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飛んで、跳んで、トンデモ、ニューホライズン(New Horizon)

2015-07-14 23:33:58 | 古事記字源

 ・・・強風の一日です・・・ニューホライズン(New Horizon)の「冥王星(Pluto)」の写真ですか・・・飛んで、跳んで・・・トンデモナイ・・・翻訳?をしてみるか・・・兎に角漢字知識が無いことにはドウしょうもないが・・・

 「豚」と「猪」は同種、同類の動物だが漢字が異なる。「豚=肉+豕」と「猪=犭+者」・「豬=豕+者」である。この違いは「家畜=月(肉)」と「野生=犭(獣)」を部首としているので明白である・・・「者(もの・シャ)」だが色々な説がある。が、既に「楷書文字」とされ完成した「者」の分解は「十一ノ日(曰)」で、部首に「丶(灯火・チュウ)=てん(点)」が付く字もある・・・「甲骨文字研究のブログ記事」でみた説明だがボク的には「者」が「漆塗りの器」とは思えないし、「付着」とも思えないのだが・・・
ーーーーー
 代名詞の「者」・・・
 「者」は説文では
 曰く「者」は
 代名詞で
 古文中「者」の主要な用法は
 動詞、形容詞の・・・?
 詞・句の
 後におかれ、
 人、事物、時間、所、原因等等を
 重ねて述べる時に
 代わって表すのに用いられ、
 単独では用いない・・・
  ↓
 ・・・「名詞+者」の「者」は「名詞の後」に置かれる場合は、主語となる場合に限られて、「結構助詞」としての用法ではなく「語気助詞」として「名詞+は(者)」の用法・・・
 ・・・また、「者」が疑問、反語の助字として使われる
  ↓
 「者」の漢字構成の部首、
  ↓
 漢字の中で、
 全て付着に関係・・・?
 漢字の中で、
 全て「者(シャ)」の音を持ち、
 全て「付着」に関係している・・・?
  ↓↑
 この「付着」の意味が不明だが、「着=羊+ノ+目」ならまさにそうであるのだが、「者=漆(うるし・シツ)」ではないだろう・・・
 「猪(いのしし・チョ)、煮(にる・シャ・煮沸)、署(かきつけ・ショ・署名・部署・署長)、奢(おごる・シャ・奢侈・華奢・驕奢・豪奢)、著(かく・チョ・著作・著名)、箸(はし・チョ)」・・・?
  ↓
 ・・・「者」は「~は・・・である」か、「~は・・・だろうか」か、「~は・・・なのか」・・・で、部首の「者(もの)」は一般的に「人間=サムワン(Someone・Somebody)=エニワン(Anyone・Anybody)」の何らかの状態、様子を意味している・・・
ーーーーー
 豚(ぶた・トン・家畜の猪=いのしし)で、
 遁(隠れる鬼門、気門遁甲)で、
 頓(とみに・ひたすら
   頓首・頓服・頓知・頓死・頓教・整頓)で、
 屯(群集・たむろ)で、
 噸(屯=噸=瓲)で、
 惇(あつし・誠実)で、
 敦(篤い・重々しく手厚い
   敦煌・敦厚・敦朴・倫敦)で、
 沌(渾沌・混沌)で、
 榻=墩=「陶磁器製円筒形の中国風腰掛け」で、
 團(団・軍団)で、
 貪(むさぼる・貪欲)で、
 ton-tonnage (トン数)で、
 英国では「a long ton (約1016kg)」で、
 古フランス語の「tonne」が語源で、「樽」らしい
 「樽=多留=足る」・・・
 「樽」=木(十八)+尊(酋寸)・・・「猶太」・・・
 とんで、とんで、トンでも・・・イスタンブール(Constantinople, 君府・君士但丁・君士但丁堡・君士但丁諾格爾・孔子礴・孔子且・君士丁)・・・
 「ユダ(Judas)=猶太」・・・「イエス(移鼠・Jesus)・キリスト(基督・Christ)」の十二使徒の一人・・・イスカリオテ(椅子仮理緒出・移鼠科理緒出)のユダ(猶太)・・・
 イエス・使徒一行の会計(会稽)係・・・祭司長らに銀貨30枚でイエスを売り、のち、悔悟して自殺・・・「油田(ユダ)」は生きていた・・・「キリスト」は「スパースター」ではなかった・・・
 アブラハム→イシュマエル&イサク→ヤコブ(別名イスラエル)
→12人の息子・ユダに与えられた「土地名がユダヤ」・・・「ユダと妻の1)タマル」・・・「2)タマル」は「ダビデの娘、アブサロム(アブシャロム)の同母妹」・・・「アブサロム(アブシャロム)」はダビデの六人の息子の三番目の息子・・・母はゲシュルの王「タルマイ」の娘「マアカ(ダビデの三番目の 妻)」・・・「タマル」は「異母兄弟アムノン」に犯された・・・復讐の始まりだが・・・「アブサロム(アブシャロム)」は、異母兄「アムノン」を妹の仇とし殺した・・・その後ダビデと対立し、殺される・・・
 「タマル(太丸→太陽→瑪瑙・珊瑚)?」と「マアカ(真赤)?」・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 サムエル記
 撒母耳 記(下)
第23章
23:1
これは
ダビデ・・・・拿備(尾・美・鼻・毘)出
        備州(中国・備前・備中・備後)
          尾州(尾張・名古屋)
            美洲(美作)
              岩州(三陸・東北)
                毘沙門天
               (越後・信州)

