黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

黄色い拍子木の世界

2100-10-15 00:05:22 | Weblog
黄色い拍子木へようこそいらっしゃいました。
右も左も暗がりばかり。それでも綴れば瞬間、明るさに
出くわすことだってあるのです。たまに、多分、そっと。

(最近の新しい何か)
終焉を見ました。
それでも、底から見える景色は終演ではなく、周縁だったのです。


マイ短歌ライフのアウトプッツ:黄色い拍子
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流れ着いて、島国。

2016-09-25 18:57:16 | Weblog
皆様、お元気にされているでしょうか。
幸いなことに、私は生きています。

以前の投稿から早2年が経とうとしていて、私自身もほとんどこのブログの存在を忘れたまま暮らしておりました。往時はなくてはならない存在だったのにね。人間とは勝手なものです。

今、私はフィリピンにいます。今年の6月の終わりから来月末まで、ちょっと英語を習いに。なかなか上達しないもので、歯ぎしりをする毎日です。

普通、英語を習いにわざわざ遠くまで来るには、それなりに理由や動機があるものですけれど、私の場合は無いんです。仕事して、眠って起きてという生活に疲れてしまって。ならば、漂流しようと。

フィリピンを旅立った後、私はどの岸に流れ着くのでしょうか。大人にもなれず、ただ年を取り、時に困憊するけれど。逃げて逃げて逃げ続けてたどり着いたところがそれなりに良かったように、まだ見ぬ岸辺には、さて、なにが。

生きることは旅、何て格好の良いことは言いません。
逃走劇です。トラウマやコンプレックス、ナイトメアと距離をとるための。
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染まれば染まるほどそれになる

2014-09-28 22:18:06 | Weblog
数年ぶりにリンゴの赤ワイン煮を作りました。
コツと言えば、リンゴの並べ方と焦がさない事位で、それ以外は特にありません。

鍋を火にかけると、リンゴは徐々に染まっていって、最後はワインの色になります。
その色に染まると、もう二度とリンゴの色に戻ることはありません。すべて食べつくされるまで、その色です。

人間も染まってしまうと、もう元の色や違う色にはなれないのでしょうか。

また性懲りも無く新しいボトルを空けて、ワイン色にしたが染まるほど飲んで飽きてしまったのなら、また作ろうと思います。
今度は柿もやってみようかなと企んでいます。柿、嫌いなんですけどね。違うものにしてしまったのなら、食べられるかもという甘い願いです。

今の色に染まった私は、いったい何に用いられるのがベストなのでしょうか。
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過ぎるだろう事

2014-09-26 23:41:43 | Weblog
さっきの記事で、会社を辞めて何たらかんたらと書きましたが、昔の記事を読んでいると、その時の状況と心境は全然変わっていないことに気付きました。
今から7年くらい前も転職しようかどうしようかと考えていたり、上司と相談して何とか現状を変えようとしてたり。

傑作だね。
その時と何にも変わってないんだから。挙句、精神を病んじゃって。何してんだろう。

でも、無駄な時間を過ごしたとは思いたくないし、そうは思わないんですよね。
確かに、加齢とともに選択肢を狭めてしまったかもしれないし、精神を病んだけれど、その結果得たものもあるんじゃないかなって。
他の選択肢をしていたら、得られないものがあったかもしれないし、もちろんその逆もあるけど。結局、全部は手に入らないようにできているんだから、そんな悲観的になるようなことじゃないんですよね、って思いますし、思いたいです。

この夏休みはずっと自宅にいたんですが、散歩しながら、料理しながら、自分がしたい事ってなんだろう?と考えていました。
ええ、答えなんて出ません。どんな欲望も、模倣欲望であるのですから。ふいに、これがしたいと思っても、それはほかの誰かがしているからしたくなるのです。
遠くに行ってという願望を母に伝えた時、「本当にそれをしたいと思っているのならいいと思うけど、誰かがしているからそうしたいと思っているんじゃないの?」と言われました。確かにそうかもしれないと、動揺しました。

僕にはこれといった特技や能力もないし、実はやりたいこともないんです。ただ、生きているだけ。遠くに行きたいのも、現状が嫌なだけ。現状を変えようにも、特技が能力が無くて、なかなかどうして。

これと言ってスキルもない。そして現状から遠ざかりたい。
=海外に行って、英語能力を身に着ける。

なんだ、内にあったものが口から出てきただけじゃないか。
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過ぎた事

2014-09-26 21:50:07 | Weblog
2004年5月23日に、このブログの最初の記事を投稿しました。
最初の投稿から、とっくに10年過ぎてたんですね。もちろん、間断なく記事を投稿したわけじゃないので、10年?って感じではありますが。

昔の記事はロマンチックな記事が多いなあ、と読み返して、顔から火が出そうです。
そんな風に思うのって、たぶん、10年前の僕とは中身がずいぶんと変わっちゃったんだからでしょうね。
本人はそんな自覚、全然ないのに。

