映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

葛城事件(2016年)

2017-03-16 | 【か】



 親から継いだ金物店を営む、葛城清(三浦友和)は、郊外に家を建て、妻・伸子(南果歩)と、2人の息子、保(新井浩文)と稔(若葉竜也)を養ってきたことを自負して、生きていた。

 しかし、家族を大切にし、男として一国一城の主として頑張ってきたはずなのに、なぜか家族はバラバラで、妻は自分を拒絶するわ、長男の保はせっかくまともな勤め人になったのに店を継ぎたいなどと言い始めるわ、二男の稔はバイトを転々としながら半ば引きこもり状態である。挙げ句、妻は二男とともに近所にアパートを借りて家を出てしまう、、、。

 どうしてこんなことになったのか、、、。そんなある日、保はリストラに遭っていたことを親にも妻にも言えずに自殺。稔は「いつか一発逆転してやる」と、棺桶の中の保に向かって誓う。稔の言う、一発逆転とは……、無差別大量殺人犯人になって世間の注目を浴びることだった。

 基は、同名舞台の戯曲だそうで。戯曲段階では、モデルは、あの宅間守の家族だったそうですが、映画化に当たり、他の無差別大量殺人犯の家族に材をとり、融合させたとか。
 
 
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 昨年、話題になっていて、気にはなっていたのですが、どうもスクリーンで見る勇気がないまま躊躇しているうちに終映してしまいました。まあ、スクリーンで見なかったのは、ある意味正解だったかも。


◆大嫌いな男の子どもを2人も産む伸子も相当ヤバい。

 ネットの感想を少しザッピングしてみたのですが、概ね「リアル」「自分も清みたいな部分があるかも」というようなものでした。

 確かに、清という男性は、その辺にいそうなオッサンです。昭和な親父とでもいいましょうか。平成の世でもフツーにいるでしょう。やたら身近に感じるキャラなので、見た人たちは親近感を覚え、「自分もこんな家族を作ってしまうかも、、、」という、妙なリアリティに襲われ恐怖を感じてしまうのでしょうねぇ、、、。

 まあ、重大な罪を犯した人間の育った家庭というのは、大なり小なり、何かしら病理を抱えている可能性はあるでしょう。裁判のニュースなどで「犯人の生い立ちには汲むべき事情がある、、、」みたいなフレーズをよく耳にします。

 だから、「罪人たちの育った家庭に問題があった」ということについては、誰もがあまり疑問を抱かないと思いますが、「問題がある家庭に育った人間は皆罪人になる」わけじゃない、ということは、アタリマエのこととして認識しておきたいものです。

 稔があんなことを起こしてしまったのは、清の父親としての振る舞いに根本的な原因があるかのように受け止められかねない本作の構成は、ちょっといただけません。稔だけに限らず、伸子がああなのも、保がああなのも、全部、この父親が原因なんだ、とでも言いたげな描写の数々は、いかがなものでしょうか。葛城家の人々は、清以外、皆、清の被害者、、、みたいな。

 私が一番、イヤだなぁ、と思ったシーンは、伸子が清を激しく拒絶したところです。拒絶したこと自体は構わないけれど、その後がね、、、。伸子は「アタシ、あなたのことが最初から嫌いだった、大嫌いだった。どうしてこんなことになっちゃったんだろう」(セリフ正確じゃないです)とか言って、ボロボロ泣くんですよ。そのシーンの南果歩の泣き顔がメチャクチャ醜く見えました、私には。このセリフは、自分に対して言っているように見えるけれど、違います。自分が可哀想で、伸子は泣いているのです。こういう、自己憐憫の涙を平気で流せる人間が、私は大嫌いでして、、、。

 大嫌いな人間との間に、なぜ、2人も子ども作ったんでしょーか、アンタは。大嫌いな人間との間に産み落とされた2人の子どもは、一体、何なんでしょーか? 彼らの気持ち考えたことないんでしょーか? 子どもたちに産んでくれって頼まれでもしたんでしょーか? 勝手に産んだのは誰でしょーか? 泣きたいのは子どもたちじゃないでしょーか?

 清に問題がないとは言いませんが、同じくらい問題なのは、この伸子でしょう。でも、ネットでの感想で、伸子を批判的に書いているものはあまり見当たりませんでしたね。何でなのかしらん、、、。

 親も人間だから仕方がない、、、。それはそのとおりです。だったら、伸子がああなのは仕方がないし、清がああなのも仕方がないんじゃないの?


◆食事で分かる家庭の病理。

 とはいえ、確かに、家族の誰か1人のせいで、家族全員に悪影響を及ぼすことはあります。また、どんなに劣悪な環境で育っても、罪人にならない人はならないのだと、全て自己責任論に帰結させるのも乱暴でしょう。

 いただけないと思う部分はありますけど、人間の嫌らしい側面を、決してわざとらしくなくサラッと描いているその腕は、素晴らしいと思います。

 中華料理店でのシーンなんて、もう、コントみたいに痛々しいけれど、ああいう人は確かにいる。それでいて、清が毎日店で座っている場所から見える景色は、店の棚がほとんどを占め、外はほんの隙間から覗いているだけ、、、という狭さを強調した画面とか。清という人間の卑小さ、それをカモフラージュするための尊大さ。万人が持つ人間の醜い部分を遠慮なく抉る描写。……、ああ、嫌らしい!! 

 葛城家の人たちがものを食べるシーンが多いのだけど、手料理が一つもない、ってのがまたねぇ、、、。宅配ピザ、コンビニ弁当、カップ麺、、、。こういうところの描写も、上手いなぁ、、、と。この家を象徴する描写ですもんね。


◆自己チューじゃない人なんているのか?
 
 稔と獄中結婚する女性・星野順子(田中麗奈)の存在が、非現実的だ、と書かれている感想がありました。でも、よくありますよね、死刑囚の獄中結婚。

 結局、順子も、稔のためだとか言ってはいるけど、ただの自己チューにしか見えなかったなぁ。独善、自己満足でしかないでしょ。

 つまり、本作に出てくる人たちは、皆、自己チューなんですよね。自分のことだけ。自分さえ良ければ良い。でも、自分が良くないから、良くないのは、自分じゃない何かのせい、、、。そういう思考回路な人たちな気がします。

 人間、誰しも自己チューで、私ももちろん自己チューです。でも、自己チューな人間が皆、病んでしまうわけじゃない。自己チューと、せめて自覚くらいはしておきたい。「あなたのため」なんて平気で言う人間にだけはならないぞ、と常に自分に言い聞かせていたい。自分の信念のために、自分以外の誰かの気持ちを踏みにじることをしないよう、気をつけなければいけない。

 こういう作品を見ると、人間は、結局、誰しも一人で孤独なんだな、、、ということを痛感させられますね。家族であっても、きちんと互いに自立し尊重し合える関係でないと、誰かが病んでしまうのだから。

 人間とは、なんて厄介な生き物なんだろう。漁港が見下ろせる、日当たりが良くて小高い丘になわばりを持つ野良猫に生まれたかったかも。に゛ゃ~~







三浦友和が圧巻。




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