切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府木津川市加茂町 御霊神社・・・廃寺の跡に建つ

2017-06-15 00:11:15 | 撮影
 木津川市にある御霊神社へ行く。


 同じ名前の神社は全国に数多くあり、今回の御霊神社と同じ市内にもやはり、別の御霊神社がある。御霊信仰に基づく神社ということだが、御霊信仰についてはまだ勉強してないので、その内容は割愛する。

 木津川市は、京都府南部の奈良県との境にあるベッドタウンで、関西学研都市の開発に伴って、木津町が市町村合併により大きく人口が増え、今も丘陵地帯に開発の波が押し寄せ、新しい住宅がどんどん建設されている。JRの関西本線が通っていて奈良、大阪へ直行できるので、非常に便利な地域でもある。
 その木津川市が合併する前に、加茂町という町があり、ここは山に囲まれた農村地帯だが、JRの駅の周辺が大きく開発され、タワーマンションも建っており、中心部はちょっとした都会の雰囲気があるが、御霊神社はこの加茂町の山麓にある。

 現地に到着すると、参道の上に本殿が見える。その近くに重要文化財の立て札が目立つように立てられている。普段は静かで近所の人が散策するくらいだが、非常に静かな落ち着いたいい雰囲気の神社と言える。
     

 たまたま境内を散策していた人からこの神社の一枚物の説明書を頂いた。
説明書の一部をそのまま載せる。

・御霊神社  加茂町兎並寺山

『「兎並の宮さん」で親しまれているお社ですが、『御霊神社』が正式の名称です。
 本殿は 三間社流れ造り桧皮葺で、国の重要文化財に指定されている優美な建物です。
祭神は崇道天皇(早良親王)を主神に、八柱をまつる八所御霊の社です。京都市内の上御霊神社、下御霊神社を筆頭に、同名の神社が各地に存在します。
 当地では天平年間の創建と伝えられる「燈(灯)明寺」の鎮守社として勧請されたようですが、いつのことか定かではありません。昭和三十六年に大修理を受けたとき、施工に当たった京都府教育委員会は、次のように記しています。
「御霊神社本殿は、その形式技法により南北朝期の建物と認められるが、由緒について明確なものはなく、奈良氷室神社の古社殿を移建したと伝えられるにすぎない。本殿は移建後、明和四年、寛政七年、文政三年、明治二十八年、同四十四年及び昭和七年に修理を受け、今日に至った。」とあります。最近では平成九年に修理(屋根葺き替えと丹塗り)が行われました。
 灯明寺は中世以降盛衰を繰り返していましたが、明治後衰徴したので、御霊神社は兎並の産土神として、氏子八十六軒によって祀られています。二月十七日、十月十七日、十一月二十八日の三回祭儀を行います。』

 説明書にある通り元々は灯明寺というお寺の 鎮守社だったものが、お寺が衰退し最終的には第二次世界大戦後の混乱期に、遂に廃寺となった。
 灯明寺は、寺伝(東明寺縁起)によると、奈良時代行基の開基と伝えられていようだ。梵鐘に貞享五年の刻銘(1688年)が認められる。
      

 ここにあった灯明寺の建物は、横浜の三渓園に移築されて、重要文化財として存在している。灯明寺の跡だけが残っているが、本尊などの仏像がここの収蔵庫に保管されていて、年に一回だけ公開されるらしい。結局はお寺の方が無くなって、神社の方が、この場所の主になったという、珍しいかどうかは知らないが、あまり聞かない例だ。本殿そのものは画像の通り、なかなか見事な極彩色の、見応えのある建物だ。
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