でも、病気もして、飼い犬が死んで、母と父がまた暮らすようになって、また病気して、今に至ったのなら、変わっちゃったとしても何らおかしいことじゃないですよね。むしろ、何も変わってないのなら、何か決定的に重要な要素が、自分には欠けていることを示唆しているように思います。ええ、かけてないんです、そういうのが、僕は、たぶん。

今はたまたま夏休みで、こうして何にもしなくてもいい時間があるから更新しているけれど、また、静かに浜辺に置き去りにしちゃうんだろうなあ。
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最近の話題、トピックス、notice,information,alert,warning,error

2014-09-26 16:04:22 | Weblog
あたかも、しじまに沈んでいたかのような素振りを見せていましたが、生きている限り、そういう事をやり続けるのは困難です。
去年は突然の病気に苦しみ、仕事を少し休みました。その後、無事に職場へ復帰しましたが、今でも体調や気分はそんなにいい方ではありません。
突然死んだり、どうにもならなくなってしまうことは無いけれど、特効薬という物もないので、なすがままに。まあ、いつもの事です。

でも、ただ坐して何たらかんたらするほどには若くなくって。自分の日々を変えてみようと、この春から大学に通いだしました。通うと言っても通信制だから、通うというのには違和感はあるけれど、独学+ネットでの授業+たまに対面の授業という授業構成です。知らない事を知るのは、楽しいことですね。ええ、いいこと。あと、不要なほどに重厚な保険をシンプルなものに切り替えたり。来年は住宅ローンと仕事についても見直せたらと思っています。一遍にはできないし。ああ、そういえば、今日で育英会の返済が終わりました。気持ちを切り替えたいと思っているこの時に、お誂え向けなマイルストーン。

と、よいことを並べ立てている一方、あまりにも何でもできる=何もしなくてもいい時間があると、余計な良くない考え事ばかりしてしまいます。これは僕の悪い癖。
未だに許せないかつての親友について、考えを巡らせたり、問いてみたり、ググってみたり。本当に碌でもない。その人も僕も。

ああ、碌でもない。

思い返したり、考えたりするから良くないんですよね。そうはしたいのですが、世の中「べんりなもの」が本当にあふれていて。掌を見つれれば、あっという間に往時の忌々しいことを全部見せつけてくれます。もう、掌を見つめることすら、やめてしまえばいいんです。嫌なことに蓋をして、今、この瞬間の自分を大事にしてくれている親友と家族、知人だけを見ていればいいんです。知ってました、そうするのがいいってことを。でも、頭の調子を急に切り替える事は難しくて。

今、新しい事を初めて出したところだけど、遅すぎたかしら?でも、明日するよりも今日、そう思って踏み出したことに価値があると思います。明日、もう1日分遠くへたどり着いているんだから。

その他のプランとして、来年、会社を辞めて、英語を勉強するために半年くらい海外に行こうと思ってます。まあ、海外って言ってもすぐそこなんだけど。もうすごい若いってわけじゃないし、次の仕事があるかどうかって不安もあるけれど。今の会社にいても、将来的に大丈夫か(会社というよりは僕の能力的に。それにもう出世は望めないし)ってのがあるんですよね。あと、気分を変えるってのも狙って。一石二鳥となるか、二兎追うものは一兎も得ずとなるか、はてさて。来年までに状況が変われば、こういうものも変わるでしょうけどね。

今の会社、しがみつけば、生活は保障されているんですよね。でも、仕事が絶望的に面白くない。頭腐ってきちゃうし、そもそもかなり暇なんですよね。他人と比べる事は無いけれど、同い年の人が活躍しているの目の当たりにすると、焦っちゃう。仕事するには十分に働きたいんですよ。だらだらだらだらしたくなくて。それに新しいことにもチャレンジしたいんだけど、それができない状況(まあ、飼い殺されています)が嫌なんです。そしたら、ねえ。日々が保障されているだけの今の状況は、僕の幸せじゃありません。

というような、近況。
皆様、お元気でしょうか。
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2.5年ぶり数百回目

2014-09-25 12:31:55 | Weblog
かつてはあれほど勤しんでいたのに。
2年半ぶり位に短歌を詠んでみました。
ものすごく下手くそになっているし、それで満足してしまうから、もう本当に最初からやり直し。
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生存確認、しましょうか?

2014-09-25 12:01:49 | Weblog
遅い夏休みを送っています。

遠出するには半端な季節で、近場に出かけるにしてもお天気がいまいちで。
ネットのサービスでドラマやアニメを見たり、絵を描いたりして過ごしています。

これは、少し前に、数年ぶりに描いた牛の絵。


何事もなく、少なくとも自分自身の目にはそう見える退屈で安心な毎日を送っています。
安心?うーん、それは嘘かな。安全だね。うん、安心ではないよ。心は常にざわざわしているからね。

こういう日はどこにもいかないほうがいいよ。
でも、いつでも出港できるように、準備はしておいたほうがいいよ。

準備とは何か?

ロープ?脚立?遺書?
それとも航空券?パスポート?USドル?

