月の光が天空で地上を照らしているその時に、東の国の恋に落ちたキングとクィーンは手を取り合って幸せな気持ちで、眠りにつきました。
同じ光のその下で、いつか歴史に名を残した男が、悔しさの気持ちで心の中を真っ黒にして「鬼になる。」と誓いを立てていました。母はその男の気持ちをしっかり受け止めて
「それなら、私は鬼の母になるだけです。」と微笑むのでした。
昨日の(書いているうちに明後日になってしまいそうですが)「篤姫」は、なんかしみじみと良かったですね。気が付くと、涙がすぅっとこぼれて、ああ泣いていたんだなというシーンがたくさんありました。
タイトルの「母の愛憎」の母とは本寿院や大久保の母フクのことを指して言っているのでしょうか。子の敵だと思えば母は命を懸けて憎みもし、子を守り支え、その愛で包み込もうとしますが、時にはその愛で、子を翻弄してしまうこともあるのでしょう。
―母よ、ありがとう。だけど、私は大人になったのです。これからは私があなたの心配をいたします。
誰もは正面きっては言わないけれど、この感謝の言葉は嬉しくてそして悲しい、例えばツバメの子供が巣を飛び立っていくときのような寂しさがあるような気がします。
本寿院の言葉で印象に残ったのは、篤姫に家定に会わせて下さい、妻として慕っておりますと泣きつかれた時に
「いやはや、これでは嫁をいじめているようだ。」とうろたえた所です。
まさに嫁いじめじゃないのかと、私は思っていましたが本寿院の意識は違っていたのですね。
大奥に上がるということは普通の婚姻ではなく、御台所と言うポジションに着くという意味なのかも知れません。そうであるならば、意見違えば策を弄して戦うのも必定というものです。ただ、この御台所は恋する妻だったのです。
誰が、自分が愛する者を同じように慕っている者に悪意を抱くことが出来るでしょうか。
―妻としてではなく一人のおなごとして、上様をお慕いしているのだ。
と、篤姫に伝える幾島の印象に残ったセリフは、またも私をいらつかせます。
「ただ、我らが使命を考えた時に、それが凶と出るか吉と出るか・・・」
我らが使命―何言ってるのかなと思ってしまいます。「篤姫」の物語の根底から覆すようなことを言ってしまいますが、篤姫の使命と言うのは、斉彬の養女として大奥に上がった段階で果たしたといっていいのではないでしょうか。その先の重責を一介の小娘一人の双肩にかける訳がありません。御台所の娘を持つ斉彬が、表で頑張ると言うのが、普通なのじゃないかなと思うのです。
大奥にいる姫に頑張ってもらわなくては・・のようなセリフを聞くたびに、私は「歴史は夜、作られる。」的な事を斉彬が期待してるかのようで、妙に居心地の悪い感じがするのです。
だからもう「我らが使命」なんてものはポイっと投げ捨てて、恋の道を行きなされと応援したくなってしまいますね。
「そちが来ぬから、こちらから会いに来た。」
この時二人は駆け寄って抱きあうのでした・・・私のイメージでは。
そうならなかったのは、ちょっと残念ですが、
「久し振りだのう。」
「本当に。」と涙顔で見詰め合うのも良かったですね。
ところで、今回の篤姫で一番吃驚したのは大久保宅で流れた音楽です。篤姫ではないような音楽が流れました。そして、篤姫と家定の二人のシーンでまた音楽が変わりました。
それぞれの青春グラフィティー・・・そんな言葉が浮かんできてしました。
流れ流され人生の河を泳いでいくよ。
あの時私は・・と私は言う。
あの時私は・・と彼は言う。
同じ光のその下で、いつか歴史に名を残した男が、悔しさの気持ちで心の中を真っ黒にして「鬼になる。」と誓いを立てていました。母はその男の気持ちをしっかり受け止めて
「それなら、私は鬼の母になるだけです。」と微笑むのでした。
昨日の(書いているうちに明後日になってしまいそうですが)「篤姫」は、なんかしみじみと良かったですね。気が付くと、涙がすぅっとこぼれて、ああ泣いていたんだなというシーンがたくさんありました。
タイトルの「母の愛憎」の母とは本寿院や大久保の母フクのことを指して言っているのでしょうか。子の敵だと思えば母は命を懸けて憎みもし、子を守り支え、その愛で包み込もうとしますが、時にはその愛で、子を翻弄してしまうこともあるのでしょう。
―母よ、ありがとう。だけど、私は大人になったのです。これからは私があなたの心配をいたします。
誰もは正面きっては言わないけれど、この感謝の言葉は嬉しくてそして悲しい、例えばツバメの子供が巣を飛び立っていくときのような寂しさがあるような気がします。
本寿院の言葉で印象に残ったのは、篤姫に家定に会わせて下さい、妻として慕っておりますと泣きつかれた時に
