「タージ・マハル尽くし企画」の最後は、ヤムナー川の対岸から、早朝の朝霧の中に浮かぶタージマハルを見ると言うものでした。
この早朝企画は、本当に美しい風景を見せて頂き満足度マックス。
ああ、ここからだったら「月とタージマハル」も可能だったのにと、ふと思いましたが、
日常の生活の中では経験出来ない、またはしたくない暗闇を経験してしまう事になり、
歩く事すら困難で、この場所には行きつけないだろうと思われました。
こちらの岸辺には遺跡の跡がこれと言って保護されることなく無造作に残っています。
タージマハルを建てたシャー・ジャハーンは王妃の霊廟と対になるように、対岸に黒の霊廟を建てようとしていました。民の重税の苦しみなんかは、あまり考慮されていたなんて思えないので、この黒の霊廟が挫折したのは、建てている途中で息子にアグラ城塞に幽閉されてしまったからなんだと思います。
この遺跡は、その黒の霊廟の建設途中跡地なんですね。
これ、本当に建っていたら、凄まじかったですよね。
「苔むして 夢の残骸 霧の中」
インドのガイドさんは、このように建設途中で挫折した建たなかった物の遺跡など興味もなかったのか、
尋ねるまで何の説明もなかったのです。聞くと、
「だから昨日言ったでしょ。対岸に王様は自分の・・・・」となったわけですが、
言われて「あっ、そうね。」とすぐに思ったものの、何の説明もなければ、また違う何かかも知れないし、このように遺跡のようになっているとも思っていなかったので、「=」には結びつかなかったのでした。
違う場所に訪れて知る我が家の良さと言うものがあるじゃないですか。
私がガイドでも、相手が日本人なら見逃さずに説明しますよ、ここは。
「ここが昨日言っていた黒の霊廟の建設途中で挫折した跡地です。」
日本人って「平均値なる人種」だと思うのです。
ずば抜けてと言う人は他の国と同じく一握りでも、皆そこそこに知識や興味を持っていたりするのですよね。
そこそこの考古学人。
何の意味もなさないような土塊からいにしえ人の声を聞き、吹く風からも悲しみを感じることが出来るのは日本人特有の感性ゆえでしょうか。
あとほんのちょっとだけ思った事を書かせてくださいね。
イスラムの文化はシンメトリーを重要視するそうです。
「対の文化」と言う事でしょうね。
だからタージマハルも、塔もシンメトリーに建てられて、左側にモスクなら同じような建物が客殿として建てられているのです。
それゆえ王は白きタージマハルと黒き自分の霊廟を河を挟んでシンメトリーに建てたかったのです。
でも「対」と言うのなら、これほどの「対」はないと私は思いました。
14人の子供を産んで産褥熱で死んだ王妃は、勇猛果敢に戦った戦士と同じように思われて、人々の尊敬を受けました。
そして何より愛に包まれて死にタージマハルが生まれたのでした。
だけれど王は、愛する長男を別の自分の子供に殺されて、幽閉されてそのまま失意のうちに生涯を終えました。
愛と憎しみ、栄光と挫折、完成と未完。
河を挟んで見えない物たちの「対」がそこには存在していたように思ったのでした。
空をオレンジ色に染めて、太陽が昇っていきました。
カラスも羽を休めていました。
私たちが近づいても逃げません。
日本の鴉とは違う衣を着ていました。