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コジキジゲン

まなシキ・・・あらやシキ・・・妄想・・・

2017-04-23 18:59:42 | 古事記字源

 ・・・23:00「ETV特集「獄友たちの日々・43年の時を経て無罪を勝ち取った「布川事件」の桜井昌司さんが「獄友」たちとしゃばで出会い直す旅をドキュメント。奪われた時間の中で彼らは何を失い何を得たのかを描く」・・・見終わった・・・昨日は「戊寅の日」・・・三億八千万円強奪、七億円不法持ちだし、銀座で四千万円強奪・・・カネってアル所にはアルんだ・・・なんか、世の中に影響あるのかな?・・・タイセイに影響はないか・・・ミサイルが飛んできてもタイセイに影響はないんだろうナッ・・・スベテは「ココロの産物」らしいから・・・
 ETV、「13:00・こころの時代・唯識に生きる・第1回・唯識の歴史と基本思想」を観てたが、薬のせいか眠い。目蓋が知らんうちに閉じてしまう・・・「仏教の根本思想、唯識・この世の一切の存在は、自分の心が作り出したもので、ただ心のみが存在する」だった・・・登場した学者先生によれば、「唯識」=「唯心」であるらしく、「唯(ただ)」+「認識・意識」ではないらしい・・・「唯(ただ)」+「こころ(心)」ですか・・・「唯心臓」ではないョなッ・・・「存在論」と「認識論」は区別して考えるべきだな・・・「唯識(言+音+戈)←脳ミソの記憶機能、思惟、判断機能」=「唯心(頭脳←脳ミソの機能領域)」・・・いくら「人間はコトバの生き物」を強調しても誤解を招く・・・「喩意識」・・・素直に「漢字の形象意味」から考えればイイのに・・・「yoga(瑜伽)」・・・ヨガ・・・「夜河」、「与(與)衙」、「余我」・・・?
 ↓↑
 基本思想・・・「第八識」・・・「五感」+「3α(六・七・八)」・・・
 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識
 視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚・記憶(意識)・末那識(思惟・思考)・阿頼耶識
  (蛙等哉詞記?・鴉等哉詞記?・丫等哉詞記?)
 ↓↑       ↓↑     丫=ア→Y=ワイ=倭意
 ↓↑       ↓↑   ↓↑ア→了
 「阿摩羅識(あまらしき、梵語 amala-vijñāna、菴摩羅識)」、
 「阿頼耶識(あらやしき、梵語 ālaya-vijñāna、
                ālaya の音写、
vijñāna の意訳の識
との合成語」
 旧訳は、
 「阿羅耶識、・・・・・・・・・・阿(ア=阝+丁+口)
                 羅(ラ=罒+糸+隹)
                 耶(ヤ=耳+阝)
阿梨耶識(ありやしき)、・・・梨(なし・利+木)
                 耶(耳の邑)→耳の形は「阝」
  蔵識(藏識)、・・・・・・・・句等詞記・・・倉敷?
  無没識(むもつしき)、
  頼耶識、
  頼耶」
 とも略される・・・
 「末那識(まなしき、梵語 Manas-vijnaana)」は
 「第七識」である・・・
ーー↓↑ーー
 末那識=「意」と訳す
     「意」は思量の意味・・・「思う量=思考の量」
      この「識」は常に
      第八識の見分を縁じて、
      我である、法である、・・・私法=自分
                   公法=社会的掟、規則
      と思量するから
     「末那(マナ)」と言われる・・・まな=魚
                     真名=漢字
                     マナ=マナ(Manna)
         マナ=「これは何だ?」の意味
            ヘブライ語で
            全体の一皿の食べ物(一品)
            数を割った「商」の意味
      末那識=末那即識(意、それ自体が第七識)のこと
          第六意識(意に依る識)
          と区別する為に、
          manas マナスのまま音写していう
          つまり
          第六識も「意識」というので、
          その違いは、
          意識は
         「意」によって生じる・・・?思考
         「識」であるから・・・・・?概念規定・認識
         「意識」という。・・・・・?記憶
         「依主釈」。
         「末那識」は「持業釈=同格限定複合語」
          である。「持業釈(ジゴッシャク)」?
          ・・・???
