炭山八幡宮。
宇治市で唯一の八幡宮を称する。宇治市の中心街から山間部に入り、天ヶ瀬ダムの手前を北上するとすぐに志津川と言う地域に入る。2012年8月の京都府南部豪雨で大きな被害を出し、2名の死者を出したところ。今はのどかなこの小さな山間集落をさらに北上し、約20分ほど走ると炭山と言う地域に到着する。ここも豪雨で完全に孤立集落となった。戸数は多分50戸足らずだろう。この中心部に炭山八幡宮がある。
昔よりこの地域では炭焼きが盛んで、そこからこの地名が付いたと思われる。鎌倉時代には地名として「すみやま」が登場している。
平安末期から鎌倉初期に登場した鴨長明の随筆「方丈記」に次の様な一文がある。「これよりみねづづき、すみ山(炭山)をこえ、かさとり(笠取)をすぎ、或は石間(岩間寺)にまうで、或は石山(石山寺)ををがむ」当時、鴨長明は今現在の伏見区の醍醐日野にある方丈に住んでいて、ここから東の方を峠越えで歩いて行くと、この文の内容になる。( )内に記したように、これらの地名や寺院は今も存続している。本人が実際に歩いたのか、行った人の伝聞なのかはわからないが、800年も前から炭山と名付けられていたことがわかる。
「炭山村」となったのは、江戸時代のこと。この頃すでに炭山地域は醍醐寺の所領となっており、醍醐寺そのものが女人禁制であったために、西国巡礼の女性が醍醐寺に入れず、そのためにこの炭山地域に醍醐寺詣でができるように、女人堂が設けられた。建保3年(1215) のこと。この女人堂跡は、今の称名寺の辺りだと言う。
また上炭山地域には上炭山古墳と言う室町時代の遺跡があり、五輪塔や石仏があるとのこと。今回はそこまでは行かずに、あくまでも炭山八幡宮を目的としていたので、写真も八幡宮だけを撮って帰ってきた。
炭山八幡宮の本殿は、宇治市の指定文化財で、江戸時代の元禄12年(1699)に創建され、一間社流造の建物で、全体が覆屋の中にある。本殿は非常に質素な建物で、文化財としての歴史的な価値があるとは気が付かないだろう。だいたいこの神社には、炭山八幡宮の名前だけはあるが、あとは何の説明書きもない。せめて宇治市の指定文化財であることを示す立札があってもよさそうなものだが、これではほとんど誰も気が付かないのも無理はないし、実際、ネット上でもこの神社に関する情報はほとんど皆無と言ってもいいくらいだった。
境内は狭いが、舞殿と思われる様な小さな社殿が廊下のように本殿につながっている。毎年ここで八幡の例祭が行われていると思う。
なお現在の炭山地区は陶芸の工房が集まっており、また陶芸村という共同で陶芸に取り組んでいる作家の大きい工房もあり、この陶芸でよく知られている。元は京都市内に工房があったのだが、1970年代だったか、条例で窯焼きが禁止されたため、一部の陶芸作家がこの炭山地区に来たという。