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しぶとく、同じことを、何度も繰り返すのは食事とトイレだけではないが?

2017-03-06 14:01:28 | 古事記字源

 昨日のコト・・・朝には3・11の東北大震災で全滅した宮城県南三陸町の志津川湾の「牡蛎の養殖」事業の復興、「持続可能な養殖漁業を目指し、養殖いかだの数を減らし、2~3年かかっていた収穫までの期間が1年に短縮、市場取引単価も上昇」、そして、21:00 NHKスペシャル・・・「あの日引き波が…行方不明者2556人」を見終わった。「・・・浮かび上がってきたのは激しい「引き波」の脅威だった。女川町の男性は、あの日、会社の同僚5人と共に引き波に流され、男性一人だけが沖に出るまでに救助され、助かった。しかし、一緒に流された同僚は犠牲になり、2人は今なお行方不明のまま・・・」。「災害に遇って生き残った人々」は「奇蹟」としか言いようがない。奇蹟と思うでもなく、今現在、ボク自身が「生きていること」に感謝である・・・「生き物」とはアタリマエだが「生きている期間の存在、生物体」である。しかし、「生きているコト」って、そう簡単に「アタリマエ」ではない、シブトく(死太=シヒフトし=強太・魂太=たましひフトし?)て、強靭なのか、脆くて、脆弱(ゼイジャク?)なのか・・・それ以前にコトバの「?」であるが、ボクの脳ミソは同じ同音の「コトバ」を何回も唱えていたら意味自体が判らなくなってしまう・・・
 「しぶとい」をブログ検索で調べていたら、
  ↓↑
 「Yahoo・知恵袋」に「石原都知事はしばしば「きじゃく」という言葉を口にしますが、どういう意味でしょうか。 もしかしたら、「脆弱(ぜいじゃく)」のことですか。脆弱には「きじゃく」という読み方もある のでしょうか。・・・もしかして「気癪」と言う漢字」では、とあり、「気癪=心配や驚きのあまり癪を起こすこと」ともあったが・・・「真相は闇」とのオチのコトバもあった・・・
  ↓↑
 そして、他のブログ記事には「諦めずに最後まで全力を尽くして道を切り開いて行く人の表現に使います。また一方では後進に道を譲ることなく仕事などにしがみついている人に対しても【しぶとい】と言います」と、あった・・・
 なるほど、
 「しぶとい・しぶとく」は
 「諦めずに最後まで全力を尽くして道を切り開いて行く人」
 「他人、後進に道を譲ることなく仕事などにシガミツイテいる人」
 「権力の序列的地位、金銭、蓄財、物欲の執着」
 ですか・・・「執着」はそれなりに「生きる為の苦労」で・・・目指す目的の出世は「Ambitious」らしいから・・・
  ↓↑
 「しぶとい=詩部問い・史分問い・史武問い」?
 「支部問い」?
 「詞部問い」
 「渋徒意」・・・・侘び、寂び、渋い?・・・
          渋色=柿渋のような茶褐色
             うすがき色
             渋色の羽織
            「大島紬の色」?
