綺麗なもの and ラブラドール

生活の中で見つけた綺麗なもの、かわいいものなど、感動したことを紹介します。

フランス ロワール地方(シャルトル大聖堂)

2008-02-29 | パリ

  フランス旅行から、もう、2ヶ月近く・・・ 

 薄れゆく記憶を、なんとか、写真を見ながら・・たどっていきます。^^  

   あ~~・・・写真・・・っていいものね!^^

パリから、バスで約1時間、大穀倉地帯のボース平野の中に、時が止まったようにたたずむ町,シャルトル

古来より多くの巡礼者を集めてきたシャルトル大聖堂(ノートルダム大聖堂)は、1979年に世界遺産に登録されました。

左右非対称の2本の塔。

正面向かって左のゴシック様式の塔は新鐘楼、左側のロマネスク様式の塔は旧鐘楼と呼ばれています。

 

 

「シャルトル・ブルー」で、知られているステンドグラス

 

 

ララママちゃんのもっと素敵なシャルトル大聖堂・・・・は、こちらへ

 

 

聖堂前の街並み

 

 

 

 

 

駅内のレストランで昼食です。

 

 

 

 

またまた・・・・ おバカな、家族・・・主人が先頭に酔った振り・・・・^^続けて皆で・・・・・

 

本当は、モザイク無しでお見せしたいのですが・・・・^^(特に娘の顔^^)

 

 


パリを歩く、NO,11

2008-02-26 | パリ

    ワオ~~!!    地下鉄から降り、階段を登ってくると・・・  

   真後ろに凱旋門が・・・・

 

そして、この通りが、シャンゼリゼ通り

何を万歳してるんでしょうね?   (お恥ずかしい・・・^^)

 

 そして、以前載せた シャンゼリゼ通りを歩いて・・・・・

 

帰りは、地下鉄ではなくRER線の二階建て電車に乗り、ホテルにへと帰りました。

 

地下鉄や、この電車など、パリは落書きが多いです。

 

 

次回からは、ロワール地方をお届けします。


パリを歩く。NO.10(セーヌ川沿いに)

2008-02-23 | パリ
ポン・デ・ザール(芸術橋)
その名がルーヴルの別名であるパレ・デ・ザール(芸術宮殿)に由来するとしているそうです。
 1804年、この橋はルーヴル宮に左岸から直接入っていけるようにと、ナポレオン一世が架けさせたもの。当時、この橋は二つのことで目新しいものでした。ひとつは初の鉄橋だったこと、もうひとつは歩行者専用だったことです。







今日の出発点、ルーブルのガラスのピラミッドに戻ってきました。


これから、地下鉄に乗り、凱旋門まで行くことになりました。



ルーブル界隈

遠くに、オペラ座が見えます。







ここから、凱旋門に向かいます。



ちょっと、悪戯・・・・・ナイト君!




雪を滑る犬。動画で・・

2008-02-21 | 愛犬のこと


ウ、ウン?・・・なんか、おかしいぞ・・・・・

よ~し!  もう一回・・・

よいしょ!よいしょ!・・・・なんか、滑りが悪いなぁ~・・・

どっか、いい場所ないかなぁ~~・・・・

あんまり、変わらないみたい・・・ここでいいか・・・・

よ~し!  もう一回・・・チャレンジ・・


まっ!こんなもんか・・・・・・



さっ!行こ!



動画が出るまで少し時間がかかります。しばらくお待ち下さい。


パリを歩く。NO.9(セーヌ川沿いに)

2008-02-16 | パリ

ボンヌフ橋ポン・ヌフ、訳すと「新橋」となりますが、パリに現存する橋では最古の橋です。

フランス語に《Se porter comme le Pont-Neuf(ポン=ヌフのように頑丈だ)》という表現があるぐらい、1604年の架橋以来400年の長きにわたり、何度も洪水や船の衝突事故に遭いながら一度も壊れることなく、しっかりとセーヌ川に架かっています。

