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コジキジゲン

ヤマトはクニのマホラバ・・・

2017-10-03 21:09:03 | 古事記字源

・・・ブログ検索で調べてみた・・・「鼓・腹・撃・壌(コフクゲキジョウ)」・・・ボク的には四文字の漢字からは「平和」であると云う深読みが出来ない熟語である・・・個々の漢字構成を分解したら、理解出来るのか?・・・無理・・・「鼓(十豆十又)・腹(月复・肉复)・撃(車殳手)・壌(十一襄=㐮・のぼる・はらう・割りこむ・上に向ける・わきにはらいのける・間に割りこみ、わきから仕事をたすける・たすけてやりとげさせる)・・・「太平の世の形容・太平で安楽な生活を喜び楽しむさま・善政が行われ、人々が平和な生活を送るさま」、「満腹で腹つづみをうち、足で地面をたたいて拍子をとる意」、「世の中の太平を楽しむこと」、「鼓腹」は食べるものが十分にあり、満腹になった腹を楽器のように打ち鳴らすこと・・・満腹かドウかは?である。「壌」は土や地面のこと。「撃壌」は地面を叩いて拍子をとること・・・フラメンコのイメージ?は難しい。地団駄踏んで悔やしんでいる?・・・「古代中国の聖天使の尭帝は、世の中がうまく治まっているか気になり町の様子を見に行った。そこで、一人の老人が満腹になった腹を打ち鳴らし、地面を踏んで拍子をとりながら、世の中は平和で天子はいてもいなくても変わらないという意味の歌を歌っていた。人民が政治を行う者の力を意識せずに、満ち足りた生活が出来ていることが分かり、尭帝は安心したという故事から」・・・出典「帝王世紀・十八史略」・・・「コフクゲキジョウ=虚福激情」?・・・
 「世の中の平和は
  天子がいてもいなくても
  期待できない」
 のは事実だが、
 「世の中の災難は
  天子がいてもいなくても
  変わらない」
 だろう・・・?
 「含哺鼓腹(ガンポコフク)=人々が豊かな生活をして、平和な世の中を楽しむこと」、「含哺」は口に食べ物を含むこと。「鼓腹」は腹鼓を打つこと。満腹になって満たされている様子から。「哺を含み腹を鼓す(荘子・馬蹄)」・・・
 「哺=口に含んだ食物」、「慈烏反哺=親に恩を返すこと→烏(からす)に反哺(ハンポ)の 孝あり」ですか、「握髪吐哺」って人材獲得に余裕がが無いんだ・・・「食物を口に入れて養う・哺育・哺乳」・・・哺乳類かァ~・・・
 本当は調べていたのは「平和」じゃぁ無くて「大和」の漢字熟語だった・・・
ーー↓↑ーー
 7世紀後半~701年(大宝元年)
 までの期間
 国号を
 「日本」と記録
 ↓↑
 奈良時代中期
 737年(天平九年)
 令制国の「やまと」は
 橘諸兄
 政権下で
 「大倭国」
 から
 「大養徳国」
 へ改称
 747年(天平十九年)
 再び
 「大倭国」へ戻された
 757年(天平宝字元年八月十八日改元)
 橘奈良麻呂の乱
 直後に
 「大倭国」~「大和国」
 への変更が行われた・・・
 初めて
 「大和」の用字が現れた
 後、「大倭」と「大和」の併用が見られ
 「大和」が主流となっていった
 ↓↑
 夜麻登・山跡(古事記)
 倭・野麻登・椰麽等・夜麻苔(日本書紀)
 山常・也麻等・夜末等・夜万登・八間跡(万葉集)
ーーーーー
 大和(ダイワ・ダイカ)
 唐の
 文宗
 の治世に使用された元号
 827年旧2月~835年旧12月
大和
元年 2  3  4   5  6  7   8  9
827 828 829 830 831 832 833 834 835
丁未・戊申・己酉 庚戌・辛亥・壬子 癸丑・甲寅・乙卯
 ↓↑
 文宗(ブンソウ)
 唐朝
 第十七代皇帝
 穆宗の次男
 敬宗の同年の異母弟
 ↓↑
 在位期間
 827年1月13日~840年2月10日
 姓・諱 李涵→李昂
 ↓↑   涵(ひたす)→昂(すばる)
      涵=氵+函(凾)
        ひたす・水中につける