             ・・・蘇鉄と鉄と赤泥の混濁水
 ・・・そう云えば、「大島つむぎ」、沖縄の散策の「ブラタモリ」の番組だった・・・島津藩って、始末煩か?、で、「煩=火+頁=わずらう・わずらわす・ハン・ボン・事が多くてうるさい・わずらわしい・煩瑣 (ハンサ)・煩雑・煩多・煩忙・煩累・煩労・思い悩む・煩悶 (ハンモン) ・俗念で心を惑わす・いらいらする・あせる」・・・ナニが「シマヅ」なんだか、「砂糖」を搾取された島民は「蘇鉄の実の粥(かゆ)」を喰っていた・・・「煩悩(ボンノウ)」のシマツもキワマれり、である・・・煩わしいとは、「火」に「燃やす本の頁」か、「一(はじめ)の目(目次)の葉(ことば)」か、「ハジメにコトバありき」か・・・
 「渋い顔」とは
 「考え事などで顔にしわがよっているさま・苦渋の表情・ 難しい顔 ・苦虫を噛み潰したような顔・眉間に皺(しわ)を寄せ嫌な気分を表情に示しているさま・しけた顔・しかめっ面・眉をひそめる・不快感を表明する・顔をしかめる・嫌な顔をする・眉根を寄せる・面白くなさそうな顔・険しい表情・厳しい表情・いかめしい表情」
 であるらしく、「しぶさ」とは
 「濃すぎるお茶を飲んだときに感じる舌が痺(しびれ)るような不快な味・吝(けち)・地味で落ち着いたさま」
 らしい・・・
 「しぶとく」の「同音異字漢字」なら
 「四部(シブ・渋・肆分)
  訳句(トク・解く・匿・溶く・梳く・説く)」?・・・
 で、執着・・・「ワラ(藁)にもしがみ付く」って?・・・「すがる=縋(ツイ)=頼りにする・高いところから垂らした縄(なわ)・
縄(なわ)にすがっておりる」だったが・・・「人の手で、しっかりつかむ取りつく・縋る・取り縋る・しがみ付く・寄り縋る・縋り付く・掻い付く・縋付く・取りすがる・取付く・寄りすがる・縋りつく」・・・
ーーーーー
 で、
 「すがる」は「雄略天皇」の臣下で
 「すがる=少子部-蜾蠃(ちいさこべの-すがる)
      少子部栖軽
      小子部栖軽」
 だった・・・ずぅ~っと以前にも、最近にも「雄略天皇・六年三月の条・七年七月の条」を記述したが、以下は手っとり早く、参照、参考までに「ウイッキペデア」からの抜粋記事を「行の頭出しのコトバ」として少々改作し、添付・・・
ーーーーー
 ↓↑
 日本書紀・雄略天皇
 七年七月の条
 「天皇は
  三輪山の神・・・・蛇の化身、活玉依比売と配偶
           大物主=大国主神に対し
              「私はあなたの幸魂奇魂」
  の姿を見たいので
  行って捕らえてこいとスガルに命令し、
  スガルは
  三輪山に登って
  大蛇を捕らえ天皇に献じた
  大蛇は
  雷のような音をたて
  目をぎらつかせたので
  雄略天皇は目を覆い、殿中へ逃げ込み
  大蛇は山に放たれ、
  その山を雷(イカズチ)と名付けた」
 日本霊異記・上巻第一
 「天皇が
  磐余の宮の大極殿で后と寝ているときに、
  栖軽(スガル)がそこへ入ってき
  天皇は恥じた。
  そこへ雷鳴がとどろいたので、
  天皇は栖軽に
  あの雷を捉えてこいと命じ
  栖軽は赤色の
  葛(かづら・蔓・鬘)を額につけ、
  赤旗を付けた鉾を捧げ持って馬に乗り、
  阿部の山田村の前から
  豊浦寺の前の道を走り、
  軽の諸越の分かれ道のところに来て、
  大声で
  「天の雷の神よ、天皇がお呼びですぞ」
  と叫んだ。
  そこから馬を引き返しながら
  「雷神といえども、天皇のお召しに応じないことができようか」
  と言った。その途中、
  豊浦寺と飯岡との間で雷が落ちていた。
  栖軽(すがる)は雷を輿に入れて天皇の元へお運びした。
  雷は光を放って明るく輝いたので、
  天皇は畏れて
  幣帛を供えて雷をもとのところに返させた。
  その場所は
  飛鳥の
  小治田の宮にあり、
  いま雷の丘と呼んでいる。
  そののち栖軽は死に、
  忠臣ぶりを偲んだ天皇は
  雷が落ちた場所に墓を作り、
  「雷を捕らえた栖軽の墓」
  と碑文の柱をお立てになった。
  雷はこれを怒って鳴り落ちて
  碑文の柱を踏みつぶした。
  ところが柱の裂け目に
  足が挟まって捕らえられた。
  天皇は雷を逃がしてやり、
  碑文の柱を立て
  「生きても死んでも雷を捕まえた栖軽の墓」
  となさった・・・
ーーーーー
 ↓↑
 「三輪山の神」
 ・・・問題は・・・
 「雷=大蛇を捕らえた栖軽の墓」の
  ハシラの「碑文(ヒブン)」
  で、この「碑文」に
