社会統計学論文ARCHIVES(人生という森の探索)

社会統計学に関する論文を要約し、紹介します。
休憩タイムでは、本、映画、音楽、絵画、演劇、旅、お酒を楽しみます。

吉田忠「【書評】竹内啓編『統計学の未来』」『統計学』第31号,1976年3月【その2】

2017-05-19 10:41:31 | 社会統計学・社会科学方法論アーカイブズ

吉田忠「【書評】竹内啓編『統計学の未来』」『統計学』第31号,1976年3月【その2】

 坂元報告「日本における推計学の発展とその問題点-戦時中からの十年間-」は,傾聴に値する。戦時中の数理統計学の発達と数理統計研究所の設立,戦後の官庁統計への標本調査の導入といわゆる推計学論争が,当事者の発言として述べられ,臨場感がある。第2の論点,統計的方法の位置づけに関しても興味深い指摘があるが,筆者は坂元のように実質科学的研究と統計的研究の対象分野を平面的並列的に分け,相互依存的研究の重要性を主張するだけでは折衷主義から抜けきれないのではないか,と疑問を呈している。筆者は,関連して,社会統計学研究者は,坂元のいう社会現象の「物的原因系」そのものに依拠する多様な実証的研究を進めていて,ごく限られた付随的側面で実質科学的法則性に規定された統計的研究の利用が可能であるという立場をとっている,と付け加えている。

 広田報告「推計学批判と社会統計学」に関しては付け加えるべきものはほとんどないとしながらも,批判の対象を推計学的標本理論と技術的標本理論とをあたかも別々のものであるかのごとく分けるのは問題である,と指摘している。両段階で批判されたものは,数理統計学の手法としては基本的に同じであり,ただ第一段階では誇大な「哲学的」解釈が加わったのに対し,第二段階ではランダムサンプリングの手法を統計調査の局面に必要以上に限定したことで,あたかも異質の数理統計学を対象とするかのような外観を呈したにすぎない。確率をどう把握するかという論争の両段階にまたがって論じられるべき問題がいまだ十分説得的な解決をみないまま,経過している。

 討論の見せ場は,全数調査と標本調査をめぐる広田,竹内の渡り合いである。標本調査が全数調査よりも技術的により実用的であれば,全数調査の原則的優越性を唱える必要はないのではないか,また標本調査の限界とされるもののほとんどは統計調査そのものの限界ではないかと述べる竹内に対し,広田は存在する集団としての社会集団とその大きさを数えることの社会科学における意義を強調し,原則的反論をおこなっている。評者はここで私見を挟み,全数調査と標本調査の原則的優劣を存在する社会的集団に規定された方法という見地から論ずる前に,社会集団をその基底において動かす社会法則へ迫っていく実証方法の一つとして,社会的歴史的に存在する統計調査をその限界とともに位置づけることが必要ではないか,社会統計学派は存在する社会的集団を数え上げるという統計調査の直接的目的に拘束されるあまり,社会科学の方法そのものに統計方法をいかに位置づけるかという問題を見失っている,と記している。

 全体に関わるが,評者は竹内の理論を体系的に示す報告が欠落していることに,本書の「演出」におけるミスと,指摘されている。(終わり)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 吉田忠「【書評】竹内啓編『... | トップ | 伊奈町制記念公園・バラ祭り »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む