        うるおす・いれる・もちいる
        水気を含ませる
        涵養、滋養
        函(凾)=物を入れておく器
             直方体で蓋が付く
             列車の車両
             三味線を入れる物
 ↓↑          三味線・三味線芸者
 諡号  元聖昭献孝-皇帝
 廟号  文宗
 ↓↑ 
 元和四年十月十日
 (809年11月20日)
   ~
 開成五年一月四日
 (840年2月10日)
 ↓↑
 父  穆宗
 母  貞献皇后
 陵墓 章陵
 年号 大和=827年~835年
    開成=836年~840年
 ↓↑
 初名は涵
 昂と改名
 初めは
 江王に封冊
 826年
 敬宗が
 劉克明によって殺害
 劉克明と対立する宦官の
 王守澄派により皇帝に擁立
 実権は王守澄らが掌握し
 文宗は傀儡に近い存在
 831年
 宰相の
 宋申錫・・・宋の申(さる)の錫(すず・金易)
 と共に
 宦官の討滅を謀ったが失敗
 835年
 再び
 李訓・・・・・・・・李(リ)の訓(クン)
          「李=木+子=すもも=素桃・酢桃」
             十八一了
 らと共に宦官討滅
 王守澄を自殺に追い込んだが
 宦官の大量粛清が露見し
 李訓は殺害
 文宗は幽閉された
 (甘露の変)・・・甘露の変・・・塩露?塩辛さ
          しょっぱい=しおはゆし・しわはゆし
                鹹(しおはゆ)し
 ↓↑
 文宗は
 実子の
 荘恪太子永
 蒋王宗倹
 を相次いで失っていたため
 亡兄の
 敬宗の末子である
 陳王の
 李成美を
 皇太子としていたが
 甘露の変・・・唐の大和九年(835年)
        文宗は李訓、鄭注と謀り
       「宮苑に甘露が下った」
        という偽の吉兆を告げ
        仇士良ら宦官を集めて
        一網打尽にする計画を立てたが
        李訓が功をあせって露見し失敗
        怒った
        仇士良は
        李訓一党や宦官の
        反対勢力などを処刑
 宦官誅殺未遂事件
 以後、唐王朝の
 宦官の権力掌握が続いた
 ↓↑ 
 宦官の
 仇士良・・・皇帝を傀儡とする方法を
 ↓↑    仲間の宦官に弁じ
      「天子の心を享楽に浸らせ
       考える暇を与えない
       天子は凡愚となって
       すべてが我等(宦官)の
 ↓↑    思うがままになる」と・・・
 らにより
 李成美
 は殺害
 文宗
 の異母弟
 潁王
 李瀍
 が立太子され
 840年
 幽閉の
 文宗は
 33歳で崩御
 「周の赧王
  漢の献帝
  は強臣に制せられたに過ぎないが
  朕は家奴(宦官)に制されている」
 と嘆いた・・・
 「飼い犬に手を咬まれる」・・・?
 「飼い主に手を咬まれる」・・・?
 「飼い猫に指を咬まれた」のは当然だけれど・・・
 ↓↑
 妻妾
 王徳妃
 楊賢妃
 ↓↑
 男子
 魯王李永(荘恪太子)・・・魯の王の李の永
              魯迅?
 蒋王李宗倹・・・・・・・・蒋の王の李宗の倹
              蒋介石?
ーーーーー
 ・・・???・・・「甘露=中国語訳は蜂蜜・日本語はハチミツ(蜂蜜)で蜜蜂の蜜を精製した食品・英語ではnectar 、sweetness-、honey」・・・「甘露 (高昌=5世紀~7世紀、ウイグル (維吾爾) 自治区の東部に位置するトゥルファン (吐魯番) 盆地地方に栄えた漢民族の植民国家・640年、唐に 滅ぼされた)」・・・
 「豊=ホウ=蜂」・・・
 「扶余 豊璋(フヨ ホウショウ・扶余豐璋)
  百済最後の王、
  義慈王(在位は641年~660年)
  の王子
  扶余豊璋 or 徐豊璋(日本書紀)
