黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

水色

2007-06-25 00:42:57 | Weblog
今日はさっさと帰宅。昼間に食べたカレーが
どうもしつこかった様で、胃がもたれていました。
急ぎの仕事もないし、月曜日だし。

今日の晩御飯は昨日の作り置きがあるので、
明日用に大根でも炊こうかしら~♪なんて
心のうちで言いながら、最寄のスーパーで
買い物をして帰りました。

一通りいるものを買って、レジに向かう途中に
それはあったのです。青くて、シンプルで。
980円で特売されているやつ。それは体重計。

そのうち、何処かで計ることもあるだろうと
思っていましたが、そんな機会も無く。なので、
買ってまいりました。

家に帰って早速載ると・・・52kg。4月よりは
2kg増えています。良きかな、良きかな。
あと3kg、太りますように。とにかく、体重が
落ちてなくて安堵しました。

でも、夏になるとやっぱり体重が落ちるんよね・・・。
夏嫌い。
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色白

2007-06-24 00:44:04 | Weblog
一日雨でしたので、終日引きこもり。
前日に借りた「パイレーツオブカリビアン」を
見ながら、だらりだらり。このまま腐ってしまう
のでは?と思うくらい、だらりだらり。出来事
らしい出来事と言えば、開け放していた窓から
スズメが入ってきたことくらい。「ダメ」と
言ったら、また雨模様の中に帰っていきました。
そんなことをせずに、帰りたくなるまで置いて
やれば良かったなと後悔。鳩は全力で追い払い
ますけど、スズメくらいなら。わざわざ、私の
家を選んでくれたのだし。もしかしたら、何かの
御使いだったのかも。ああ、追い払ってしまった・・・。

夕飯もイカと夏野菜のカレーをちゃっちゃと
作って手抜き。肉を使わなければ、火の通りを
あまり気にしなくて良いから簡単なのですよ。
イカも3日前くらいに半額になってたのを買って
きて、さばいていたやつなのでラクラク。

味は75点くらい。トマトを入れすぎて酸味が
強くなりすぎましたが、あっさりしていて良いかも。

DVDを見てる合間、カレーを作っている合間、
自分の二の腕に視線をやっていました。最近、年初め
から続けている腕立て伏せの効果が出てきている
気がします。気のせいかもしれないけれど。ようやく
人並みの体重になれる準備くらいは出来たのでしょうか。

それにしても白い。
焼くつもりなど、毛頭もないけれど白い。昔、好きで
白いわけでもないのに、「白くてキモい」って、私より
はるかにキモいやつに言われたのを思い出しました。

今も、影では言われているのかも。やっぱり、私よりも
キモい何者かに。気にしない、と思いつつも心をビク
つかせてしまいます。小心者なんよね、私。

世の中、怖いものだらけやわ。でも、取りあえずは
日差しが怖いのです。ヒリヒリ、そして痒み。
信じられないくらい、紫外線どもが苦手なのですよ。

明日は雨が上がり、ここちよい曇り空でありますように。
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セツナヴィジョン

2007-06-23 22:46:06 | Weblog
久しぶりに母とデートをしました。

在来線の駅で待ち合わせて、数種類の緑色のタイルでモザイク風に
装飾されている、外装がとてもユニークなビルの上層階にある
レストランで食事をしました。

久しぶりに会う母は相変わらず白くて、可愛らしい母でした。そんな姿とは
裏腹な、彼女自身に起きたとんでもない話を聞きながら、ビュッフェ形式の
食事を取りました。その内容に臨席は聞き耳を立てて、目を白黒させて
いたかも知れません。

とてもその内容は言えませんが、話から感じたのは、

・母は父をとてもとても深く愛している。
・母はとても優しく、優しいが故に損な立場になる、いつだって。
・人並みの幸せを得たいだけでも、優しさを捨てなければ
 ならないのか。母も、私も、誰も、彼も。

以上のような事です。幸せは泡の様なもので、必ず失われてしまうもの
なのでしょうか。その後、再び現出する可能性はあるかもしれないにしても、
一度くらいは失われてしまうものなのでしょうか。二度と目が開かぬ眠りに
落ちるまで、永続しないもなのでしょうか。

・・・永続しないものなのでしょうね、きっと。

食事の後はそのビルを下っていき、途中の石鹸やら化粧水を専門に売る
店でレモングラスの香りがするハンドクリームを買いました。母と私と一本ずつ。
レモングラスの香りはとても強く、手に取ってマッサージをすると辺りも
レモングラスの香りと色に染まりました。すぐ霧散してしまうし、手に塗り
こめたのも割と早く消失してしまいましたけれど。これも、幸せの性質に
似ています。

