映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

婚約者の友人(2016年)

2017-11-23 | 【こ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1919年、戦争の傷跡に苦しむドイツ。アンナ(パウラ・ベーア)は、婚約者のフランツをフランスとの戦いで亡くし、悲しみの日々を送っていた。

 そんなある日、アンナがフランツの墓参りに行くと、見知らぬ男が花を手向けて泣いている。アドリアン(ピエール・ニネ)と名乗るその男は、戦前にパリでフランツと知り合ったという。アンナとフランツの両親は、彼とフランツの友情に感動し、心を癒される。

 やがて、アンナはアドリアンに“婚約者の友人”以上の想いを抱き始めるが、そんな折、アドリアンが自らの正体を告白。だがそれは、次々と現れる謎の幕開けに過ぎなかった……。
 
=====ここまで。

 ううむ、、、ピエール・ニネを、初めて“イイ男”としみじみ感じた作品。
   
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 オゾン作品は、まあ一応見ておこうかな、と思うし、何より本作はポスターにそそられました。モノクロで、思わせぶり。ピエール・ニネの顔は独特すぎて、イマイチだったんだけど、本作での彼は素敵でござんした。以下、ネタバレバレなので、あしからず。


◆嘘、嘘、嘘、、、。

 ストーリーは、想像していたよりもはるかにシンプルで、主要な人物も、アンナとアドリアン、フランツの両親のほぼ4人に限定されており、人物描写が散漫にならず丁寧にされている。

 本作のテーマは、オゾンも言っているとおり“嘘”である。アンナもアドリアンも(そして今は亡きフランツも恐らく)、嘘をついている。そして、この嘘が本作のキモとなっている。

 アドリアンの嘘は、中盤でアンナに対し、アドリアン自身によって明かされる。アドリアンは、フランツの友人などではなく、戦場で互いに死を挟んで対面した敵味方同士であった。たまたま、フランツの持っている銃は弾切れで、アドリアンはそんなことを知らずに撃たれる前に撃っただけの話。だから、アドリアンは生還し、フランツは死んだ。フランツの所持品から、アドリアンは戦後になってフランツの実家を訪ねてきたという次第。

 戦場なのだから、殺るか殺られるかの世界。アドリアンは、生存本能から反射的に撃っただけの話だが、それによって目の前の敵兵が無残に倒れて死んでしまったことで、思いのほか大きな衝撃を受けてしまったらしい。自分の手で人を殺したことの重み、、、なのか。戦場であっても、それはやはり、それほどの重いものなのか。

 それを聞かされたアンナは、当然、衝撃を受ける。……が、アンナは、フランツの両親に、アドリアンの正体を明かさない。アドリアンの嘘を引き継ぐ。そして、アドリアンにも、フランツの両親には本当のことを明かしたと、嘘をつく。

 アンナが嘘をついたのは、フランツの両親を傷つけるのに忍びないという思いはもちろんあったと思うけれども、アドリアンの正体を明かせば、もう、アンナ自身が二度とアドリアンと会うことがかなわなくなるという思いがあったからだと思われる。つまり、もう、この時点でアンナはアドリアンのことを好きだったわけね。というか、ほとんど最初の時点から、アンナはアドリアンに惹かれていたとしか思えない。

 まあ、実際、婚約者は死んでしまってもういない状況でニネみたいな男性が目の前に現れたら、、、しかも、最初は婚約者の良き友人を名乗っていたのだから、惹かれても当然でしょ。

 しかも、アンナは、自分自身にも嘘をつくのである。彼女は、告解に行き、「フランツの両親に嘘をついていて苦しい」と打ち明ける。フランツの両親に本当のことを言わない理由は、自分のアドリアンへの思いからではない、と自分に言い聞かせる。飽くまでも、他者のために苦しい嘘をついているのだ、と。

 つまり、それほどまでに、もう、アンナはアドリアンのことを好きだったのだ。

 彼女が自分にも嘘をついた理由は、、、きっと、フランツへの負い目、婚約者を亡くしたばかりの身であることへの引け目、、、そんなところか。でも、そんなモラルなど、恋に落ちることの前では何の歯止めにもならんということの典型だわね。