          単語をつなげて造られる複合語
          「積む」+「重ねる」=「積み重ねる」
          「甘い」+「辛い」=「甘辛い」
      末(すえ)の那(くに)を識(し)る
                那=尹+阝・・・任那(みまな)
                  尹=おさめる・ただす
                    おさ・長官
                    イン・令尹
                那=刀+二
                那辺(どのあたり・どこ)
                   那落・支那・旦那
                那何(いかん?・どう)
ーー↓↑ーー
 「ヨーガ(yoga・漢字での音写語、借音は瑜伽?
  瑜=王(おう)+兪(やすらぐ)・・・王を癒(いや)す
   =宝玉・瑾瑜=美玉・・・王=玉=たま=多磨・多摩・霊
  伽=イ+力+口・・・イ(人)に加える
           人に力を口から与える
           呼吸を整える
    励ます
    とぎ・話し相手になり慰めること
    お伽話・夜伽・・・癒す・・・癒=疒+兪(俞)+心
             兪(俞)=亼+肉+巜(刀)
             兪(俞)=人一(𠓛)肉巜
                  人のハジメは肉の巜
                 =亼月巜
             取り出す+亼巜(亼の刃物)=兪・俞
    ↓↑         ↓↑
    木の中をくりぬいて舟にする
    中身を取り出す
    肉(舟)+巜(刀)=肉から血膿を刀で抜き取る
    入(いりがしら=𠆢)+一+肉+巜(流動液・液体)
    「兪・俞(ユ・yú)」・・・楡(にれ)=木+兪
    兪=木の中をくりぬいて舟にする様子
      舟(舟をくりぬく
    兪・俞=亼+肉(月・舟)+巜(液体・リ=刃物・メス)
    漢字の意味は「丸木舟・移す」
    漢方医学で「経絡(つぼ)」
    健康障害を除く「つぼ」を「兪穴(ユケツ)」
    癒(いや)す=看護・看病・・・加護?
  =牛馬にくびきをつけて車につなぐ動詞(yuj・ユジュ)
   から派生した名詞
   「結びつける」の意味・・・
 「ヨーガ・スートラ=心の作用のニローダ(静止、制御)
  自らの感覚器官を
  制御し、瞑想によって
  精神を集中する(結ぶ・繋ぐ・維ぐ)ことを通じて
  日常的な心の作用を止滅するコト」
 らしい・・・なるほど、「瑜伽」が数珠の比喩なら「玉」を「結ぶ・繋ぐ・維ぐ」である・・・「明治維新」って「明らかして治め、新しモノに維(糸の隹=つな)ぐ」・・・「四維=礼、義、廉、恥」・・・
 「瑜伽・ヨガ・兪雅?」の漢字意訳は
 「相応」らしい・・・相応・・・「分、相応」はレベルの問題
                 ピンからキリまでのレベル
 ・・・分、相応の「悟り」、「自覚」・・・「字画」では難しい・・・欲張らないで、自分自身の余裕の枠内で生きろって、かッ・・・ィヤぁ~、モンクはないけれどネッ・・・
 ヤッパ、異国、他国、隣国、「隣村=となりむら=訳名理務等」のコトバも理解するには難しく、困難である・・・「男と女」の交わすモノは「咲かせて咲かせて桃色吐息・金色銀色桃色吐息」だけでイイ?、コトバは不要であるカモ・・・それも、体力次第だろう・・・アイツのコトバも異国のヒビキだし・・・自分のコトバも理解困難・・・
 「煩悩の存在」であるコトを否定するんじゃぁなく、男も女も、「灰・舎利」になるまでアルんだって、ハッキリと認めた方が精神衛生上、イイ・・・自然界で、活きている、生かされているって「涅槃の前」、「涅槃まで」のコトだから・・・
ーー↓↑ーー
 アラヤシキ(蛙等哉詞記)
 マナシキ(真名詞記)・・・???
 ↓↑
 勝手に、我流に「漢字」から解釈(介錯?)・・・
 ↓↑
 八識
 意識作用の8種
 4世紀のインド(印度)に興った
 瑜伽行-唯識学派
 によって立てられた
 天台宗では
 第九・阿摩羅識を立てて全九識
 真言宗では
 第十・乾栗陀耶識を立て全十識
 ↓↑
 第七識=末那識を
 第六識=意識
 と区別し、
 「末那」ということによって、
 その識の特徴を示す
 「末那」=「思量(おもいはかる)」の義?