安全な日々でも、そんなものはあっという間に覆ったりするし、手から離れて行ったり、置いてけぼりを喰らったりします。
例えば、納得できる美味しいものを食べるとか、ジョギングするとか、植木に水をやるとか。
昔の嫌なことを思い返して、怨嗟を紫色に燃やすとか、その燃え殻を永久に捨てるとか。
自分を痛めつけた過去を葬り、新しい未来を産湯使わせるとか。
個体とみなしていたものを、液体と認識しなおすとか。
大雨の日に窓を開け放ち、いいお天気と絶叫するとか。

なんでもいいの。
なんでも。

私にだって許せない人がいる。
この瞬間は許せないし、この先許せるかどうかもわからない。
それでも、それを過去完了の世界に閉じ込めて、進行形を刻んだりもできる。

その心構えと言うか、認識。
まだ、僕には足りないね。

もう少し、もう少し。

そのうち、牛の絵にも違う色を足すことが出来るようになるんじゃないかな。
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言葉の海に漂う藻屑

2014-02-08 10:35:48 | toritomemonasick
ITに詳しい人であれば、きっとメーラーの設定くらいなら、おちゃのこさいさい。でも、素敵で適切な文章が書けるという事になると全く無関係。だから、ITに詳しくても、それが当たり前の職場でも、ノイズとガラクタとラビリンスのトッピングされたメールが、埃のように降り積もります。ええ、僕の職場です。

私はよく、そこで遭難したり、精神的に餓死しそうになったりします。

職場にいる少し年上の巨漢と、さらに年上の中年の作り出す、珍妙な文章に悩まされています。さらに言うと、文章だけでなく、コミュニケーションを拒絶したいことを滲み出しているの?と疑問を感じずにはいられない表現は、会話にすらにじみ出てて、業務に支障をきたしています。

これが子供なら、本を読むとか、作文を重ねるとかで矯正するすることもできると思うのですが、大人ですからね。もう、どうにもなりません。

何事もそうなんですけど、トライアンドエラーなんですよね。物事を伝えるための手段として文章を書くけれど、それが正常に機能しだすまでの過程ももちろん。そのトライアンドエラーをさぼったり、逃げたりすると、何時まで経ってもエラーの向こう側に行けなくて。ああ、それって遭難しているのと同意義じゃないんでしょうか。なら、いっそ大地へお帰り。

それに気付いてくれたら、隣の島くらいにはたどり着ける筏を作りだしてくれるんでしょうけどね。そんな気配はあんまり感じられず、挫折感を感じます。彼らの戯言が、僕(とそれ以外の、例えば上司とか)の時間を食いつぶしています。

彼らへの対応と明かりを灯すのにトライアンドエラー。まあ、大体はエラーだし。筏はたいてい進水の前に浸水だし。水に浸かって、ふやけた文字がダンスするドキュメントは、藻屑になって、また何事もなかったように。彼らが籠る島は、潮騒だけが響いちゃって。

早く出てきたらいいのに、島から。

言葉の荒波を泳いで。もし、沈んでしまったら、墓碑には永年と刻んで差し上げますから。デイドリームみたいな文章を生み出し続けたことに侮辱を込めて。
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おはようございます、おやすみなさい、いただきます、ごちそうさまです by myself

2014-02-06 21:22:24 | toritomemonasick
世界が洗い流された日から早数年経ちました。

何かが変わってしまいそうな気がしましたが、人間の脳味噌というものは薄情なもので。かつて悲劇で塗りこめられていたシナプスは、新しい喜びや楽しさで彩られて、日々に忙殺されているうちに、もう元の木阿弥。

僕の日常も洗い流されて、海の藻屑になってしまう気配もありましたが、なんとか漂流せずに、しっかり作りこんだ貝殻で、安寧に暮らしています。

本当に何も変わっていないかと言えば、全然そんなことは無くて。白髪が増えたり、見知らぬシミが現れたりといった身体的な変化から、飢餓感無くハンティングに参加できる、大人の心持が少しわかったような気分になるという心理的な変化まで、それ相応に、時間に揉まれて、研磨されて、確実に昨日とは違う生き物になっています。

でも、それは僕にとっては些細なことで。変わっていくものなのです。体も、心も。でも、僕が僕のままという、本質的な部分は変わっていないのです。シミ?シワ?白髪?そんなもの、表層的なもので、本質からは程遠いものです。

この数年の間、愛がそばにある生活も、苛立ちがそばにある生活も経験しました。それらは、僕に多様性とは何かを味見させてくれました。

それでも、本質はかわらないのです。これまでも、これからも。変えるつもりもありません。

それでも、自分自身のこととはいえ、表層や心の浮き沈みにとらわれて、ああ、心底かわってしまった、あの時の自分はいないし、もうなれない、とか、正しくないことを正しいと思ってしまうかもしれません。

まあ、遠回りしちゃったとしても、自分が自分をきちんと元のコース、本質は変わらないと言う事を教えてくれるんですけどね、いつでも。
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