映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

夜明けの祈り(2016年)

2017-09-11 | 【よ】




以下、公式サイトよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1945年12月のポーランド。

 赤十字の施設で医療活動に従事するフランス人医師マチルドが、見知らぬシスターに請われ、遠く離れた修道院を訪ねる。そこでマチルドが目の当たりにしたのは、戦争末期のソ連兵の蛮行によって身ごもった7人の修道女が、あまりにも残酷な現実と神への信仰の狭間で極限の苦しみにあえぐ姿だった。

 かけがえのない命を救う使命感に駆られたマチルドは、幾多の困難に直面しながらも激務の合間を縫って修道院に通い、この世界で孤立した彼女たちの唯一の希望となっていく……。
 
=====ここまで。

    
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 ポーランドかぶれの現在、“ポ”と聞くだけで脳みそが反応してしまうのであります。ですから、当然、ポーランドが舞台の映画であれば、問答無用で見に行くわけです。このかぶれ状態、もうしばらく続きそう、、、。


◆カトリックの歪さを改めて見せつけられる。

 もうね、第二次大戦後のポーランドの悲惨さをちょっとずつだけれども知るにつれ、本当に、暗澹たる気持ちになるんだけど、、、、本作は、そういう戦争は終わって憎きナチは出て行ったけど、代わりにソ連が入ってきたという、厄介な状況に追い込まれているポーランドでの実際に起きた出来事をモチーフにしている。

 ある修道女が修道院を抜け出し、雪の積もる森を速歩で抜けて、とある医療施設にたどりつく。「助けて」と若い女性医師・マチルドにすがるけれども、何を助けて欲しいのか言おうとしないし、そもそもそこはフランスの赤十字施設で、ポーランド人は治療できないと断られる。しかし、マチルドが処置を終えて休憩していると、窓から先ほどの修道女が、雪の上にひざまずいて祈っているのが見える。そこで、マチルドは立ち上がる、、、。

 一筋縄ではいかない修道女たちは、妊婦が複数いることを最初はひた隠す。そらまぁ、そーでしょう。あってはならないことなんだから、修道女が“身ごもる”なんて。しかも1人じゃなく、何人も、、、。信仰の核の部分に関わるし、修道院の存続にも関わる、それはそれは恐ろしいことなわけで。ネットのレビューで、ちらほら“修道女たちが外部に助けを絶対的に求めようとしないことが理解できない”といった感想を見掛けたが、理解できないことが理解できない、、、のだよねぇ、私は。

 本作でのカトリックも、やっぱり、信仰する者を苦しめ追い詰めることになっている。何でそこまで、カトリックってのは禁欲を説くのかねぇ。

 ソ連兵の戦争犯罪については直接的な描写はなく、本作のテーマは、あくまでも修道女たちの苦しみと、そこに介入したフランス人女性医師の目を通した現実への向き合い方を描くことにあったのだろうと思われる。

 本作は、修道院のみならず、ポーランドという国自体が、この出来事が表沙汰になった場合に修道院を守らないであろうことにも言及しており、ここまで描かれていても先に挙げた様なネットの感想が出てくることに、ある意味驚きを覚える。


◆出産後の修道女たちの描写はあれで良いのか、、、?

 身ごもった修道女たちの多くは、程度の差はあれ、最終的には現実を受け容れ、我が子を愛しい存在と思うようになると、本作では描かれている。レイプで授かった子など愛せないと、何の躊躇もなく捨てる母親は皆無だった。

 まあ、私は、レイプされたことも、妊娠したこともないので、この辺りの感覚は想像するしかなく、想像を超えているものがある。だけれども、この、いかにも“母性至上主義”的な描写は、若干違和感を覚えたのも事実。実際の修道女たちがどうだったのかは分からないが、もっと激しく葛藤し、現実を突きつけられても受け容れきれなかった者がいても不思議ではない。

 出産したシスターたちが、我が子と離れなくても済む様に、マチルドは、修道院に対し、孤児院を兼ねることを提案する。これにより、修道院の面目は保たれつつ、修道女たちは母親として我が子の成長を見守ることも可能になった、、、というわけだ。

 本作はこれで、ほとんどハッピーエンディングに近い終わり方なのだが、私としてはむしろ、これからの方が、修道女たちにとっては試練なのではないかと思い、あまりハッピーエンディングの雰囲気には浸れなかった。子は成長するにつれて、自分の置かれている環境を認識していくし、自分の出自を必ず知りたがるようになる。そうなった場合、修道女たちは、また信仰との狭間で苦しめられることになるのは火を見るより明らかだ。

 また、マチルドのモデルになったマドレーヌ・ポーリアックは、本作のエンディングの直後となる1946年2月に、実際には事故死している。劇場を出てからこの事実を知って、さらに、何とも言えない気分になった。


◆素晴らしい俳優陣

 本作は全体に、非常に淡々とした描写で、そういう意味では奥行きのある映画とは言いがたい。“こういうことがありました~”で終わっちゃっている感じ。

 ただ、私はそれでも、この作品が映画としてそれなりに見られるものになっているのは、何よりマチルドを演じたルー・ドゥ・ラージュを始め、俳優たちの素晴らしい演技に拠るところが大きいと思う。

 マチルドの描き方も、序盤は実に淡々としており、飽くまで医師としての使命を果たすべく、感情を顔に出さない。『午後8時の訪問者』でアデル・エネルが演じた女性医師・ジェニーと重なった。感情を抑えて強靱な精神力で医師の使命を果たす点は共通している。2人とも、とても好感を持てる女性医師だ。

 そんなマチルドだが、プライベートでは上司の外科医・サミュエルと(一応?)つきあっているらしい。で、このサミュエルを演じていたのが、『やさしい人』でキモワル男にしか見えなかったヴァンサン・マケーニュ。『やさしい人』ではカッパみたいとかってこき下ろしちゃったけど、本作でのサミュエルは愛嬌のあるオッサンで、ゼンゼン別人みたいだった。まあ、どちらも、お世辞にもイイ男系でないことは確かだけど、サミュエルは自身もユダヤ系で迫害の恐怖を味わっていることから、終盤、マチルドが修道女たちを助けることに理解を示し、自らも助けるという、なかなか見所のある男だった。これだけ、役で違いを見せられるということは、彼は良い俳優なのだと思う。

 マチルドに早くから信頼を寄せるシスター・マリアを演じたアガタ・ブゼクが素敵。凛とした美しさと冷たさ、でも、実はとても優しい人。ずーっと見ながら、どこかで見た顔だと思っていたけど、『イレブン・ミニッツ』に出ていたらしい。ポーランド人で、首相を務めたイエジー・ブゼクの娘さんとのこと。ネットで検索したら、よく似ている父と娘だと思った。昨今のポーランドの右傾化にアガタ自身が不安を覚えているとのこと。

 もう一人、特筆すべきが、修道院長マザー・オレスカを演じたアガタ・クレシャ。こちらは、『イーダ』で“赤いヴァンダ”と呼ばれた過去を持つ検事ヴァンダを素晴らしく演じていた彼女は、本作でも存在感を発揮していた。こういう、屈折した心理を抱えた人間を、実に上手く体現していて感動モノ。この、マザー・オレスカは、実は大変な犯罪をしてしまっているんだけど(内容は敢えて書きません)、その心理がまた、信仰を持たない者には飛躍が大きすぎるようにも思えてしまうんだけど、この辺が、カトリックの不可解さを物語っていると思う。







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