森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2014年8月15日の記事「時にはブラックジョーク♪」

2016-09-06 01:50:14 | NO.50の記事
 
画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル
先日「芸術新潮9月号」をネットで買い求めた際に、どうしても欲しくなって買い求めたそれの7月号。芸術新潮 2015年 07 月号 [雑誌]新潮社......
 

上の文は、昨年の9月5日に投稿したものです。

昨年の私は、「暁斎展」に一人で行っていたのですね。一人でウロウロすることが出来る力を持っていると、世界は広がると私は思っています。ひとりで映画になんか行くのは当たり前の事だけれど、美術館にだって一人で行きますよ。

だけど一人も楽しいけれど、みんなでワイワイだって楽しいのです。

今年の9月5日は、久しぶりに奥サマランチに行ってきました。

と言っても、リッチなランチではなくてサイゼリアにて。

その時友人の一人が、

「この夏は映画は『シン・ゴジラ』しか見ていない。」と言いました。

それで私は嬉しくなって熱く語ってしまうと、どうも彼女は不満で寝ちゃったらしい・・・・・。

人の話はちゃんと最後まで聞きましょうと言う所だったかも。

でもまあ良いのだ。悪く言われる前に先手必勝で褒めまくってやったぞ!

 

そしてその人が

「『後妻業の女』が観たいんだよね。」

と言いましたが、誰も「私も。」と言う人はいなくて、大竹しのぶは演技派と言う方向に話は流れて行きました。

 

だけど、「後妻業の女」は意外と興味がある人も多く、映画もヒットしてるみたいですね。

私も、この映画の予告編を見た時に、凄く心に残ったのですよ。

 

ところで9月4日の50番目の記事は昨年の8月15日に投稿した

「時にはブラックジョーク♪

でした。

 

そのお話は・・・・

 

人の死亡率は100%。

死なない人などいないのです。だから家族は出来る事ならば年功序列で死にたいものだと思っているのです。

だけどそうなると年の離れた妹は、子供もいないのでたった一人で孤独と老いとに立ち向かわなければなりません。

そのようなちょっと重い未来予想図を描く時も、私も含めた我が姉妹たちの手にかかれば、ブラックジョークでアハハオホホと軽いモノに転換させてしまうのかも知れません。

たった一人になって更にボケてしまったら、みんなで道路のこちら側から手招きをしてあげるからと言うもので、要約して書いたらちょっと恐ろしいお話に感じるかも知れませんね。

 

今年の7月8日には「ああ、笑ったね♪ その2」

と言う家族スナップを載せました。

その中で

>話した事は今回は(今のところ)結構覚えていますが、みんな軽いお話で、明日忘れても別に問題がない物ばかり。それに私たち、結構ブラックユーモアも好きなものだからブログ向きではないのよね。

とあるのですが、この時話していた話は、まさに「後妻業」についてだったのですよ。

 

歳を取って、もしもそれぞれの連れあいを亡くしみんな一人ぽっちになってしまったら、私の家でシェアして生きていけば良いよと私は食事しながら、さりげなく言いました。

本当にいざと言う場合の、意外と真剣な大事な話です。みんなでちょっとだけしんみりとしました。

でもやっぱりうちら姉妹だと、その後に続く会話は・・・・。。

 

「きっとみんなの年金でも合わせれば何とか暮らしていけると思うからさ・・・。」

「だから、年金の管理は私がして・・・」←何気に怪しい方向に

「君たちはトイレとお風呂場の掃除とか食事を作ればいいよ。」

「私はお掃除はダメだから・・・」

「じゃ、トイレは私がするから、冬ちゃんはお風呂のお掃除を・・・」

「何言ってるの。トイレとお風呂場のお掃除はセットに決まりでしょ。」

「分かった。じゃあ、冬ちゃんはご飯の支度だね。」

「うん。分かった。私は料理もダメだから、毎日まずいごはんでも我慢してね。」

「まずいのか~!?  仕方がないから、御飯は私が作って・・・・ウーム」

「あっ、そうだ。 私、お買い物係遣るわ。そして金持ちで寂しい叔父さんをひっかけてくるわ。それなら得意よ。」←すでにジョークですからね。

 

「ああ、そう言えば、この前映画館で「後妻業の女」って言うやつの予告編を見たの。それってお金を持っていて持病があると更に良くてと言う男を騙す凄く怖い映画なんだけれど、『後妻業』って言うのは、なかなかいいなって思ったわ、私・・・。」←犯罪は抜きで。

「じゃあ、みんなでそれをやるか。」

「私がそう言うおじさんを物色してきてお誘いするジャン。」

「じゃあ、私が・・・・」と良からぬ計画は続く・・・・・。

 

やっぱりブログ向きじゃありませんね。 

それに私たち口ばーっかしですからご安心ください。

 

そう言えば、こんな時、姉はどうしていたのだろう・・・・。

まるっきり会話に参加してない?

いやいやきっと「後妻業」をやるにあたっての自分の立ち位置を、黙々と考えていたに違いありません。

 

そして・・・・・

真面目に老後の一つの在り方を考えていた数分前の私は、パタパタと見えない羽をはやしてどこかに飛んで行ってしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

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