 工事が始まったのはアンリ四世の時代の1578年。その後、セーヌ川の増水や宗教戦争など様々な妨げがあり、着工より26年後の1604年にようやく完成しました。この橋は従来の橋とは違い、 (この橋が造られた当時の慣例からすれば、、ノートル・ダム橋のように橋の上には家が建てられるのが常であったが、ポン・ヌフは慣例にしたがわず、当時は勿論のこと、その後も橋上に家が建てられなかった。)つまり“新しいタイプ”の橋であることから「新橋」と名付けられました。

人々の往来は多く、物売り、新聞屋、歯医者、辻芸人など様々な商売がこの橋の上で営まれていたそうです。 橋はシテ島を挟んで南北に分かれていますが、その間にアンリ四世の騎馬像が立てられています。また橋の軒下には400個近い怪人面が飾られており、19世紀半ばの橋の修復の際にも新しく彫り直されたそうです。

 

ボンヌフ橋の方を振り返りました。

 

 

 

 

 

バカなことをしていますね・・・^^

 

 

   ところで、とっても、嬉しいニュースが我が家を駆け巡りました・・・

  先のフランス旅行の際、空港で面白動物・・・・という、投稿記事に、デジカメのメモリーのレオンの写真を投稿してきたら・・・・

 

 

  キャァ~~~・・・・

 

    な!なんと・・・・・

 

  レオンが選ばれて・・・・

  しかも・・・・・新聞に載ってしまったんです・・・・・・

 

 ネッ!     嘘みたいでしょう・・・・   

 

 

     そう、嘘で~~~す!

   JUN君のパパからこのサイト教えてもらいました。(ごめんちゃ~い!^^)

 

 

 

 


パリを歩く。NO.8(セーヌ川沿いに)

2008-02-14 | パリ
このアルコル橋の右側に見えるのは市立病院です。ガイドさんの話だと、この市民病院は、近年建てられたそうで、そのせいで、セーヌの右岸からノートルダム大聖堂の屋根が見えにくくなったそうです。

そう言われれば、セーヌ川の右岸から、ノートルダム大聖堂は、見えませんでした。
パリの街造りでも、このようなことがあるのかと、疑問に思いましたが、
それにしても、商工裁判所、コンシェルジュリーと、全く時代が変わらないような造りはさすがですね・・・・(3枚目の写真)

この角度からは、真ん中奥に、前回のノートルダム大聖堂が見えます。


     ※アルコル橋由来ついて・・・・

シテ島と右岸を結びつける橋の中で最も上流にあるアルコル橋。
 1830年の7月革命の際、市民と軍隊がアルコル橋で衝突、その時、1人の若者が三色旗ををかかげて、身を挺して橋の真ん中にまで進み、その旗を中央の橋桁の上に立てかけ「わが友たちよ、私の名がアルコルであることを覚えておいて欲しい」と叫ぶや、銃弾の前に倒れてしまう・・・。その若者の言葉に、人びとは彼が倒れた橋にその名を冠することで応じた。それがアルコル橋の由来だそうです。
 

このアルコル橋をノートルダム大聖堂側から渡った川の向かい側にある重厚なルネッサンス様式の

この建物は、パリ市庁舎です。
現在の、市庁舎は旧市庁舎が1871年に火災で焼失した跡に再建されたもので、冬には、広場にスケート場が設置されます。(見にくいかと思いますが、右側の白くなっている所がそうです。)


さらに、下流を見ると・・・

奥にに見えるのは、ノートル・ダム橋、背景にある建物は、左から先程の市立病院、商工裁判所、コンシェルジュリー。



 今の橋の姿形からは想像もつきませんがが、16世紀初目の頃、この橋の上には、両側に3階建てで34軒づつ計68軒の家屋(両替商、貴金属商など)が立ち並んでいたそうです。当時のノートル・ダム橋は、まさにヨーロッパ第一の楽しく、魅力的な橋であったそうです。
 1787年、橋の上から建物が撤去されて以降、この橋はありきたりな橋になったそうです。



   ※コンシェルジェリーについて・・・・
ここは昔フランス王の居住および執務の館でした。
シャルル5世がこの宮からサン・ポール館に移ろうとした時にここに王室司令部を置き、コンシェルジュ(門衛)を任命しました。
コンシェルジュは王の司令官として多くの権力と特権を持っていました。
ここはそのコンシェルジュの住居でもあり、コンシェルジュリーと呼ばれるようになりました。