最後・・・・・最期・歳語・宰語・祭語・賽語
       差異語・載語

言葉(ことば・ゲンヨウ)
である。
エッサイ・・・重通差異
の子
ダビデ

託宣(タクセン)、・・・多句選・他句撰
すなわち
高(たか・コウ)く・・・高階氏の一族
 ↓          源氏の棟梁、
            八幡太郎義家の家人
            高階惟章が、
            源義家の三男
            源義国とともに
            下野国に住した
            以来、高氏と称して、
            義国の子孫
            足利氏の執事となる
            足利高氏→尊氏
            上杉謙信→吉良上野介
            高句麗・高麗
            渤海王高歓の苗裔
            始祖
            高寿覚は明の福建の人
            慶長年間に薩摩へ来
            島津家久に仕える
            その後福建に帰るが
            子の
            高但有は薩摩へ再来
            島津光久に仕え、
            始め
            渤海(ふかみ・ボッカイ)を
            称してのち
            深見(ふかみ・シンケン)に
            改称
 ↓          渤海(ふかみ・ボッカイ)
挙げられた人、
ヤコブ・・・・・彌鼓舞・埜瘤・鰥昆布・彌混布(譜)
               鰥寡孤独
        鰥夫、寡婦、孤児、孤老・身寄りのない人
        「鰥夫(やもめ)」は妻のいない男
        「鰥寡・矜寡」は夫のいない女
       「鰥寡孤独(カンカコドク)」
        律令制国家の救済対象の家族構成
       「孟子・梁恵王篇下」にも記録
        平安初期の法律解説書である
       「令義解・注釈」に記録
        やもめ=寡・寡婦・孀・鰥・鰥夫
        やもめずまい=寡住い・鰥住い        