  雷神(ライジン)は怒って
  落雷(雷鳴・鳴り落ちて)し
  碑文の柱を
  踏み潰(つぶ)したが
  「柱(ハシラ→葉詞等・嵌詞等)の裂け目」に
  「足(あし・たり・ソク)=十」が
   挟まって捕らえられたが
  天皇は
  雷(かみなり=大蛇)を
  逃がしてやり、
  碑文の柱を立て
  「生きても
   死んでも
   雷を捕まえた
   栖軽(すがる)の
   墓(はか・ボ)」
 ・・・これらの「漢字類」の「同音異字漢字」の単純な変換での読み解きであるが・・・
ーーーーー
 ↓↑
 「三輪山の神」
 倭大物主櫛甕魂命
 (ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)
 大物主櫛甕玉命
 意富美和之大神
 (オオミワノオオカミ)
 大三輪之神の
 配偶者
 ↓↑
 勢夜陀多良比売
 (セヤダタラヒメ)
 倭迹迹日百襲姫
 (ヤマトモモソヒメ)
 活玉依比売
 (イクタマヨリヒメ)
 櫛御方命
 (クシミカタノミコト)
 比売多多良伊須気余理比売
 (ヒメタタライスケヨリヒメ・神武天皇の皇后)
 意富多多泥子(子孫)
 ↓↑
 「苧環(糸巻き)に巻いた麻糸に針を通し、
  活玉依比売は
  男の衣の裾に麻糸の通った針を男の衣の裾に通し
  翌朝、麻糸は戸の鍵穴から抜け出ていた。
  糸を辿ると、
  美和山の神の社に続いていた。
  男が(三輪山)の神と知り
  苧環には三勾(みわ・三巻き)の糸だけが残ったので
  この地を「三輪」と呼ぶようになった」・・・
 ↓↑
 孝霊天皇の皇女
 倭迹迹日百襲姫は大物主神と神婚
 夫は夜にしか通ってこず、
 その顔を見ることもできなかったので
 夫に顔を見たいというと
 大物主神が
 「朝になれば櫛箱に入っているが、
  姿を見ても驚かないで欲しい」
 と言い翌朝、
 倭迹迹日百襲姫が
 櫛箱を開けると
 小さな蛇がいたので
 驚いた
 倭迹迹日百襲姫は、
 夫との約束を破り、驚き叫んでしまい
 その姿を見られた
 大物主神は、
 恥じて
 御諸山(三輪山)に去った
 約束を破った
 倭迹迹日百襲姫はこれを悔い、
 箸で女陰(ほと)をついて薨じた・・・
 倭迹迹日百襲姫の墓を
 「箸墓」といい、
 この墓は日中は人が、
 夜は神が造った・・・
 ↓↑
 勢夜陀多良比売
 彼女を見初めた大物主神は
 丹塗矢に化けて、
 勢夜陀多良比売が用便をしているときに
 厠の溝から流れ下り、その女陰(ほと)をついた
 勢夜陀多良比売はその矢を持って帰り、
 床に置くと、美しい立派な男になった
 大物主神と勢夜陀多良比売の間に
 産まれた子の名は、
 富登多多良伊須須岐比賣命
 (ホトタタライスケヨリヒメ)、
 またの名を
 比賣多多良伊須氣余理比賣
 (ヒメタタライスケヨリヒメ)
 と、云う・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 今夜の「サイエンスゼロ」は
 「炭素14=Carbon-14・カーボン14」・・・「約5730年の半減期でβ崩壊をして減じ、窒素14になっていく放射性物質で炭素12の同位体の物質・動植物の内部における炭素14の存在比率は、死ぬまで変わらないが、死後は新しい炭素が補給されなくなるため、存在比率が下がり始める」・・・
 年代測定の「炭素14」の測定精度が向上、南極の氷床が崩壊した年代が1万年もの修正、歴史の修正。新たな使用法で薬に炭素14を組み込み体内での動きを追跡。抗がん剤治療。魚の耳石(ジセキ・脊椎動物の内耳にある炭酸カルシウムの結晶で平衡感覚を維持)、鯨(クジラ・櫛羅・鯢・久志羅)のヒゲに蓄積された炭素14を調べ、その大洋での回遊生態が判明」
 でした・・・その後は「地球ドラマチック・珍獣ラーテル」・・・
世界一怖いもの知らずの賢い動物の「ラーテル(Ratel)=ミツアナグマ=蜜穴熊=honey badger」で、あんな動物がいたとはねッ・・・???・・・
 ↓↑
 蜂の巣を襲って蜂蜜を食べるが
 その際に
 ノドグロミツオシエ
 や
 ウロコミツオシエ
 などの
 「蜜教え=蜜蜂の巣の場所を教える」
 小鳥(ミツオシエ科)と
 共生(共棲)関係にあり
 これらの小鳥は鳴き声を挙げながら
 ラーテルの周囲を飛び回り、
 蜂の巣を見つけたことを伝えた後、
 その在り処まで先導し
 巣に辿り着いたラーテルは巣を壊し蜜を得、
 蜜教えの小鳥達はおこぼれの蜜蝋にありつく・・・
 ・・・共生(教生・協生・共棲・嬌声)・・・賢いッ!!
