたカビリアは、女友達のワンダにオスカーがいい人で、すぐにも結婚すると嬉しさ満面に吹聴。今度こそ幸福をつかめると、家も家具も売り、持参金75万リラを用意します。ところが、このオスカーも「金が目当て」の男でした。林で散歩中、彼に「湖に夕日を見に行こう」と誘われた彼女はまた、あり金をまきあげられてしまいます。あまりの惨めさにカリビアは、「もう生きていたくない、殺して」とその場に泣き崩れ、転げまわります。

 とぼとぼと歩く彼女。それも束の間、彼女の泣き顔に、再び笑みが戻ります。ギターやアコーディオンを鳴らす若者とともに生き生きと歩く彼女。男によって傷つけられたカビリアは、ある女性に「ボナセーラ(こんばんは)」と声をかけられ蘇生します。ニーナ・ロータの哀切極まりないメロディをバックに、カビリアの泣き笑いのクローズ・アップ。「カーニバルによって人生が肯定される」というフェリーニの人生哲学が示された名場面です。

 社会的地位がなく、金持ちでもなく、あるがままの人生を受け入れて生きる女性カリビアの無垢な魂は、逆に社会的地位があり、有名であり、金持ちである男性の狡猾さ、偽善、悪業を断固として否定する強さがあります。疑うことを知らず、愛を信じて生きて行く姿、無垢な女の魂の遍歴を優しい眼差しで捉えた作品です。主演のジュリエッタ・マシーナは、第10回カンヌ映画祭主演女優賞。第30回(1957年)アカデミー賞外国語映画賞。

                 


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