      「思料」でもなく、「思慮」でもない
      「思う分量、数量」である・・・?
       そして
      恒審〈ゴウシン〉の・・・恒常、日常的な
                  審判、判断?
      2義があり、
      第六の「意識」は
     「意の識」と・・・意(味)に依る(認)識
     「依主釈」?・・・主(五感の知覚)
              を前提に、依拠した
              更なる解釈、
              内容説明の追加、附け加え?
     「依主釈(エシュジャク)」=解釈の更なる解釈
               AはBであるから
               スナワチ、
               Cでもある
      によるもので
     「第七の末那(マナ)」は、
      すなわち
     「第六の意識」・・・
      記憶として意義され認識化されたモノを
      前提にし、
      更なる「意識、認識」の緻密化?
 第七は「意即識」、・・・意識化されたモノの更なる
             詳細な知識化、概念化
 すなわち、
 「第七識=末那識」は
 いわゆる
 「持業釈」による解釈・・・?・・・混乱も困惑も起こる?
 ↓↑
 第七の思量・・・?
 「思量」と云うんだかネッ?・・・思いが膨れ上がった質量の
                 扱い方=認識の仕方
 ↓↑
 第七識は
 「思量」と
 物事について
 詳しく考え、判断し、推理する働きの
 「恒審」の
 二義をもっている
 ↓↑
 第六識は
 「恒審」
 を具足していない
 ↓↑
 第六識は
 極悶絶〈ゴクモンゼツ〉
 極睡眠〈ゴクスイミン〉
 などのように、
 失心した時や
 深い眠りの中では
 「恒審」を
 断絶してしまうから
 恒思量の義を欠く・・・夢の中で考え、
            探(捜)しモノをするコトも
            欠く
            佐賀氏のモノ?・・・
            相模のモノ?・・・
            サガミにカミにカミて
           (古事記・誓約)を
           「恒審」しない
 ↓↑
 第七識とは
 恒と審との
 2義を備えた
 思量識で
 かくて、
 第七識が
 「末那〈manas〉」である・・・?
 ↓↑
 「未(いまだ)-那(ナ・尹+阝)-(であらず)」
  ではなく
 「末(すえ・うら・マツ・バツ)の
  那(ナ・尹+阝)」である・・・?
    「漢委奴國王印」→「委奴國」?
 「末=物の端・物事の終わりの方・最後・果て
    末裔・末期(マッキ)・末期 (マツゴ)
    末日・末梢・末端・末尾・末葉
    木の端、梢(こずえ)の先端
    「記紀(古事記・日本書紀)の末端・・・?
    「魏志倭人伝」の末端の國・・・「奴國」?
 ↓↑     ↓↑
 「末那識」の「はたらき=機能・作用」
 具体的にどのような
 「思量」を行うものか
 第七識のよりどころは
 第八の
 阿頼耶識(アラヤシキ)
 すなわち、
 間断〈ケンダン・カンダン・まダン〉なく
 無始時来相続・・・連続、継続、不断
 している
 第八
 阿頼耶識、・・・・肉体そのもの?
