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コジキジゲン

カンジル・・・コンジャク物語・・・

2017-10-06 23:53:34 | 古事記字源

 ・・・前回のつづきデス・・・「変( 變)=ヘン=偏・編・篇」と「乱(亂)=ラン=覧・蘭・欄・藍・濫・嵐・卵」・・・ボク自身が過去(1985年頃のキャノンのワードプロセッサ(Word processor)とNECの88コンピュータの時代)から何度も「蒸し返し繰り返し」してきたコトだが、「645(ムシゴロシ)」・・・今現在、再度と云うか、毎日、ブログを検索しては漢字を調べているけれど・・・スゴイね、時間の流れ・・・漢字辞典の字数の洪水と、その意味内容の緻密さの研究と、そのモニター表示機能・・・
 「變=糸+言+糸+攵」と「亂=爫+マ+冂+ム+ヌ+乚」・・・
 「亂=治むるなり(説文解字)・治むるなり(爾雅・釈詁)・治める・もつれる・乱れる・秩序を失う・造反・ふしだら・紛う・迷う・むやみに・昏い・誤る・渡る・水を横切る・濫と通じ、みだりに・爛(ただれる)を代用」・・・
 「乱は亂の俗字(干禄字書)」・・・
 「親鸞の鸞(ラン・糸+言+糸+鳥)」は「ランの同音異字」で、「鸞=鸞鳥 (ランチョウ) に同じ・中国で、天子の馬車の軛 (くびき) 、天子の旗などにつけた鈴・音を鸞鳥の鳴き声に擬した」・・・
 「鸞=鳳凰の一種・神鳥・鶏に似て、鸞鳥、雌を和と曰ひ、雄を鸞と曰ふ(康煕字典・埤雅)」・・・お神輿の「鷄(鶏・雞)=奚+鳥=奚(爪幺一人)+鳥」・・・神輿に載せ、黄旛をハタメカセた「十三歳のトリ子の壱(壹・臺)與」だろう・・・黄幢=黄旛(黄幡)=物事に滞りがある時の結束の表示?・・・
 占いでは「黄幢=彪尾=太陽のフレア(flare)=豹尾神(ヒョウビジン)→2011年7月7日~2017年9月7日」・・・「計都星の精」・・・「羅睺=黄幡」・・・
 「天子が使うものの美称、天子の乗る輿、夫婦という意味」・・・
 「鸞は神霊の精が鳥と化したもの
  鸞は雄鳥
  雌鳥は和」・・・
  ↓↑
 「𤔔=みだれる」意味と「乱(舌+乚)」の「おさめる」意味は正反対だが混用され、乱れる意味で使用」?・・・・「武」も「矛(弋)+止」・・・兵器で戦う、刀(刃)を鞘に収めるの両義・・・「武=戈を止めて乱を静む」・・・
 「𤔔=乱(みだ)れる」・・・
 「𤔔」は「矞」に類似、類字だが・・・
 「橘=木+矞」の「矞=矛+冏=イツ・イチ・シュツ・ジュチ
               あな・あける・あなをあける」
 「亂=𤔔(爫マ冂ムヌ)+L=治(おさ)める」
 の意で、後に
 「亂に𤔔の訓を加え、みだれる・おさめる」の「両義を生ず(字通)」・・・
 「L(エル・L)→乚(イン)→乙(オツ)→Z(ゼット)」?・・・
 「𤔔は糸巻きに巻いた糸の上下に手がある字で、乱れる意味。それに乙(乚・L)を加え、乱れた糸を整理するという字」・・・
 「亂(乱)の声符の字に薍(𤔔七)」・・・
 「亂=乱」ならば→「𤔔=舌」だろう・・・
 「辞(舌辛)=辭(𤔔辛)=爫マ冂ムヌ辛(立十)=やめる・中外・ことば・ことわる・ジ」・・・
 「覶=爫マ冂ムヌ見(目儿)=楽しげに見る・ラ」・・・
 ・・・ワープロの時代には「覶」の漢字は表示されなかった・・・今現在は「毎(女性が髪の手入れを必要とする事から常にを意味する)・每=毎・毎=每」、「ケ・ヶ」の「ノ一(かみさし)」の部分である・・・「ノ一=[f:id:naie:20161109171434j:image]」の部首漢字が表示されない・・・𠂉𠂉
ーー↓↑ーー
 橘奈良麻呂
 天平勝宝九歳(757年)七月
 ↓↑
 橘奈良麻呂の乱
 橘奈良麻呂が
 藤原仲麻呂を滅ぼし
 稱紱天皇(四十六代)
 (養老二年・718年
   ~
  神護景雲四年八月四日・770年8月28日)
 の廃立を企てたが
 密告により露見未遂
 ↓↑
 父は橘諸兄
 母は藤原不比等の娘の
 多比能・・・多の比の能
 室は
 大原真人の明娘
 子に
 島田麻呂・清友・安麻呂・入居
      ・・・安麻呂?=太(多)安万侶・・・
 ↓↑
 橘奈良麻呂の父は
 左大臣
 橘諸兄・・・橘(十八マ了ノ冂儿口)
       たち ば な もろ え
       絶ち 葉 名 母賂 重?