神に
油を注がれた人、
イスラエル

良き
歌びと・・・・・歌人・家人・華人・佳人→化(歌)訊

託宣(タクセン)。
23:2
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
 霊(たましい・レイ・霊魂)・・・例今
                 令恨
 は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 よって・・・・因って
        選って
        拠って
        寄って
        依って
        縁って
        撚って
 語る、
 その言葉は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 舌(した・ゼツ)・・・是通
 の
 上(うえ・かみ・のぼる・ジョウ)
 にある。
23:3
 イスラエルの神は語られた、
 イスラエルの
 岩(いわ・ガン)
 は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 言われた、
 『人を正しく治める者、
  神を恐れて、
  治める者は、
23:4
  朝の
  光のように、
  雲の
  ない
  朝に、
  輝きでる
  太陽(タイヨウ)・・・態様・体様・大要
             他意用
             対用
  のように、
  地(チ・ジ)・・・・・知・字
  に
  若草(わかくさ・ジャクソウ)・・・弱層・寂層
     若し句差・尺総・尺相
  を
  芽(め・ガ)ばえさせる
  雨(あめ・とも・ウ)のように
  人(ひと・ジン・ニン)
  に
  臨(のぞ・リン)む』。
23:5
 まこと(誠・允・真・信・慎・実・亮・)
     真言・真事
     磨糊塗・・・・馬言・萬言→万葉語
 に、
 わが家はそのように、
 神(かみ・シン)・・・加味・紙・守
 と
 共
 に
 あるでは・・・・・・・有留出葉・阿留出羽
 ないか。
 それは、
 神が、
 よろず・・・・・・・・萬(万)
 備(そな・たくわえ・ビ)わって
 確(たし・カク)かな
 とこしえ(永久・常詞重・賭拠史重)
 の
 契約(ケイヤク)
 を
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
 結(むす・ケツ)ばれたからだ。
 どうして
 彼は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 救(すくい・キュウ)
 と
 願(ねが・ガン)い
 を、
 皆(みな・カイ)
 なしとげられぬことがあろうか。
23:6
 しかし、
 よこしまな(邪・横嶋・横島→応答・王等・桜桃)
 人は、
 いばら(意葉等・茨・荊・棘)・・・異葉等
  ↓               井原(西鶴)
                     歳書く
                     才覚
  ↓               李派等
 のようで、
 手をもって
 取ることが
 できないゆえ、
 みな
 共(とも・キョウ)に
 捨(す・シャ)て・・・四捨五入→詞写語入
  ↓         取捨→主捨
  ↓            取者
  ↓            ↓↑
            十返舎一九→十編写位置句
            ジュペンシャイック
           (十偏舎、十偏斎、重田一九斎)
           「東海道中膝栗毛」著作
            町同心の
            次男
  ↓         天明三年(1783年・19歳)
            江戸で
            小田切土佐守に仕え,
            大坂に赴任
            同地で職を辞し
            材木屋の婿となるが離縁され
            再び江戸へ帰った
  ↓         寛政六年(1794年・30歳)
            江戸
            通油町(中央区日本橋大伝馬町)
            の
            版元
            蔦屋重三郎方に
            寄食
            用紙の加工や挿絵描きなどを
            手伝った
  ↓         寛政元年(1789年・25歳)
            近松与七の名前で、
            浄瑠璃
           「木下蔭狭間合戦
           (このしたかげはざまがつせん)」
            を合作
  ↓         寛政七年(1795年)
            黄表紙
           「心学時計草」ほか2部を出版
            毎年20部前後の新作を書き続け
            挿絵を描き、版下も書いた
            独学で、
            黄表紙、洒落本、人情本、
            読本、合巻、狂歌集
            教科書的な文例集
            筆耕・版下書き・挿絵描きなど、
            自作以外の出版も手伝い
            寛政~文化期に
           「行列奴図」
            遣唐使
            吉備真備を描いた
           「吉備大臣図」などの
            肉筆浮世絵がある
  ↓          ↓
            駿河国府中(駿府・静岡市葵区)で
            町奉行
            同心の子として生まれた
            葵区両替町一丁目に、
            石碑がある
  ↓         ↓
            本名
            重田貞一(しげた さだかつ)
            幼名
            市九
            通称
            与七、幾五郎
            号
            酔翁、十返舎
            天保二年(1831年)8月7日
            67歳死没
            辞世の句
           「此世を-ば-どりや
            お-いと-ま-に
            せん-香と
  ↓         とも-に-つひ-に-は
  ↓         灰-左様-なら」
 られるであろう。
23:7
 これに
 触(ふ・ショク)れようと
 する(スル)・・・・・掏る→盗む
            刷る
            磨る
            搨る・擂る
            摺る
            擦る
 人
 は
 鉄(くろがね・テツ)
 や、
 槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい
 の
 柄(え・ヘイ)
 を
 もって
 武装(ブソウ)する、
 彼らは
 悉く(ことごとく・シツ・尽・儘)・・・言語解く
                    糊塗語解
                    事後解く
 火(ヒ・カ)で
 焼(や・ショウ・焼失)かれる
 であろう」。
23:8
ダビデ

勇士たちの


次のとおりである。
タクモン・・・・・・他句文
びと
ヨセブ・・・・・・・与施部

バッセベテ・・・・・葉通施俳(部・邊)出
              渡部・渡邉(崋山)

かの
三人のうちの
長であったが、
彼は
いちじ(一時)・・・・一字

八百人
に向かって、
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい

ふるい(奮い・奮起)、・・・・振る意(異)
               古意
               降る意(医)
それを
殺した。
23:9
彼の
次は
アホア・・・・・阿保亜・亜補阿
びと
ドド・・・・・・度々・呶々・百々
の子
エレアザル・・・得例亜座留・重例漁る
        絵例吾指(挫・坐)留
        獲例字留
        ザル=笊・猿→申・然る・去る
           沙流・猨
であって、
三勇士(サンユウシ)・・・纂有詞(史・詩)

