【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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佐野眞一『てっぺん野郎-本人も知らなかった石原慎太郎-』講談社、2003年

2012-10-16 00:22:32 | 評論/評伝/自伝

            

  石原慎太郎氏(以下、敬称略)は現役の東京都知事。その評価は賛否両論。しばしば不規則発言で物議を醸す。本書はその東京都知事の半生、人柄、成してきたことの全てを明らかにしている。


  全体のボリュームもさることながら(本文470ページ)、父親である潔の生涯、弟で俳優として国民的支持を得た裕次郎とのかかわり、彼のとりまき、家族のこと、芥川賞を受賞した「太陽の季節」の顛末、政界の暴露的記述など質的にも厚みがあり、現存の人物を丸裸にした内容も濃く、よくここまで書けたと驚くばかりである。

  まず、父親潔の生涯が面白かった。愛媛県長浜町で生まれた潔は、大正の初期に山下汽船に店童として入社、以後、豪胆、磊落な性格で昭和初期の樺太、小樽で材木を輸送する摘み取り人夫の斡旋などに従事。慎太郎、裕次郎は父の転勤とともに小樽、逗子と海のある街で生活する。小樽のあたりの記述は、わたし自身、地理的な感覚があるので、吸い込まれるように読んだ。

  この父親の生活、性格は良くも悪くも慎太郎のその後の礎になったと推測され、著者はそれゆえに潔に関する叙述に破格のページを割いて、「第一部:海の都の物語」分析的記述をしている。

  次いで、焦点が慎太郎その人に絞られ、「太陽の季節」が芥川賞を受賞する前後の話が「第二部:早すぎた太陽」で展開される。表面的かつ一時的に左翼活動に傾斜したこと、「太陽の季節」の評価の二分となかずとばずのその後、、裕次郎との強い関係(コンプレックス)、「無意識過剰」との評論家江藤淳の評価、三島由紀夫の好意的支援などわたしがしらなかったことが多く書かれている。著者のすさまじい取材の成果である。

  「第3部:てっぺんへの疾走」では政治家に転身し、参議院全国区でのトップ当選(300万票,1968年)、参議院議員を辞職し衆議院選挙に出馬、当選(1972年)、運輸大臣として竹下内閣に入閣(1987年)、東京都知事選での勝利と再選(1999年、2003年、[さらに本書の範囲を超えるが2007年])と続く。この本は2003年に出版されたのだが、この時点では、慎太郎は首相への道に向かう岐路にあったが、その可能性が低いとの見通しで終わっている。予感はある程度的中したわけである。

  著者はいまもある慎太郎の若いころからの変身ぶりをあげつらう見方を否定し、その座標軸は動いていないこと、変わったのは慎太郎ではなく、戦後日本ではなかったのかと、問うている(p.195)。そして慎太郎が意外と抹香くさく、輪廻転生が渦巻く世界を抱えていること(p.266)、彼が書く文章にしばしば露見するノー天気なほどの率直さ、それ自体が危険なわかりやすいイデオロギー(pp.325-326)、人々の耳目を集めることにプライオリティーの重きをおいた独特のポピュリズム(p.430)、「中心気質」で「大きな餓鬼大将」(p.469)など、徹底的なまでにその思想と人格が掘り下げられている。

  「短気、わがまま、粘りのなさ、骨おしみ、非寛容、オカルト世界への傾斜、加齢と成熟を拒む幼児志向、。これに強烈な国家意識という指摘を加えれば、そこに等身大の石原慎太郎像がほぼ浮かび上がる。(p.468)/何度も述べてきたように、慎太郎は約半世紀にわたって出ずっぱりでやってきた。それは、彼が非凡な才能を持っているがゆえだとはいえても、必ずしも超一流であることを意味しない。逆に、彼は俗受けする、というより俗受けすることしか腐心しない二流の人物だったからこそ、大衆の人気を獲得しつづけたともいえる。慎太郎は『てっぺん』に登りつめられるのか。それは、慎太郎を見つめてきた大衆が、時代と自分を映してきたように見える鏡を、相変わらず眺め続けていくのか、それとも国家に収斂する鏡を断ち割って生きようとするのか、それを自らに問いかけることにも重なる(pp.469-79)」、これが著者の結論である。


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