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安藤次郎「カール・ピアソンとニコライ・レーニン-Karl Peason:”The Grammar of Science”について」『金沢大学法文学部論集(経済学編)』第18号、1971年【その1】

2017-04-29 19:57:57 | 社会統計学・社会科学方法論アーカイブズ

  ピアソンに対する批判、誤解を解消し、復権を意図した論稿。要するにピアソンの科学哲学と認識論の擁護である。

 構成は以下のとおり。「1.書名について」「2.理想の市民」「3.科学者としてのピアソンの主張」「4.『観念論』主張者としてのピアソン」「5.論争を産まなかったレーニンの批判」「6.レーニンの『敵-は本能寺』」「7.書物の運命」「8.訳書について」。

 筆者の主張点は、上記の「小見出し」をみれば明らかである。カール・ピアソン(1853-1936)の”The Grammar of Science”は初版が1892年に刊行され、1899年に増訂第2版が出版され、さらに増補された第3版の上巻が1911年に公にされた。下巻は刊行されなかった。

 この著作は日本では1930年に春秋社版『世界大思想全集』第41巻に、平林初之輔訳『科学概論』として出版されている。原書第2版が底本である。筆者は日本でのこのピアソンの著作が『科学概論』あるいは『科学入門』という訳で紹介されていることに異議を唱え、『科学の文法』とすべきであると述べている。理由はピアソンの意図が日進月歩の科学の発展を理解するための方法論を示し、科学の基本的諸概念の吟味であるからである。

 筆者の紹介によれば、この著作は一般市民向けの教養書として執筆されたものである。「科学教育の改善と強化の必要を説き、科学的思考方法を一般市民が体得すべきことを力説する警世の書である」。理想的市民とは、科学的教養を身につけている市民である。そのような市民をつくるには、科学的に判断し偏見から脱却できるように、科学的方法を身につけさせなければならない。

 科学の第一の要請は、たのもしい市民、立派な市民をつくることである。第二の要請は、社会の正しい在り方についての指針を、科学に立脚しながら与えることである。第三の要請は、科学の成果である発明と技術開発によって与えられる物質的富を増やして人間生活を改造することである。第四の要請は、審美的判断を満足させる素材を提供することである。真・善・美の三位一体-これが科学の目的である。

 ここまでであるならば、多くの人の了解がえられるであろう。しかし、科学とは何かという中身にはいると、ピアソンの理解は独特である。科学の役割は、科学的法則の発見である。その科学の素材である諸事実には、物的事実と心的事実とがある。両者は人間の「こころ」の産物である。外界の物的対象である事物は、人間の直接感官印象につながるをにつ構成物である。外的対象は直接感官印象と蓄蔵されている感官印象の結合したものと定義され、内的対象は人間の心的事実=心的現象である。

 人々は心的結合の過程を各自が自分の内部に起こっているものとして認識するだけで、自分の「こころ」に認識するものを自分の外に投げ出して外にあるかのように考えるのであり、したがってそれは「投射物」である。心的事実は単に推測されるだけの存在である。いずれにしても、ピアソンにあっては、科学の素材である事実とは、構成物(物的事実)と投射物(心的事実)という人間の神経系・頭脳の産物である。事実の実在性は、直接感官印象とのつながりをもつという意味の言葉で、唯物論者のいわゆる客観的実在とは異なる。そうであるから科学法則の普遍妥当性に関しては、その根拠は客観的実在性にあるのではなく、正常な人間、文明人としての現代人の知覚および推理機能の相似性に依存するものである。(続く)

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