       葛城王→橘諸兄
       父は
       大宰帥・美努王の子
       母は
       橘三千代(県犬養三千代
            後に藤原不比等と再婚
            光明子を産む
            養老元年(717年)に従三位)
       光明子(光明皇后
           大宝元年(701年)
            ~
           天平宝字4年6月7日(760年7月27日)
       は異父妹
 聖武天皇の治世に政権を担当
 743年(天平十五年)
 難波行幸中の
 聖武天皇が病に倒れ
 奈良麻呂・・・名等 麻呂
 は
 佐伯全成
 ↓↑・・・さえき の またなり
 ↓↑   差益   全(又・亦・股・復)成
     鸞=䜌(亦)+鳥
       䜌=亦=また・エキ・ヤク
           また、易、訳が「変」?
    全成の同名異人
    阿野 全成(あの ぜんじょう・ゼンセイ)
    今若丸(幼名)→隆超→全成
    僧侶
    源義朝の七男
    源義経の同母兄
    源頼朝の異母弟
    阿野氏の祖
    通称は醍醐禅師、悪禅師
末裔に
 ↓↑「岩倉具視」の片腕
   「玉松真弘=山本毅軒=玉松操」?
    文化七年三月十七日
    (1810年4月20日)
      ~
    明治五年二月十五日
    (1872年3月23日)
 ↓↑ が存在した・・・
 に対し
 小野東人
 らと謀り
 次期天皇に
 黄文王
 擁立計画を漏らす
 738年(天平十年)
 阿倍内親王が
 皇太子になった時
 橘奈良麻呂は
 「皇嗣立てることなし」
 と
 阿倍内親王の立太子を否定・・・
 ↓↑
 749年
 (天平二十一年=天平感宝元年
        =天平勝宝元年)
 聖武天皇が譲位し
 阿倍内親王
 が
 孝謙天皇=749年8月19日~758年9月7日
 として即位
 天皇の母の
 光明皇太后に信任されていた
 藤原仲麻呂が
 皇太后のために新設された
 紫微中台・・・749年に設置の令外官
 ↓↑  皇后宮職を唐風に改称
     皇太后の家政機関の体裁だが
     光明皇太后の信任を得た
     藤原仲麻呂指揮下の
     政治・軍事機関
     後に坤宮官に改称
     長官は紫微令、後に紫微内相
    ・・・兎に角、大陸、半島の帰化人、渡来人の
     名前がワンサカ、
     役職名に並んで記録されている・・・
     紫微斗数命=占いの一種
           命占術
          (生年月日時で宿命運を分析)
           唐末~宋の時代
           陳希夷が創始
           北極星(太一・天皇大帝)
           である紫微星を主とする
           星々から
           命運、運命(数)を
 ↓↑        量る枡(斗)
 ↓↑ 「光明皇后=大宝元年(701年)
             ~
          天平宝字四年六月七日(760年7月27 日)
          奈良時代の聖武天皇の皇后
          藤原不比等
          と
          県犬養橘三千代
          の女子
          聖武天皇の母の
          藤原宮子は異母姉
          諱は
          安宿媛(あすかべひめ)・・・安の宿
          通称は           安壊の関係は
                        宿曜経だが
                        空海帰国後?
          光明子・・・・・・・・・・・光の明の子
          藤三娘(トウサンジョウ)
          尊号は
          天平応真仁正皇太后
          基王(夭折)の母
          阿倍内親王の母」
     彼女(光明皇后)は
     王羲之が書した
     楽毅論(ガッキロン)の臨書を書いた?
     ・・・なぜ、「楽毅論」なのか?
     (楽毅=昌国君=望諸君
        =燕王を援けた中山国の人物
         毅然・毅勇・英毅・果毅・弘毅
         剛毅・豪毅・沈毅・勇毅
         楽の毅?
