切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府八幡市 内神社

2017-06-02 01:01:32 | 撮影
 八幡市の内神社へ行く。
 


 八幡市は大阪枚方の隣接市で、京都府最初の大規模団地、男山団地が作られたところ。市の西部は主に田畑が広がり、東部が住宅街になっており、多くの人々が大阪方面へ通勤する。

 内神社は西部の田畑が広がる一角にある。比較的広い敷地を持ち、隣接する町内会が綺麗に整備している。境内は非常に落ち着いた、ゆったりした時間の流れる、ある意味憩いの場のような存在。
 神社の概要については、八幡市観光協会のホームページより説明文を以下に引用させていただく。
   

『『和名抄』でいう山城国綴喜郡内郷に鎮座する本社は、平安期に定められた『延喜式神名帳』に、「内神社二坐」と記される式内社である。
 古伝によると、山代内臣をその住居の地に奉祀したのが創建で、相殿に鎮まり坐す味師内宿禰は、山代内臣の祖神であることから、後に合祀されたと伝えられる。
 また、『神社明細帳』によると、室町時代に起こった大永の乱(十六世紀前半)により社殿が頽廃したため、天正年中に今の地に遷座されたと記されている。旧社地は現在もなお「古宮」と呼ばれ、本社より南東の方角約五百メートルの所に禁足地として現存する。
 現在の本殿及び境内は、平成十三年十月より十四年九月迄の二年間に亘る、内里区造営事業として行われ、整備完成されたものである。御祭神の山代内臣は、味師内宿禰の後裔であり、内里の郷の始祖とされ、地名の「内」は、御祭神の名によるものと伝えられる。
 味師内宿禰は可怜の美称である。父は孝元天皇(第八代)の皇子である比古布都押之命で、母は葛城之高千那毘売である。山代内臣の祖神であり、応神天皇(第十五代)に仕えた武内宿禰の異母兄弟にあたる。武勇に優れた兄武内宿禰に対し、美男で温和な性格の神であったと伝えられ、『日本書紀』に記されるように、神代の裁判である「探湯」を初めて行った神として知られる。』

  

 これによると少なくとも平安時代以前には、創建されていたことになる。
 その後の変遷によって、現在の境内は寛保3年に整備されたようで、旧本殿の移設の際に内部からその旨の墨書が見つかっており、また西側の石造鳥居には、寛保3年の刻銘がはっきりと残っている。西暦では1743年にあたり、ほぼ300年経っていることになる。
 現本殿は十数年前に改めて建てられたもの。その近くにある旧本殿は、京都府の指定有形文化財。
 
 
 

 このような神社の由緒については、複数の古文書なり、後に編纂された村史などを関連させてみていかないと、なかなか明らかにならない。自分みたいな素人が現場に行って色々見ていても、手の出しようがない。深い歴史を持って今に至っているが、多くの研究者たちによって、様々な歴史が明らかにされていることが凄いもんだと思う。
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