建物は14世紀にフリップ美男王が建てさせたもので、3つの塔と3つの大広間からなります。
18世紀後半フランス革命が勃発。
1793年王政が陥落した後、国民公会によって設置された革命法廷はここに本拠を置きました。
そして、コンシェルジュリーは革命期に捕らえられた人々が死を待つ牢獄として使われました。
その数は2年間に2700名にものぼります。
死刑囚の多くは一般の民衆、貴族、学者、文学者でした。
彼らはここで、死までの時を過ごし断頭台へと上って行ったのです。
ここに入れられた囚人の中で一番有名なのがマリー・アントワネットです。
彼女はここの1室に収容され1793年10月16日処刑されました。

中には入らなかったのですが
マリー・アントワネットの牢獄が再現され、牢獄の中でも身分の差があったということです。

コンシェルジュリーに収容され刑を受けた人の名前が列挙されている部屋があります。
マリー・アントワネットの名前も、そこには書かれているんですね。



さらに下流に向かって歩いてみたいと思います。





下流から上流、ノートルダム橋を振り返った景色です。(この右奥にノートルダム大聖堂があるのですが・・・・見えませんね・・・)


                          つづく・・・・





パリをあるく。NO.7(マレ地区)

2008-02-12 | パリ
橋を渡った所も、こんな素敵な町です。












日本でも買えそうなものばかりですよね・・・・

しかも、高い・・・・






こんな所に無印がありました。ワンちゃんも一緒にショッピングです。



このお店で遅い昼食をとることにしました。



フランス語で書かれたメニューから、なんとか、これを選びました。^^







パリを歩く。NO,6(ノートルダム大聖堂)

2008-02-10 | パリ




ノートルダム大聖堂の裏に回ってみます。








ノートルダム大聖堂の裏側です。
表と裏では、表情がこんなにちがいますね。





ノートルダム大聖堂のあるシテ島から、サン・ルイ橋を渡りサン・ルイ島に出ました。(シテ島とサン・ルイ島は距離にすると100mほどです)

この橋は、ルイ・フィリップ橋です。・・・・・
この、サン・ルイ島は、女優の岸恵子さんも住んでいたというパリッ子の憧れ、パリ一番の高級住宅地。
これから、雑貨を見に、マレ地区に行きたいと思います。


向こうに見えるにはアルコル橋です




パリを歩く。NO,5(ノートルダム大聖堂)

2008-02-09 | パリ
シテ島の地下鉄駅を出ると直ぐそこに、ノートルダム大聖堂が見えます。




途中にこの様な自転車置き場がありますが、これは、パリ市内にこの様な自転車置き場が何箇所かり、この自転車を使用できるカードを購入した人が、自由に使えるそうです。



ノートルダム大聖堂はセーヌ川の中にある、シテ島にあります。




ノートルダム大聖堂正面です。







ノートルダムは、この、バラ窓でも有名です。
これは、赤く染まる南のバラ窓です。(北のバラ窓も撮ったのですが、ピンボケで・・・娘も撮っていたので、また、載せますね・・・・)









荘厳な聖堂の中(モンマルトルのサクレクール大聖堂の中も、素晴らしかったのですが撮影禁止でした)




半日ほど、静かに、ここで座っていたい・・・・
そんな場所でした。



                               つづく・・・

パリを歩く。NO.4(サクレ・クール聖堂)

2008-02-09 | パリ

   

なんて、きれいなんでしょう・・・・・

 青空の下、真っ白な教会が、いっそう美しく,そびえて見えます。

 

 

テアトル広場にと,下りていきます。

 

 

夏の喧騒は嘘のように、静かなテアトル広場でした。

 夏のシャンソンが聞こえてくるようなテアトル広場を、もう一度期待していた私は、すごく残念でした。

 

 夏の賑やかなテアトル広場は、こちらへ・・・

 

 飼い主の画家の横でワンちゃんも、暇そうに、くつろいでいます。

 

坂を下って、次はノートルダム寺院へ向かいます。

 