ひとりである。
彼は、
戦(たたか・セン)おうとして・・・多々歌・撰
そこに
集(あつ・シュウ・ジュウ)まった
ペリシテ・・・・経理詞(史・詩)出
        ペリーして→彼理詞出
        マッシュー・カルブレイス・ペリー
びとに
向かって
戦い

いどみ(挑み・挑戦)、・・・・・兆選・腸線
                朝鮮
イスラエルの人々が
退いた時、
ダビデ

共にいたが、
23:10
立って
ペリシテ
びと

撃ち、
ついに
手が疲れ、


剣(つるぎ・ケン)・・・通留欺(疑・義・偽・議)

着(つ・きて・チャク)いて
離(はな・リ)れ
ないほどになった。
その日、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
大いなる
勝利(ショウリ)を
与(あた・ヨ)えられた。
民(たみ・ミン)

彼の
あとに
帰ってきて、
ただ(唯)・・・・・他拿・多拿・太拿
          多妥(妥協多)
殺された者を
剥(は)ぎ・・・・・萩→松下村塾
          葉木・接ぎ・矧ぎ
取る
ばかり・・・・・・・葉歌理・場化理
          馬仮理
          諮り・謀り・測り・計り
であった。
23:11


次は
ハラル・・・・・・・葉等留
びと
アゲ・・・・・・・・亜解
の子
シャンマ・・・・・・写務間
であった。
ある時、
ペリシテ
びとは
レヒ・・・・・・・・例比

集まった。
そこに
一面(イチメン)・・・位地目務

レンズ豆・・・・・・・連事当(問・答)

作った
地所(ジショ)・・・・辞書・字書・自書

あった。
民(たみ・ミン)は
ペリシテびとの
前から
逃(に・トウ・逃亡)げたが、
23:12
彼は
その
地所

中に立って、
これを
防ぎ、
ペリシテ
びとを
殺した。
そして
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
大いなる
救を
与えられた。
23:13
三十人

長たちのうちの
三人は
下って
行って
刈入れのころに、
アドラム・・・・・吾土等務

ほら(洞)穴・・・補等亜名
         法螺阿名

いる
ダビデのもとにきた。
時に
ペリシテ
びと

一隊は
レパイム・・・・・例葉異務
         霊媒務・零賠務

谷(たに・ヤ・コク)・・・他似・多似・汰似

陣(ジン)を・・・・・・・字務・事務・自武
取っていた。
23:14
その時
ダビデは
要害(ヨウガイ)
におり、
ペリシテ
びと

先陣は
ベツレヘム
にあったが、
23:15
ダビデは、
せつ
に望んで、
「だれか
 ベツレヘム
 の
 門
 の
 かたわら
 に
 ある
 井戸
 の
 水
 を
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 飲ませてくれると
 よいのだが」
と言った。
23:16
そこで
その
三人の勇士たちは
ペリシテ
びと

陣を
突き通って、
ベツレヘム



かたわらにある
井戸の水を
汲み取って、
ダビデのもとに
携えてきた。
しかし
ダビデはそれを飲もうとはせず、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
前に
それを
注いで、
23:17
言った、
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)よ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 断じて飲むことをいたしません。
 いのち
 を
 かけて
 行った
 人々の血を、
 どうして
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 飲むことができましょう」。
こうして
彼はそれを
飲もうとはしなかった。
三勇士

これらのことを行った。
23:18
ゼルヤ・・・・是留埜
の子
ヨアブ・・・・与阿武(亜武)

兄弟
アビシャイ・・・阿備写意
        阿鼻謝意

三十人の長であった。
彼は
三百人に
向かって、
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい

ふるい、
それを
殺した。
そして、


三人と共に名を得た。
23:19
彼は
三十人のうち
最も
尊ばれた者で、
彼らの
長となった。
しかし、
かの
三人には
及ばなかった。
23:20
エホヤダ・・・・重補埜拿
の子
ベナヤ・・・・・邊名埜

カブジエル・・・仮部字重留
出身の
勇士であって、
多くの
てがら(手柄)

立てた。
彼は
モアブ(摸阿武)

アリエル(有理重留)