 アンナは、自分にも皆にも嘘をついて、自分の恋を守ろうとした。恋が嘘をつかせたけれど、恋に嘘をつくことは出来なかった、、、んだね。恋とは、あらゆるモラルを薙ぎ倒す、もの凄いパワーなのである。


◆恋はタイミングが全て。

 さて、アンナに全てを打ち明けたアドリアンは、一旦、アンナの前から姿を消し、フランスに帰ってしまう。しかし、帰る前の約束通り、フランスからアンナに手紙をよこす。フランツの両親に読まれても良いようにフランス語でしたためた手紙を。アンナは思い悩んだ末にようやくアドリアンに返事を出したが、宛先不明で戻ってきてしまう。姿を消したアドリアンを探しに、フランツの両親に背中を押されて、フランスへ向かうアンナ。

 ……果たしてアドリアンの心はどうだったのか、、、。少なくとも、彼もアンナに惹かれていたと思う。フランツの婚約者、としてではなく、一人の女性として。

 そう感じた根拠は、アンナがフランスにアドリアンを訪ね、2人が再会したときの会話。アドリアンは「どうして手紙に返事をくれなかったの? ショックだったよ」と話している。もし、アドリアンが、本当に贖罪のためだけにアンナに手紙を出していたとしたら、返事が来ないことに「ショックだった」とは言わないと思う。というか、贖罪のための手紙なら、ドイツ語で、フランツの両親宛に手紙を出せば良いのである。

 また、その前に、アンナと再会した場面でのアドリアンの表情も見落とせない。思いがけず訪ねてきたアンナを見たアドリアンの表情は、驚きとともに嬉しさが隠せないものだったように見えた。少なくとも、アドリアンはアンナに対し好意を抱いていたことは間違いない。

 そんな2人の微妙な空気を瞬時に読んだのが、アドリアンの母親だ。やっぱし女のこういう勘は怖ろしい。アンナにホテルを紹介しようとすると、アドリアンが「ウチに泊まれば良い」と言う。そこで、母親は、アンナにある事実を突きつける。アドリアンの婚約者を自宅に招き、アンナに紹介したのだ。

 こうして、アンナの恋は無残に破れ、アドリアンの家から傷心で立ち去ることに。駅までアドリアンが送ってきて、2人は、駅でキスを交わす、、、。哀しい切ないキスシーン。やっぱり、アドリアンもアンナに、アンナほどではなかったかも知れないが、恋していたのだと思う。だからこそ、ああいう描写になったのではなかろうか、、、。

 この駅でのシーン、私は、心の中で“アドリアン、そのまま列車に乗っちゃえ!!”と叫んでいたんだけど、アドリアンはおとなしくアンナを見送っていた、、、。ちっ、つまんねぇ。

 もう少し、アンナが早く返事をアドリアンに出していたら。パリの家を引き払って、実家に移る前に出していたら、、、。もしかしたら、アンナとの恋は実ったかも知れないのに。アドリアンが実家に戻って、母親が彼と幼なじみの女性と婚約させたのだから。実家に戻る前に、アンナとの再会を果たしていれば、、、。と、妄想してしまう私。

 アドリアンも、結局は苦労知らずのええとこのお坊ちゃんってことかな。ハメ外してまで自分の気持ちに正直に行動する、っていう選択肢は彼にはなかったのだね。


◆鍵になる絵と音楽

 アドリアンがフランツの墓前にたたずむシーンから、アドリアンとフランツの関係を、恋愛関係だったのではないかと推察した人も多い様子。確かに、そう匂わせるシーンもあるしね。……まあ、でもそれだと、ちょっと出来すぎな話な気がしたので、私はあんまりそっち方面の展開は考えていなかった。

 フランツも嘘をついていた、と前述したけれど、フランツは戦前パリに留学していて、アンナがパリを訪ねたときに泊まったホテルが、フランツが定宿にしていたというホテルだったわけ。当然、普通の真っ当なホテルかとアンナも思っていたらしいけれど、行ってみたら、そこは連れ込み宿。あらら、、、ということで、フランツのパリ留学にも嘘が潜んでいたのだなぁ、と感じた次第。その嘘の理由はもちろん分からない。でもきっと、自分を良く見せたい、親に心配させたくない、、、単純に考えればそんなところか。もしかすると、、、、というのももちろんアリだが。