「いやはや、これでは嫁をいじめているようだ。」とうろたえた所です。
まさに嫁いじめじゃないのかと、私は思っていましたが本寿院の意識は違っていたのですね。
大奥に上がるということは普通の婚姻ではなく、御台所と言うポジションに着くという意味なのかも知れません。そうであるならば、意見違えば策を弄して戦うのも必定というものです。ただ、この御台所は恋する妻だったのです。
誰が、自分が愛する者を同じように慕っている者に悪意を抱くことが出来るでしょうか。
―妻としてではなく一人のおなごとして、上様をお慕いしているのだ。
と、篤姫に伝える幾島の印象に残ったセリフは、またも私をいらつかせます。
「ただ、我らが使命を考えた時に、それが凶と出るか吉と出るか・・・」
我らが使命―何言ってるのかなと思ってしまいます。「篤姫」の物語の根底から覆すようなことを言ってしまいますが、篤姫の使命と言うのは、斉彬の養女として大奥に上がった段階で果たしたといっていいのではないでしょうか。その先の重責を一介の小娘一人の双肩にかける訳がありません。御台所の娘を持つ斉彬が、表で頑張ると言うのが、普通なのじゃないかなと思うのです。
大奥にいる姫に頑張ってもらわなくては・・のようなセリフを聞くたびに、私は「歴史は夜、作られる。」的な事を斉彬が期待してるかのようで、妙に居心地の悪い感じがするのです。
だからもう「我らが使命」なんてものはポイっと投げ捨てて、恋の道を行きなされと応援したくなってしまいますね。
「そちが来ぬから、こちらから会いに来た。」
この時二人は駆け寄って抱きあうのでした・・・私のイメージでは。
そうならなかったのは、ちょっと残念ですが、
「久し振りだのう。」
「本当に。」と涙顔で見詰め合うのも良かったですね。
ところで、今回の篤姫で一番吃驚したのは大久保宅で流れた音楽です。篤姫ではないような音楽が流れました。そして、篤姫と家定の二人のシーンでまた音楽が変わりました。
それぞれの青春グラフィティー・・・そんな言葉が浮かんできてしました。
流れ流され人生の河を泳いでいくよ。
あの時私は・・と私は言う。
あの時私は・・と彼は言う。













あの大河・篤姫とは思えない唐突なBGMに、一緒に見ていた妻も「なに、この音楽っ!」と驚いたほどでした。
きっと今後も流れるのでしょうね♪
将軍様ははっきりと慶喜公が嫌いと言っているのだから、島津の父上も諦めてくれればいいのに…
ここで嫁が夜な夜な「一橋公を…」と迫ったら、あまりのしつこさに、好きな女も嫌いになってしまうでしょう(泣)
いっそのこと、幾島様が御台所になった方が、力押しで万事うまくいったのでは…(家定様の寿命はさらに縮むかもしれませんが…)
本当! あの音楽には驚きましたよね。この時チャンネルを合わせた人は、違う番組かと思ってしまいそうですね(笑)
斉彬もそうまでして慶喜じゃなくてはいけなかったのかしらと思ってしまいますが、大切なのは人物より政治の人脈だったのでしょうね。
だからことさら篤姫が可哀相に感じますよね。
幾島様が御台所だったら、お渡りがまったくなくて、家定は長生きをしたのではないかしら(笑)
今年は残念ながら、大河を見れていない状態になってしまっているんですが、今年の大河もなかなかに好評の様子。
今後もじっくり見れるか・・・自信がないのですが、マイペースに楽しんでいければ、と思っています。
それから、ちょっと色々ありまして、今のブログから移転せざるを得ない状況になってしまいまして、新たなところで心機一転、再開することにしました。
またこれからも、どうぞ宜しくお願いします☆
新しいブログの方に、訪問させていただきました。またこれからもよろしくお願いいたします♪
今年の大河は老若男女が楽しめるお話のようで、視聴率も好調らしいですね。
でも、
>マイペースに楽しんでいければ、と思っています。
ですよね。私もそう思います。
音楽も、ここで冷徹な鬼になるという重要なシーンだったのでしょうね。
原田さんは役者としても違和感がなくていいです。
大久保利通、麻生太郎と家系がつながってるらしいですね。
維新の三傑といわれている彼ですが、そういえばどんな人だっけとWikipedia を読んでみました。麻生太郎さんの事も書いてありました。なんか凄いですね。そういう人が祖先なんて。
「演じた人」のところで原田さんはわざわざ括弧してネプチェーンと入っていたので笑えました。ここまで来たら役者で通用しますよね。
でも、この前爆笑問題の番組で、ネプチェーンの昔のホストコントが流れていて、なんだか妙にしみじみしちゃいました。頑張ったんだなぁみたいな(笑)