 まるで、「密教」の師弟関係・・・聖徳太子、蜂子皇子・・・
 ↓↑
 聖徳太子=厩戸皇子・上宮太子・豊聡耳皇子・法主王
 574年2月7日(敏達天皇三年一月一日)
  ~
 622年4月8日(推古天皇三十年二月二十二日)
      欽明天皇の孫
      用明天皇の第二皇子
      崇峻天皇の甥
 ↓↑
 蜂子皇子(はちこのおうじ=波知乃子王)
 欽明天皇二十三年(562年)?
  ~
 舒明天皇十三年十月二十日(641年11月28日?)
 崇峻天皇・・・・欽明天皇の子
         聖徳太子の叔父
         別名
         泊瀬部皇子
         長谷部若雀天皇
        (はつせべのわかささぎのすめらみこと)
         は「雄略天皇」の名前に類字?
 の第三皇子
 聖徳太子の従兄(いとこ)
 法名は
 弘海
 別名は
 能除仙(のうじょせん)
 能除大師
 能除太子(のうじょたいし)
 などとも呼ばれた
 592年
 父の崇峻天皇が
 蘇我馬子に暗殺
 聖徳太子によって匿われ、
 法名を
 弘海として出家
 593年(推古元年)
 由良の
 八乙女浦の海岸にたどり着き、
 羽黒山を開山
 3年間崖下の岩窟で修行
 羽黒修験の元になり
 月山も開山
 605年(推古十三年)
 湯殿山に湯殿山神社を建立
 641年(舒明十三年)
 羽黒で死去(享年八十)、
 享年は九十一の説もある・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・日本で養蜂を試みた人間は百済の「義慈王(在位641年~660年)・義慈王十三年(653年)倭国と通好」の皇子「扶余-豊璋(フヨ ホウショウ)=扶余-豐璋=扶余-豊璋=徐-豊璋」・・・百済滅亡の帰国後、663年6月、「豊璋」は「鬼室福信」を殺害・・・663年8月27、28日、倭国水軍は唐の「劉仁軌(リュウジンキ)と白村江(白江 or 白馬江)で海戦。倭国・百済連合軍が大敗・・・
 「ギジ王」は「疑似・擬似・擬餌」の「王」か?・・・
 「翹岐=豊璋」の同一人物説・・・
 「翹(あげる・ギョウ)=高く弧を描いてたつ
             雉(キジ)の尾羽、
             鳥の尾羽のように、
             高くかかげる
    =特に秀でた人、
     スグレているさま・・・
     すぐれ=優れ・勝れ・選れ・長れ
          村長=むらおさ・スグリ=村主
     爪先だって背を高くする=背伸び」
 ・・・・「金雲翹伝」=「斷腸新聲=斷腸新聲」・・・ベトナム(越南)人の「阮攸(グエン・ズー)」による中国人で、ペンネーム(pen name・筆名)が「青心才人」の小説の翻訳本・・・日本では「曲亭馬琴」の翻案作品「風俗金魚伝(1839年)」があるらしい・・・「金魚伝」で、「斷腸新聲」ですか・・
 ↓↑
 「金雲翹」というタイトルは3人の主要登場人物、
 ヴオン・トゥイ・キエウ(王翠翹)、
 トゥイ・ヴァン (王翠雲)、
 キム・チョン (金重)
  からそれぞれ一字をとったもの・・・らしい・・・カネは雲のように湧き上がる?・・・

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