 アドリアンが、フランツとルーブルで見たマネの絵……男が仰向けになっている絵、、、。アンナは、実際にアドリアンを探す過程で、ルーブルでこの絵を見るわけだが、その絵のタイトルは「自殺」。アドリアンの消息を辿るアンナにとっては不吉以外の何ものでもない絵だったが、アドリアンとの恋に破れた後、ラストシーンでアンナは再びこの絵の前に立つ。そして言うのである。「この絵を見ていると、むしろ、生きる希望が湧く」と。

 このセリフの意味についても、ネットではいろいろ考察されているみたいだけれども、私は、そのままストレートに受け止めた。自殺している男を見て、生きる希望が湧くなんてのは一見矛盾しているが、人間は誰もが例外なく死ぬのであり、自ら命を絶った人の姿を見て、自分は死ぬまで生きなければと思うのは、むしろ自然な感情のようにも思われる。私の場合、絵ではなく、現実に知り合いが2人もここ数年の間に相次いで自死したのに接しているので、アンナの言葉には逆に説得力を感じたほどだ。死ぬまで生ききらなければならない、強くそう感じたからである。

 また、本作では、音楽も鍵になっている。アドリアンが、フランツの両親の前でバイオリンを弾いたときの曲は、ショパンの夜想曲20番。そして、アドリアンのフランスの実家で、アドリアンと婚約者、そしてアンナの3人が演奏するのがシューベルトの「星の夜」。その歌詞には「私は過ぎ去りし愛を思う、、、」 ……この曲の途中で、アンナは「もうやってられない!」と演奏を放棄してしまうのだけれど、アドリアンはこれをフランツへの思いと勘違いしているところが皮肉である。……いや、本当は、自分への思いと分かっていて、飽くまでも気付かないふりをしていたのかも知れない、、、。多分そうだろう。

 絵にしても、音楽にしても、実に映画としての本作に奥行きを与える素晴らしいツールとなっている。

 フランス人のアドリアンはドイツ語が話せて、ドイツ人のアンナはフランス語が話せる、ということになっている。ドイツに来たアドリアンは、ドイツ人たちに白眼視される。しかし、アドリアンを探しにフランスに行ったアンナもまた、フランス人たちに同じような視線を浴びせられる。こういう描写だけで、当時の、ドイツとフランスの関係性が分かるし、互いの複雑な国民感情も、アドリアンとアンナに少なからぬ影響を与えていることが分かる。

 一見シンプルな作品でありながら、何とも深みのある映画に仕立て上げているオゾンの手腕、おそるべし。


◆その他もろもろ

 本作は、ルビッチの『私の殺した男』の基となった戯曲をオゾンが見つけて映画化しようとし、ルビッチが映画化していることで、一旦は映画化を諦めかけたらしい。パンフによれば、オゾンはルビッチ版を見て、まったく違った作品になると確信したから撮ったと話している。ルビッチはフランス人青年の視点から描いているが、オゾンは女性側から描きたかったのだとか。

 ルビッチ作品というと、『生きるべきか死ぬべきか』なんだけど、私はあの映画の良さがまるで分からないクチなんで、『私の殺した男』もあんまり見る気がしないけど、、、。

 オゾンの撮った本作では、アンナがフランスへ行くエピソードは完全にオゾンのオリジナルとのこと。確かに、このエピソードがあるからこそ、嘘が生きてくるわけで、、、。アンナの恋……もっと言えば、エゴが剥き出しになる展開は、なかなか見応えがある。

 アドリアンを演じたピエール・ニネは、謎めいた男をセクシーに演じていて魅力的だった。ドイツ語もかなり練習したのだろうなぁ、、、。アンナを演じたパウラ・ベーアは、撮影時20歳だというけど、もっと落ち着いているように見えた。まだキャリアは浅いみたいだけど、なんかもう、手練れの感じさえあったなぁ。フランス語もキレイに話しているように聞こえたし。

 113分の作品だけれど、ギュッと濃縮された味わい深い逸品であることは間違いなし。見て損はないですよ。









アンナはこの後どうなるのだろうか、、、。




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コメント (4)
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