切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉 京都府八幡市 正法寺と神應寺・・・文化財公開

2017-12-11 21:13:45 | 撮影

 京都府八幡市の二つのお寺。紅葉シーズンと文化財公開の日が重なって、2箇所行ってきた。
 
 正法寺はかなり名前が知られており、ネット上でも多く紹介されている。 去年平日に行った時には、ご住職さんが幼稚園のことであたふたしていて、とても内部を拝観するような状態ではなかった。
 重要文化財などのいくつかの文化財を所有しており、是非見たいものだと思っていたが、その時に初めて公開日があることを知った。
 今回ちょうど紅葉と重なって、訪れた時には多くのボランティアのお年寄りガイドが参拝に来た人達に説明をしていた。庭園から見る本堂や唐門等の重要文化財の存在感はなかなかのもので、内部にある阿弥陀如来座像も風格あるものだ。
 お寺の説明書きにあるお亀さんという人が、たまたまこの寺を通った徳川家康に気に入られ、側室となって出世。その縁でお寺自体が徳川家の恩寵を受けることになった。その意味では江戸時代において、重要な位置にあったと言える。
 紅葉そのものは境内全体を覆うというものではないもの 、部屋の中から戸枠を通してみる庭園とともに、一つの絵画のような美しさがある。
 普段は内部は非公開なので、必ず公開日を調べて行くべき。
 (唐門・重要文化財)                

『徳迎山 正法寺

 徳迎山正法寺は今から約820年前、鎌倉時代の建久2年(1191年)に、天台宗の寺として開創されました。鎌倉幕府御家人・高田蔵人忠国が、本寺を開いたと寺蔵文書が伝えています。
 室町時代後期に浄土宗に改宗。後奈良天皇の帰依を受け、天分15年(1546年)に勅願寺となりました。
 江戸時代に志水宗清の娘お亀(相応院)が、徳川家康の側室となり、後の尾張藩祖・義直の母となります。その後本寺は相応院の菩提寺となり、近世を通して尾張藩の厚い庇護を受けてきました。
 現在の伽藍は相応院の寄進によるもので、寛永6年(1629年)頃に建立されたものです。本堂・唐門・大方丈(いずれも重要文化財)のほか、小方丈・書院・鐘楼(いずれも京都府指定文化財)など、近世前期の建物を当時の規模そのままに保っています。
 (パンフレットより)



 
 神應寺は京阪電鉄八幡市駅のすぐ近く。石清水八幡宮のある男山の麓にある。車で行くにはかなり細い道を擦らないか心配しながら、ぎりぎりのところを走って駐車場に着く。
 当日はちょうど紅葉祭りが催されていて、河原には大勢の人が集まって楽しんでいた。入り口の山門まで一旦降りて、約160段ある石段を上っていく。男山一帯の紅葉が緑、黄色、赤色に染まり、なかなか見応えがある。やはり文化財公開ということで、そこそこ人が来ていたし、境内の美しい紅葉を皆さん夢中にカメラに収めていた。
 内部が公開されているので当然、中に入る。ここでもボランティアのお年寄りたちが懸命に説明していた。書院の窓からは、八幡市から宇治市、京都市内が一望できる。ここにも 木彫の仏像があり、他にも様々な寺宝が展示されていた。
 このお寺は内部よりもむしろ、境内外の男山への山道に至る所の方が、多彩な紅葉に見所があるように感じられる。 道を少し進むと八幡市駅から接続している京阪電鉄の男山ケーブルカーの橋梁が上を走っている。そのケーブルカーをバックに撮る紅葉の写真も非常に見栄えがして満足できるものだ。ここ神應寺はさほど有名ではないものの、紅葉のスポットとしては十分に見応えがある。
 尚、山門近くにある五輪塔は日本最大のもので、高さ約6m、重要文化財である。
           

『絲杉山 神應寺(曹洞宗)

 神應寺は、石清水八幡宮の門前に位置する。周りの繁栄とは裏腹に、民家の軒を分けて堅牢な山門があり、これより登る百六十余段の磴は寂として、塵裡に閑を愉しむことができる。
 貞観二年(八六〇)石清水八幡宮を勧請した行教律師により應神天皇の霊を祀る為に創建された。往古は應神寺と称して、法相・天台・真言密教を弘通する四宗兼学の道場であったが、現在は曹洞宗の寺院である。
 豊臣秀吉公が征韓の役に出陣するにあたり八幡宮に参拝した際、当寺に止宿して二〇〇石を寄進した。秀頼の代になると、位冠束帯した秀吉公の木像を安置して擁護した。その後、徳川家が代々帰依するところとなり、当時の古文書が今尚現存している。本堂分霊の間に行教律師のご尊像が、その側には徳川家代々の位碑が安置されている。
 境内には、江戸初期に活躍した大阪の豪商・淀屋辰五郎をはじめ徳川家の夫人右衛門佐、淀城主・永井公、模型飛行機の元祖・二宮忠八翁の墓などがある。更に細蜜写生主義を貫き、丸山派から脱皮して独自の画風を開いた長屋廬雪の墓もある。奥の院には南無大聖不動明王、脇仏矜羯羅童子・制多迦童子(市指定文化財) 、そして十一面観世音菩薩を安置している。また縁側より京都、宇治、淀川に向けた眺望は絶景である。秋には色鮮やかな紅葉が幻想的風景を醸し出す。
 (パンフレットより)

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