 生命の根本たる
 根本識による
 第七識も、
 無始時来相続
 している
 この根本識に
 依止〈エジ〉・・・「力や徳のあるものに依存し、
           それを頼みとすること」
          「依託止住(エタクシジュウ)」の意味
           頼りにし、拠り所という留まるコト
           力あり徳あるところに
           止住して離れざること」
 して活動する
 第七識は、
 何をその対象とし、
 その対象に対して
 如何に働くのか・・・
 それは
 自らの
 依止たる
 第八阿頼耶識の
 見分を・・・・実際に立ち会って検査すること
        調べ見届けること
        見かけ・みてくれ・外見
        見分けること・弁別・識別
 対象とし、
 それを
 実我と誤って考え、
 それにとらわれる
 第七識は
 我執の
 根本となる識
 ↓↑
 第八阿頼耶識は
 無始時来相続し
 一切の世界を・・・自然界、人間界
 顕現・・・・・・・事象、現象
 する根本は
 この
 阿頼耶識の・・・・人間の認識
 活動を観て、
 顕現の基体となる
 阿頼耶識の
 主体の側を・・・・「自然、人間界」の
           人間の認識対象を
 実の我であると・・・人間の自我
 思量し確執する
 かくして、
 第七識こそは
 虚妄分別の
 根本となるもので、
 我他彼此(ガタピシ)の
      ・・・我と他と、彼と此とを対立的に見ること
         個物を個物としてのみ把握し
         根元的な万物の同一性を見失っていること
         自分と他人、あれとこれと、
         物事が対立して決着しないこと
         さまざまな苦難、困難に堪え忍ぶべき世界
 対立
 分別
 の源となる
 ↓↑
 末那識
 我執の意識
 人間界の苦悩を
 自我を執じ、
 他を差別する
 分別にあるとみる
 ↓↑
 自他の区別があることが
 苦の原因ではない。
 ↓↑
 自他の区別に執着し、
 区別されたものを
 差別視するところに
 苦の原因がある
 ↓↑
 無常自体は
 世間の実相で
 無常であることが
 苦の原因ではない・・・無情が原因だろう・・・
 失ったモノに対しては苦である
 それを所有していた時の
 執着心が苦しみの元・・・
 我執
 ↓↑
 根本識たる
 阿頼耶識の
 見分を
 実我であると
 誤認するところから起こる
 その誤りを犯すものが
 末那識である
 ↓↑
 末那識は
 阿頼耶識に
 依止し、
 しかも
 阿頼耶識の
 見分を
 所縁とする
 ↓↑
 実我の執着
 第八識の
 行相〈ぎょうそう・働くすがた)は
 極めて微細なものであるから、
 それが
 第七識によって
 執着されているかどうか
 容易に知りえない
 ↓↑
 第七末那識の
 我執の内容
 第七識
 我癡〈ガチ〉
 我愛〈ガアイ〉
 我慢〈ガマン〉
 我見〈ガケン〉
 4種の
 煩悩と相応・・・
 ↓↑
 我癡とは無明をいう。無我の理に迷うこと
 我愛とは執着されている自我について貪着すること
 我慢とは執着されている我について、
     それを高しとすること
 我見とは妄りに自我を執する悪見
 これらの
 4煩悩と
 相応するということは、
 第七識の働きが
 真理に明らかでないために、
 妄りに物の区別を
 差別視し
 執着する
 人間の心情である
 ↓↑
 第七識が
 常に
 人間は
 自ら働いているところに、
 自分を
 他の一切のものから区別し、
 自己を形成する
 ↓↑
 第七番目の識として、
 仏教内にはこれを
 阿陀那(アダナ)識と
 名づける
 地論宗
 ↓↑
 第八識を
 真識として
 真如と同一であるとし、
 この真識が動じ変化して
 分別的に
 働く力が
 第七の
 阿陀那(アダナ)識
 ↓↑
 「起信論(著者は馬鳴)」の・・・「馬が鳴く」って?
 根本無明
 それは
 分別の根本として
 妄染の識
 ↓↑
 法相宗では
 末那識を
 我執の意識
 ↓↑
 第八阿頼那識は
 妄識
 ・・・妄想の根元は「不可知、不思議な宇宙」だろう・・・
 ・・・だから、ドウだって?・・・モウソオ・・・
ーー↓↑ーー
 ・・・その後のTVで
 「14:00・
  ネコメンタリー
  猫も、杓子(しゃくし)も
  ・養老センセイとまる
  14:25
  ネコメンタリー
  猫も、杓子(しゃくし)も
  ・角田光代とトト」
 を観た・・・ETVはイズレも「再放送」である・・・
ーー↓↑ーー
 本日は、2017年04月22(二二・二十二・弐弐・弐拾弐・念仁・貮足弐)日目・・・
 「2017年丁酉(庚・辛)・4月甲辰(乙・癸・戊)・22 日己卯(甲・乙)」・・・
  ↓↑
 2017年 丁酉(庚・ ・辛)年
    支合辛
 4  月 甲辰(乙・癸・戊)月→偏官(正官・偏財・劫財)
干合戊 支害
 22 日 己卯(甲・ ・乙)日
ーー↓↑ーー
 ・・・既に「4月23日」・・・

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