それでも、ストレスを溶かし込み、中和する触媒にはなりそうです。
母を瞬間でも救ってくれるといいのですけれど。

他にもドラッグストアで資生堂のコラーゲン飲料(私のも! 妹の職場の方が
飲まれているそうですが、一晩で「変身」できるそうです)とパーマ液を買って、
お茶を飲んで解散しました。

ホームに向かう母の背中はそれほど遠くないのに遠く感じました。こういう
光景を見えるたびに、しばしば家に帰らねばと思うのですがなかなか帰らず。
1時間もあれば帰れる距離にあるのに。いや、距離が近いだけに帰らないのかも
しれません。帰るだけでも孝行になるというのに。彼女の何処にも吐き出せない、
愚痴を今日のように聞いてあげることが出来るというのに。

時間は矢のように飛んでいくのに、億劫がってしまう私。でも、どんなに孝行しても
後悔するともいいます。私が健康で、泡のようであろうとも幸せでいるのが
孝行のような気もします。なかなかに難しいことだけれども。
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モアテレビ、モアテレビ…really?

2007-06-19 10:02:22 | Weblog
私の部屋にはテレビがありません。もともとテレビは
あまり見ませんので、一人ぐらしを始めるにあたり、
思い切って買わない事にしたのです。

初めは「やっぱり必要かな?」とも思いましたが、
無いなら無いで何も困りません。ニュースはネットと
会社の置き新聞、コメディやサイエンス番組はレンタルや
動画サイトで充分です。ドラマはもともと見ませんから、
何等問題ありません。寂しくなれば音楽とラジオ。
更に素晴らしい事はCMの煩わしさから解放される事です。

昔から、こんなにテレビを見なかった訳ではありません。
テレビっ子だった時期もあります。

実は、私がテレビを見なくなったきっかけになった
事件があります。それは松本サリン事件です。

オウム真理教による未曽有の化学テロは許される
ものではありません。しかし、それよりも酷いのは
無関係の民間人を犯人に仕立てたマスコミです。
特にテレビ。テレビの恐ろしい所は、見るものを
骨抜きにしてしまう事です。視覚、聴覚を奪い、
ついには思考を奪うのです。三原色が織りなすビジョンは
真実であり、絶対なのです。幻影と共に聞こえる囁きは
福音なのです。テレビ伝道師でなくとも、全ては
ある授権者の伝道なのです。

犯人とされていた彼が無実と判明する瞬間まで、彼を
犯人と信じていた自分とその情報を「ねつ造」していたマスコミ、
特にテレビを恐怖しました。常識や真実すら、作り替える事が
できる現実に恐怖しました。

テレビは無かった事にしたかったのかも知れませんが、
これは前代未聞、言語道断の放送事故です。
放送免許を取り上げても当然の悲惨な事故、いや事件です。

ここまで酷いと、普通は自浄効果が発生するものです。
しかし最近のニュースを見る限り、それは発生していない
ようです。腐りきったものは、一度土に返すほかありません。

テレビの死はそんなに遠くありません。
いや、もう「終わりの始まり」は姿を現しているように
思います。利のみ追求するテレビ局の暴走と
動画ストリーミングの台頭。時代の寵児は必ず滅びるの
です。恐竜やアノマロカリスのように。

テレビを消して、自分を取り戻して。それから後にまた
テレビに会いたくなったら会いに行けば良いと思うのですよ。


多分、私は好き好んで会わないと思います。
会ったとしてもNHKくらい。
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エクスプローラ

2007-06-19 09:25:55 | Weblog
昨日の帰り、新快速の中でのこと。

足元に気配を感じ、視線を落としてみると蜘蛛一匹。

初めは宛もなく彷徨いているのだと思いましたが、
観察を続けていると、兎に角上へ登りたいようです。
恐らく、巣を張るためにでしょうか。人の足に登っては
違うと感じたのか降り、踏まれそうになりながら
また彷徨き。迷っては考える如くに止まり、
しばらくしてまた歩を進める。私は彼の行く末が
気になり、目が離せませんでした。

やがて、座席と内壁の繋がる場所の角から、上を
目指して登り出しました。しかし、金属の壁は
ツルツルと滑るようで、登っては落ち、登っては落ちを
繰り返していました。

それでも、糸を張って足場を作り、確実に高度を
増して行きます。

そこで電車は駅に着きました。その後、彼はあの壁を
乗り越えたのでしょうか。それとも、成し遂げられずに
またさまよい歩いたのでしょうか。

今の会社に就職したものの、それは正しかったのかと
自問自答しながらも、なんとか良いように変えて
いこうとしている(つもりの、多分)私自身を
蜘蛛の姿に見たような気がします。
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