社会統計学論文ARCHIVES(人生という森の探索)

社会統計学に関する論文を要約し、紹介します。
休憩タイムでは、本、映画、音楽、絵画、演劇、旅、お酒を楽しみます。

松川七郎「ペティの経済学的統計学的方法の社会的基盤-その測量論を中心とする一考察-」有澤廣巳・宇野弘藏・向坂逸郎編『世界経済と日本経済(下)』岩波書店、1956年【その1】

2017-06-15 20:54:26 | 社会統計学・社会科学方法論アーカイブズ

松川七郎「ペティの経済学的統計学的方法の社会的基盤-その測量論を中心とする一考察-」有澤廣巳・宇野弘藏・向坂逸郎編『世界経済と日本経済-大内兵衛先生還暦記念論文集(下)』岩波書店、1956年【その1】

 筆者は本稿でウィリアム・ペティ(1623-87)の経済学的統計学的方法の社会的基盤を、その測量論を中心に明らかにすることを目的としている。ペティの測量論は、王政復古(1660年)直後の主著『租税貢納論』(1662年)で展開され、近代的租税制度の前提条件を解明している。測量論自体は、ピューリタン革命―共和国時代(1640-60年)のイギリスの市民社会に根ざして生成し、ペティの方法ならびにその理論の生成と不可分に結びついている。また、ペティの測量論は、『租税貢納論』と同年に出版されたジョン・グラントの『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』と至重の関連をもつ。この関連の解明は、グラントの『諸観察』をめぐって過去三世紀のあいだ論じられてきた”Disputed Authourship”の問題とかかわり、グラント=ペティをその創始者とする政治算術の形成過程を明らかにする有力な鍵である。

 構成は,次のとおり。「1.ペティの測量論の一般的背景をなす当時の租税(地租)制度」「2.ペティの測量論」「3,ペティの測量論の方法的特徴と、そのグラントの『諸観察』の『結論』との関連」「4.グラントの『諸観察に関するいわゆる”Disputed Authourship”の全過程の概括』「5.共和国のアイァランドにおいて、ペティが主宰した土地測量および没収地分配事業」「6.むすび」。

 第一節は、ペティの測量論が示された頃の租税制度の解説である。ペティの測量論は『租税貢納論』の第5章の後段で論じられている。彼がここで測量論を論じたのは、租税負担康平の見地から租税を賦課するための客観的合理的基準をもとめるためであった。しかし、全国一律の金納地租がイングランドに創設されたのは名誉革命後の1692年で、『租税貢納論』執筆当時に、近代的地租(土地の地代に対して全国一律に課せられる収益税としての地租)は実現していなかった。ペティが生きた時代は近代的租税制度の発端をなす時期で、その制度は直接税としての月割課徴、間接税としての国内消費税、新たな租税としての意義を獲得した関税を根幹とした。ペティの測量論が論議の対象としたのは、「公共的経費をとりたてる」ために「地代の一部を徴収する」月割課徴であった。

 月割課徴はピューリタン革命にさいし戦費調達のために議会側によって創設された直接税であるが(1642年)、その起源は絶対王政(チューダー王朝)の確立期以降の戦費調達方策として賦課された補助金である。その賦課・徴収の方法は、チューダー王朝以来の補助金のそれを基礎とし、各地方・州に対する租税額は監督官の査定により住民の動産・不動産に比例するポンド率によったが、その税率はバラバラであった。戦乱が収まり、共和国が確立するにつれ、この税が国税として徴収されながら各地方・州で税率を異にし、査定基準が曖昧であることが、集中的に批判されるようになる。月割課徴が近代的地租に成長するためには、税率の地方的差異を解消・統一し、主観的・恣意的な課税標準を客観的・合理的なものとすることが喫緊の課題であった。(続く)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「あいたか(九州・琉球ダイ... | トップ | 松川七郎「ペティの経済学的... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む