ふたりの子

撃ち殺した。
彼は
また
雪(ゆき・濯ぐ・セツ)

日(ひ・ク)に・・・日
下(くだ・サカ)・・下
っていって、
穴(あな・ケツ)

中で
しし(獅子・猪・嗣子)・・・志士・詩誌

撃ち殺した。
23:21
彼は
また
姿(すがた・シ)

うるわしい
エジプト
びとを
撃ち殺した。
その
エジプトびとは
手に
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい

持っていたが、
ベナヤ・・・部名埜・邊名也

つえ(杖)・・・・・・ジョウ

とって
その所に下っていき、
エジプトびとの
手から
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい

もぎとって、・・・・模擬採って
その
槍(やり・ソウ・鎗)・・・遣り=遣い=つかい

もって殺した。
23:22
エホヤダ・・・・重補埜拿
の子
ベナヤ・・・・・

これらの事をして
三勇士と
共に名を得た。
23:23
彼は
三十人のうちに
有名であったが、
かの
三人には
及ばなかった。
ダビデは彼を
侍衛


とした。
23:24
三十人のうちにあったのは、
ヨアブ
の兄弟
アサヘル。・・・・阿佐経留
ベツレヘム・・・・別例経務
出身の
ドド・・・・・・・度々・呶々・百々
の子
エルハナン。・・・選留葉名務
23:25
ハロデ・・・・・・葉賂出
出身の
シャンマ。・・・・写務間
ハロデ
出身の
エリカ。・・・・・重理加
23:26
パルテ・・・・・・葉留出
びと
ヘレヅ。・・・・・経例通
テコア・・・・・・梃子亜
出身の
イッケシ・・・・・逸懸詞
の子
イラ。・・・・・・意等
23:27
アナトテ・・・・・亜名渡出
         穴戸出
出身の
アビエゼル。・・・阿備重是留
ホシャ・・・・・・補写
びと
メブンナイ。・・・目文名意
23:28
アホア・・・・・・亜補阿
びと
ザルモン。・・・・猿文
ネトパ・・・・・・音賭葉
出身の
マハライ。・・・・万葉等意
23:29
ネトパ・・・・・・音渡葉
出身の
バアナ・・・・・・葉阿名
の子
ヘレブ。・・・・・経例部
ベニヤミン・・・・俳似埜視務
びとの
ギベア・・・・・・義邊阿
から出た
リバイ・・・・・・理葉意
の子
イッタイ。・・・・一体・一対・一帯・一隊
         一袋
23:30
ピラトン・・・・・比等渡務

ベナヤ。・・・・・俳名埜
ガアシ・・・・・・臥阿詞・臥足


出身

ヒダイ。・・・・・比対・比他意
23:31
アルバテ・・・・・阿留葉出
びと
アビアルボン。・・亜備阿留模務
バホリム・・・・・葉補理務
出身の
アズマウテ。・・・東有出
23:32
シャルボン・・・・写留本
出身の
エリヤバ。・・・・重理埜葉
ヤセン・・・・・・埜撰
の子たち。
ヨナタン。・・・・与名譚
23:33
ハラル・・・・・・葉等留
びと
シャンマ。・・・・写務万
ハラル
びと
シャラル
の子
アヒアム。・・・・阿比吾務(編)
23:34
マアカ・・・・・・真赤・馬亜化
出身の
アハスバイ・・・・阿葉諏葉意
の子
エリペレテ。・・・重理経例出
ギロ・・・・・・・義賂・疑露・欺露
出身の
アヒトペル・・・・阿比渡部(俳)留
の子
エリアム。・・・・重理阿務
23:35
カルメル・・・・・化留女留
出身の
ヘヅロ。・・・・
アルバ・・・・
びと
パアライ。・・・・
23:36
ゾバ・・・・
出身の
ナタン・・・・
の子
イガル。・・・・
ガド・・・・
びと
バニ。・・・・
23:37
アンモン・・・・
びと
ゼレク。・・・・
ゼルヤ・・・・
の子
ヨアブ・・・・

武器を執る者、
ベエロテ・・・・
出身の
ナハライ。・・・・
23:38
イテル・・・・
びと
イラ。・・・・
イテル・・・・
びと
ガレブ。・・・・
23:39
ヘテ・・・・
びと
ウリヤ。・・・・有理埜
        売屋・売家・瓜屋・瓜也
合わせて
三十七人である。
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コメント
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