切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府乙訓郡大山崎町 宝積寺・・・文化財の宝庫

2017-06-20 00:32:55 | 撮影
   

 乙訓郡の大山崎町は自分が初めて赴任した土地で、10年以上ここで勤めていた。したがって町内の端から端まで大概は知っているが、当時はお寺や神社に特に興味もなかったので、この宝積寺のことは全く知らなかった。近くにある国宝の妙喜庵や山崎聖天などは一応名前は知っていたものの、町内を観光するような余裕も気持ちもなかったし、そういった意味では上辺のことしか知らなかった。
 
 
 

 この大山崎町にある宝積寺は、歴史の舞台にも何度も登場し、著名人も多く関わっている。昔から 交通の要衝で、同時にそれは戦略的な価値の高い場所でもあった。下の縁起にある通り、寺の歴史は古いが、鎌倉初期に一度焼けている。その後再建され、打ち出の小槌の話から、別名宝寺とも呼ばれている。山崎の合戦では、秀吉の陣地となっている。三重塔は秀吉がわずか1日で建てたと言う話が残っている。
          

 爺さんになって、お寺や神社を巡るようになってから、この宝積寺が歴史的にも重要な役割を果たしてきて、今や金剛力士像、十一面観音、閻魔座像、三重塔などなど、数多くの殆どの彫像が文化財指定され、宝庫となっていることを知った。国の重要文化財から京都府の指定有形文化財、大山崎町の指定文化財というように、ほぼ全ての種類がある。本堂なども何らかの文化財指定を受けている。
 なんとこのお寺、各文化財の撮影が自由にできるみたいで、手を合わせた後しっかり撮影させていただいた。
 阪急やJRの駅からもすぐ近くで、天王山への登り口にもあたり、とても便利な場所にある。ハイキングに行く人も多く見たし、境内にもけっこう人が来ていた。
 直に行って拝見する価値、十二分にあり。
  

寶積寺縁起
『養老7(723)年11月23日、龍神が唐土より万宝第一(何事も叶う)の打出と小槌を我国に伝来されました。神亀元(724甲子)年、聖武天皇は行基菩薩に勅命され寶積寺を建立し、打出と小槌を奉納されました。しばらくして御本尊大黒天神を印度よりお招きし、お祭り申し上げました。以来、財福、繁栄・増進の神様と崇められ打出と小槌の加持を求める御信徒が、大勢参詣されております。
 当寺は、木津川・宇治川・桂川の三川合流を望む天王山中腹にあり、その昔大洪水で橋が流出し民衆が途方にくれていたとき、どこからともなく人の翁が現れて、水面を自由に歩き、見事橋を復元されました。その翁は山に上り、当寺本堂のお厨子に入られました。以来、当寺の本尊十面観世音菩薩が翁に化身されて、橋を掛けられたとの評判がたち、橋架観音と呼ばれるようになりました。
 天正10(1582)年の山崎の合戦、元治元(1864)年の蛤御門の変に於て、当寺へ陣地となり戦禍を蒙り、伽藍は一時荒廃しましたが、歴史の重要な舞台ともなり、どの時代にあっても現世利益の信仰はすたれることなく、今日もなお興隆の一途を歩んでおります。
三重の塔は「豊臣秀吉の一夜の塔」として名高い。』
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