   余豊璋 or 徐豊璋(三国史記)
   余豊  or 徐豊 (旧唐書)」
 「百済の王族
  翹岐」を・・・・・・・・「翹の岐」
 「豊璋」と同一人物とする説・・・
 「翹(ギョウ)=堯+羽
    あげる・鳥の尾羽のように高くかかげる
    つまだてる・つま先だって背を高くする
    特に秀でた人・特にすぐれているさま
    ぬきんでる
    翹企以待=首を長くして待つ・待望、渇望
    翹足引領=爪先立ち首を伸ばす
         待ちわびる・待ち望む
    翹首=見上げる・ふり仰ぐ
    首を長くして待ち望む
    頭を上げる・もたげる・反り返る・たわむ
    高く弧を描いてたつ雉(キジ)の尾羽」
    「旱魃飢饉の時に
     堯(尭)は弓の名人
     羿(羽+廾)に九つの太陽を撃ちおとせと
     命令。羿は九個の太陽を打ち落とした
     堯(尭)は
     中国神話の君主
     姓は伊祁(イキ)
     名は放勲(ホウクン)
       陶
     唐に封建され
     陶唐氏とも
     舜へ帝位を禅譲した」
     ↓↑
 ・・・「昆虫の翅(はね)・・・昆虫には、翅を飛行以外に使う・・・発音器官、前翅は左右対称でなく、ヤスリ状の器官でこすり合わせて発音する・・・
 「鼓腹撃壌」って?・・・生きて行くことに帝王の権威、権力なんて、関係無い・・・
  ↓↑
 日出而作
 日入而息
 鑿井而飲
 耕田而食
 帝力
 何有於我哉
  ↓↑
ーーーーー
 孝徳天皇(650年2月15日)
 造営途中の難波宮で
 白雉改元の契機、
 白雉献上の儀式に
 豊璋が出席
 豊璋は人質ではあったが
 太安万侶の一族
 多蒋敷
 の妹を
 豊璋に娶わせ、
 賓客扱い・・・同盟の「安全保障」だから?
 660年
 唐・新羅の連合軍(唐・新羅の同盟)
 が
 百済を滅ぼし
 百済征服後
 唐軍は大部分が引き上げ
 1万の駐留軍が残った
 で、
 百済の
 佐平
 鬼室福信
 らが百済を復興すべく反乱
 中大兄皇子(天智天皇)
 は百済復興支援を決定
 都を
 筑紫朝倉宮に移動
 662年5月
 豊璋に
 安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津
 らが率いる
 兵5000、軍船170艘
 を百済へ派遣
 豊璋は約30年ぶりに帰国
 豊璋と倭軍は
 鬼室福信と合流
 豊璋は百済王に推戴
 鬼室福信との確執
 663年6月
 豊璋は鬼室福信を殺害
 豊璋は
 周留城に籠城し
 倭国援軍を待ったが
 8月13日
 城兵を見捨てて脱出
 倭国の援軍に合流
 唐本国から
 劉仁軌
 率いる7000名が到着
 8月27、28日
 倭国水軍と
 白村江(白江=白馬江)で衝突
 倭国・百済連合軍大敗
 豊璋は
 高句麗に逃れたが
 高句麗も内紛し
 668年
 唐に滅ぼされ
 豊璋は
 高句麗王族らとともに
 唐の都に連行
 高句麗王の
 宝蔵王らは許され
 唐の官爵を授けられたが
 豊璋は許されず
 嶺南地方に流刑
 豊璋の弟
 百済王
 善光(徐禪廣)
 といい、
 渡来し倭国に滞在し
 その子孫が
 持統天皇から
 百済王(くだらのこにきし)
 の姓を賜って
 百済の王統を伝えた
 ↓↑
 『万葉集』巻一第五番、六番に
 「軍王」
 と称する人物が
 舒明天皇の行幸に
 供奉した際に作った和歌が収録
 「軍王=こにきしのおおきみ」と訓じ
 豊璋
 ではないか・・・との説がある・・・?
 百済の王族
 「翹岐=豊璋=軍王=百済王」ならば、
 日本で「養蜂」を試みた人物・・・
 「百済の太子
  扶余豊璋
  が初めて
  三輪山で
  養蜂を試みたが失敗した
 (日本書紀
  皇極天皇二年(643年)・癸卯年」
  ↓↑
 「是歳、
  百済の太子
  余豊、
  蜜蜂の房四枚を以て、
  三輪山に放ち養ふ。