         毅=豙+殳=立+豕+殳
           䝘(豸殳)・𣪣(彐𧰨殳・彖殳)
           𣫖(辛豕殳)・𣫚(立キ豕殳)
    「紫微中台」が「天文観察の台」なら
 ↓↑  彼女はよっぽど「星占い」が好きだった・・・
 ↓↑  朝鮮、高句麗の古墳の中には
     プラネタリームの様に
 ↓↑  星座が描かれているモノもある
 ↓↑  日本では鬼虎古墳・藤の木古墳
 の長官(紫微令)に任命
 藤原仲麻呂(恵美押勝)が
 当初
 孝謙天皇から寵愛され
 橘諸兄親子の勢力は衰退
 橘奈良麻呂は
 十一月
 孝謙天皇即位大嘗祭の時
 佐伯全成
 に再び謀反の計画を謀った
 佐伯全成が謀反への参加を拒絶
 755年(天平勝宝七年)
 橘諸兄の従者
 佐味宮守(さみ の みやもり)・・・佐の味の宮の守
 から
 橘諸兄が酒宴の席で朝廷を誹謗したと密告
 ↓↑
 756年(天平勝宝八年)二月
 橘諸兄は辞職し二年後75歳で死去
 四月
 聖武上皇
 不豫・・・天皇や貴人の病気・不例
      「豫」は喜びごと・慶事
      予戒令=浮浪者や無産者、集会の妨害行為
          他人の業務に干渉する者の
          取締を目的に制定された勅令
          選挙妨害のタメにつくられた法令
          警視総監、内務省北海道庁長官
          官選の府県知事に
         「予戒命令」を発する権限を与えた
          1892年(明治二十五年)1月25日
          公布、即日施行
          1914年(大正三年)1月20日
          勅令第4号によって廃止
 の際
 黄金を携えて陸奥より上京した
 佐伯全成
 に対して
 三度謀反の計画を謀った
 橘奈良麻呂は
 大伴古麻呂を誘い
 大伴、佐伯両氏族
 をもって
 黄文王
 擁立を告げるが
 佐伯、大伴両氏は
 これを拒絶
 ↓↑
 五月二日
 聖武太上天皇崩御
 太上天皇の遺言により
 道祖王が立太子
 757年(天平宝字元年)四月
 道祖王が
 孝謙天皇の不興を受けて廃され
 藤原仲麻呂(恵美押勝)が推す
 大炊王(淳仁天皇)
 が立太子
ーーーーーー
 佐伯全成
 (?~天平勝宝九年七月四日
    757年7月24日)
 姓は宿禰
 官位は従五位上
 陸奥守
 天平二十一年(749年)
 陸奥守
 百済王の
 敬福
 が黄金を発見
 900両を聖武天皇に献上
 東大寺の造営に聖武天皇は
 元号を
 天平から
 天平感宝
 に改め、
 五月十一日
 黄金発見の功労者
 陸奥国の国司
 が昇叙された際
 佐伯全成
 も従五位上に昇進
 天平勝宝四年(752年)五月
 百済王敬福が
 常陸守に任ぜられると・・・常陸(ひたち・ジョウリク)
 その後任として
 佐伯全成は
 陸奥守に任ぜられた・・・・陸奥(むつ・リクオウ)
 四月九日
 東大寺盧舎那仏像開眼供養で
 久米舞舞頭を務めた
 孝謙天皇が即位した
 天平勝宝元年
 (749年)十一月
 佐伯全成は再び
 橘奈良麻呂から謀反計画を諮られていたが
 協力を拒絶
 ↓↑
 天平勝宝八歳
 (756年)四月
 聖武上皇不予に際して
 黄金を納めるため
 陸奥より上京したところ、
 橘奈良麻呂から
 三度目の謀反計画を謀られる
 大伴古麻呂とともに
 佐伯・大伴両氏族を率いて
 黄文王を擁立し
 仲麻呂派を除くというもの
 全成はこれを拒絶
 ↓↑
 五月二日
 聖武上皇が崩御
 上皇の遺言により
 孝謙天皇の皇太子には
 道祖王が立てられた
 だが
 天平宝字元年(757年)三月
 道祖王が
 孝謙天皇の不興を受け
 廃され
 藤原仲麻呂が推す
 大炊王(淳仁天皇)
 が立太子された
 ↓↑
 橘奈良麻呂派
 と
 藤原仲麻呂派
 が対立
 原因は
 孝謙天皇の
 母・光明皇后が藤原氏出身
 孝謙天皇の寵愛を背景に
 藤原仲麻呂が台頭
 道祖王の廃太子にも
 光明皇后(藤三娘・藤原不比等の娘)
 と
 藤原仲麻呂(藤原恵美押勝・・・同名異人は阿倍仲麻呂
       父は藤原南家の
       藤原武智麻呂の次男
       母は阿倍貞媛
      (阿倍貞吉の娘
        or
       阿倍真虎の娘)
 が関与していた・・・
 ↓↑ 
 天平勝宝九歳(757年)六月
 大伴古麻呂が陸奥鎮守将軍
 佐伯全成は陸奥鎮守副将軍
 をそれぞれ兼任
 藤原仲麻呂による事実上の左遷人事で
 佐伯全成も
 橘奈良麻呂派とみなされ
 陸奥国に閉じ込めておくための人事
 橘奈良麻呂自身も
 兵部卿を解任され
 右大弁に左遷
 ↓↑
 年六月中旬以降
 奈良麻呂派は奈良麻呂邸などで
 反仲麻呂派の謀議を持つ
 大伴古麻呂
 や
 小野東人
 は謀議に参加
 佐伯全成が参加していたかどうかは不明
 六月二十八日
 山背王が
 孝謙天皇に対して
 「奈良麻呂が兵をもって
  仲麻呂邸を囲む」
 旨を密告
 七月二日
 奈良麻呂らが
 企んでいる謀反への参加を
 小野東人
 から呼びかけられたと
 上道斐太都
 が
 藤原仲麻呂へ密告
 仲麻呂は
 中衛府の兵を動かして
 前皇太子
 道祖王の邸を包囲し
 小野東人
 らを捕らえて
 左衛士府の獄に下した
 (橘奈良麻呂の乱)
ーーーーー
 結果は「多治比(タジヒ)」一族の潰滅(壊滅)・・・が多い(オホヒ)のだが・・・
 タチバナのナラマロの結論は・・・つづく・・・

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