パリを歩く。NO.3(モンマルトルへ)

2008-02-09 | パリ
 さぁ、次は、昨夏の、テルトル広場のざわめきが、とても、心地好かったので、主人と息子が、まだ、行ったことのないモンマルトルを是非、二人に見せてあげたく、行こうと思います。



元、来た道を、地下鉄駅にと向かいます。



乗り込みま~す。



着きました・・・・

以前の経験をいかし、このあと、エスカレーターで、地上へと出ました。




さぁ、モンマルトルの丘に向かって歩きます。



ここを、左に曲がります。



長い上り坂です。
遠くに見える階段を上ります。








真冬の青空の下、サクレ・クール聖堂が、見えてきました。



階段を登りきりました・・・・・



                                つづく・・






パリを歩く NO.2(オペラ通り)

2008-02-09 | パリ

        

        昨夏、ルーブルを訪れた私と娘は、オペラ通りを、散歩することにしました。

 

 昨夏のルーブル美術館はこちらへ・・・・・・

 

 おまけ・・・オランジェリー美術館、モネの睡蓮はこちらへ・・・・・

 

 

朝、10時前のオペラ通り

 

オペラ通り、わき道にある、多分、学校でしょう・・・・多くの生徒が、門の前で待っていました。(昨夜のガイドさんの説明で、昨日で冬休みが終わったと言っていました)

 

遠くに見えるオペラガルニエ   (望遠で・・)

 オペラガルニエはこちらへ・・・・(昨夏の旅行で・・・・)

 

boyfriendに、送る絵葉書を買いに・・・・・^^

 

マドレーヌ寺院

 

アンドレ・マルロー広場近くの噴水のある風景

 

 

   さぁ、待ち合わせの11時半になります。ルーブルのガラスのピラミッドへ戻るとしましょう・・・・

 

何気なく、くぐる、ルーブルの門にも、こんな、細かい彫刻が施されています。   

 

                                           つづく・・


思わず涙が出たこと・・・・

2008-02-07 | Weblog
    今日、あることに必要なため、戸籍謄本を取りに行った。

    車までの距離を、その謄本を、ものめずらしく見てみた・・・・



    私たちが結婚した時に新しくした戸籍・・・


     主人の名前が最初にあって・・・
     私の名前、娘と息子の名前が・・・・

     チラチラ見ていくと・・・

     そうか・・・娘が生まれて10日目に出生届を出したんだ・・・

     届出人・・・父・・・

     パパ、    どんな気持ちで出しに行ったんだろうなぁ~・・・




     私は?・・・・

     昭和×年×月26日届出

     届出人  父・・・・




    それを見た時、思わず涙が溢れてきた・・・・・


    おとうちゃん・・・・・
    頑固で、厳しくて、
    
    おとうちゃん・・・・
    出生届けを出しに行く姿なんて想像できない父だったけど

    おとうちゃん、出しにいったんだね・・・・・



    もう、会えないけど、
    これを見た今の気持ちで、お父ちゃんに会って
    この時、どんな気持ちだった?・・・
    なんて、いろんなこと聞いてみたいなぁ~




    おとうちゃん・・・・・

    あんまり、しゃべらなかったけど・・・・・
    ほんとうは、しゃべりたかったのかなぁ~・・・・・

   

    今なら、もっともっと、話しかけられるのに・・・・




    
  最近、目がゴロゴロするので、目に対してちょっと気にしていたのですが

  テレビで、10秒間瞬き我慢できないなら、ドライアイかも・・・

  と、なっていたので・・・・


   
  試してみたら・・・

  前までは、平気で10秒以上、目を開けていられたのに

  10秒間が、・・・・・痛くて・・・・やっとです。


    今日、目医者さんに行って・・・・


    なんとか、ドライアイになっていなかったけれど、目に、少し傷が付いていました。


   そこで、反省の意味も込め、パソコンの時間を少し、間隔をあけ、減らそうと思いますので、 

   みなさんへの、コメント返し、まとまってできず、時間があくかもしれませんが、よろしくお願い致します。


  いつも、こんなブログに訪ねていただいて、本当に、ありがとうございます。