  而して終に蕃息らず
  (皇極天皇二年是歳
   是歳。
   百済太子
   余豊
   以
   蜜蜂房四枚、・・・ミツバチの巣=蜜房
            「密(日曜)≠蜜(花蜜)」
             密集    はち
             秘密    虫(蟲)類が
             親密    採種した
                   花の甘露
   放養於三輪山。
   而終不蕃息。)」
  ↓↑
 「蜜蜂=ハチ目(膜翅目)
     ミツバチ科(Apidae)
     ミツバチ属(Apis アピス)
     に属する昆虫の一群
     花の蜜を加工して巣に蓄え蜂蜜とする」
     オスバチ=「drone=怠け者」の意
    「drone=ドローン=無線操縦の無人機
         オス蜂・居候・ごくつぶし」
    「はち=蜂(蠭)=bee・wasp」
 「蜜蜂の化石=中新世(Miocene)
        約2,300万年前~約500万年前
        新生代第四の時代
        新第三紀の第一の世」
  ↓↑
 「舒明天皇三年(631年)」
 631年は豊璋が人質としてきた年
 「舒明天皇三年三月庚申朔
  三月庚申朔。
  百済王
  義慈
  入
  王子
  豊章
  為
  質。」
 ↓↑
 温祚王 前18-28
 多婁王 28-77
 己婁王 77-128
 蓋婁王 128-166
 肖古王 166-214
 仇首王 214-234・・・仇の首の王?
 沙伴王 234
 古尓王 234-286
 責稽王 286-298
 汾西王 298-304
 比流王 304-344
 契 王 344-346
 近肖古王346-375・・・名は余句
 近仇首王375-384・・・貴須王・近の仇の首の王
 枕流王 384-385
 辰斯王 385-392
 阿莘王 392-405
 腆支王 405-420
 久尓辛王420-427
 毗有王 427-455
 蓋鹵王 455-475
 文周王 475-477・・・?~477年・百済第22代の王
            在位は475年~477年
            蓋鹵王の子
           「日本書紀」には汶洲王
           「三国遺事・王暦」には文明王
            という別名が記録
 三斤王 477-479
 東城王 479-501
 武寧王 502-523
 聖 王 523-554
 威徳王 554-598
 恵 王 598-599
 法 王 599-600
 武 王 600-641
 義慈王 641-660
     ・・・・631~645~660~663~672
 豊璋王 661-668
ーーーーー
 ・・・「豊璋王」・・・「豊後=ぶんご=文語」ならば「豊璋王=ブンショウオウ=文章往」・・・?・・・

 麻本呂婆(まほろば)・・・古事記
「夜麻登波・・・・・・・やまとは
 久爾能-麻本呂婆・・・ くにの-まほろば
 多多那豆久・・・・・・たたなづく
 阿袁加岐・・・・・・・あをかき
 夜麻碁母禮流 ・・・・ やまこもれる
 夜麻登志宇流波斯」・・やまとしうるはし

 摩倍邏摩(まほらま・まへらま)・・・日本書紀
「夜麻苔波・・・・・・・やまとは
 區珥能摩倍邏摩・・・・くにのまほらま
 多々儺豆久・・・・・・たたなづく
 阿烏伽枳・・・・・・・あをかき
 夜麻許莽例屡・・・・・やまこもれる
 夜麻苔之于屡破試」・・やまとしうるはし

  麻保良・真保良(まほら)・・・万葉集
 「久尓能麻保良叙」
 (くにのまほらぞ)
 「久尓能麻保良尓」
 (くにのまほらに)
 「國之真保良乎」
 (くにのまほらに)
 ・・・國のマ「法螺=ほら=保良」・・・大法螺・・・?

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