東アジア歴史文化研究会

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中国はなぜ国民国家になれなかったのか -教科書で教えたい真実の中国近現代史(宮脇淳子氏講演レジュメ)

2016-05-27 | 研究会の案内
宮脇淳子女史の講演は二時間を超え、中国史を縦横無尽に、いかに国民国家なれなかったのか、なれる要素が無かったのか、日本と対比して語っていただいた。これは生で迫力ある息遣いを聞かなければ伝えることは不可能である。二時間があっという間であった。日本人であればすべての方々に聞いていただきたいものである。今年から東京大学教養学部で教鞭をとっておられるが、東大生に目からウロコが落ちるようなインパクトを与えていただきたいものだ。中国人とは一筋縄ではいかない、狡猾な民族である。政治家、官僚、実業家、すべての日本人が中国人に騙されないよう、彼らの習性を知り尽くして付き合いをしてほしいのもである。そのためには宮脇淳子女史の長年の中国研究の成果を知っていただきたい。

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第125回東アジア歴史文化研究会 新宿常円寺 2016年5月26日
東洋史家・東京大学教養学部講師 宮脇淳子

中国はなぜ国民国家になれなかったのか
-教科書で教えたい真実の中国近現代史-


1 日本が明治維新で国民国家化に成功した理由
国民国家(nation state)とは、国境に囲まれた国土の中に住む人々が同じ言葉・同じ歴史・同じ文化を持ち、国民として平等の権利を有するという思想で、18世紀末のアメリカ独立とフランス革命で誕生した。19世紀にその波が東アジアに及んだとき、日本は成功したのに、大陸と半島は成功しなかった。その理由は、1) 日本は7世紀後半に建国した当初から四方を海で限られ、日本国がどこからどこまでかは自明のことだった。2) 建国以来鎖国の方針を堅持し、韓半島の政権とも歴代のシナ王朝とも、正式な外交関係を持たなかった。3) 19世紀の開国当時、海外に居住している日本人はほとんどおらず、国内に居住している外国人もほとんどなかったので、誰が日本人かは自明のことだった。4) 皇室が外国の君主と関係を持たなかったおかげで、日本列島の内部に外国の領土があるということもなかった。というわけで、19世紀に開国したとき、日本はすでに国民国家の条件を完全に備えていた。しかも7世紀に、シナの侵略から自衛するために日本天皇という制度を採用して以来、天皇は日本文明の中心として生き残っていた。そのおかげで、自動的に天皇が新しい日本国民の統合の象徴になれ、国民国家への転換が簡単にできたのである。

2「中国五千年」も「中国人」も、20世紀になって誕生した
「中国」の「国」は、城壁をめぐらした都市のことで、「中国」は古くは首都のことだった。1911年の辛亥革命の翌年、1912年に建国された中華民国が中国という国家の誕生であり、その国民が中国人になったのだから、中国人も19世紀まで存在しなかった。

1949年に中華民国を台湾に追い出して建国された中華人民共和国も、略称は中国だから、われわれ日本人はみんな同じ中国だとつい思うが、中華人民共和国は別の国である。

BC221年に中原を統一した秦(しん)の始(し)皇帝(こうてい)の「秦」が、英語のChinaと「支那(しな)」の語源である。

そのあと後漢(ごかん)で仏典が漢訳されたとき、「チーナ」が「支那」、「チーナスターナ(秦の土地)」が「震(しん)旦(たん)」と音訳された。江戸時代、新井(あらい)白石(はくせき)は、イタリアの宣教師シドッティが語った内容にもとづき、それまで使われていた「漢土(かんど)」「唐土(とうど)」の代わりに、漢訳『大蔵経』にあった「支那」を採用したのである。1894~95年の日清戦争に敗れた清は、1896年から留学生を続々と日本に派遣した。清国留学生も初めは自分たちの国土を支那と呼んだ。ところが「支」も「那」もよい意味ではないので、「中国」と言い換えるようになり、辛亥革命のとき、革命派が「黄帝(こうてい)即位紀元4609年」としたのが「中国五千年」の出所である。これは「神武天皇即位以来の神国日本」の倍は古いという主張で、「黄帝の子孫の中華民族」は、「天照大神の子孫の大和民族」に対抗して創った概念である。

3 中国が国民国家になれなかった理由1

:清朝は五大種族の同君連合帝国だったから
清帝国は、もともと満洲人の皇帝が、満洲人、モンゴル人、漢人、チベット人、イスラム教徒の五つの種族と、それぞれ別々に関係を保ち、それらの種族の利害がたがいに衝突しないように注意して、秩序を保っていた帝国だった。ところが、日清戦争で日本に敗れた衝撃により、清国は「満漢一家」と言い出し、日本をまねた国民国家化をはかることを決意する。つまり、上に天皇を戴いて、その下で国民が一致団結し、みんな同じ日本語を話し、全員がわれわれは大和民族だ、天照大神の子孫だと感じている、というものである。

モンゴルも、チベットも、東トルキスタンも、満洲人の清帝国の「領土」ではなく、清朝皇帝の同盟種族の住地だったに過ぎない。ところが現代中国は、日本型の国民国家を目標としているから、国境の内側の住民は全員、中国人(漢人)であるべき、全員が同じ中国語(漢語)を話すべき、全員が黄帝の子孫の「中華民族」(漢族)だという意識を持つべきだ、ということになる。中華人民共和国の、内モンゴルやチベットやウイグルへの人権侵害問題の本当の原因は、20世紀に誕生した中国人と中国共産党が、日本型の国民国家化を実現しようとして、少数民族を絶滅させようとしていることにある。

4 1840年のアヘン戦争で近代が始まるというのは、毛沢東が創った偽の歴史
1840年のアヘン戦争でイギリスに負けて、中国の半植民地化と屈辱の近代が始まる、というのは、1937年の支那事変のあと、中国共産党の正統性を証明するために毛沢東が創り出した偽史である(現代中国は、アヘン戦争以前は、秦・漢帝国以来、封建社会の古代だったと時代区分する)。日清戦争の敗戦によって本格的な近代化が始まったと正直に言うと、日本の存在を認めることになるからである。実際には、清朝はアヘン戦争のあとも英国を「英(えい)夷(い)」と呼び、イギリスやフランスに関する業務を担当したのは、モンゴルやチベットや回部など、藩部(はんぶ)と呼ばれた属領を担当する役所の理藩院(りはんいん)だった。まだ外務省はなく外務大臣もおらず、南方の交渉相手は広東の両広(りようこう)総督だった。アヘン戦争の衝撃を強く受けたのは幕末の日本で、幕府は1825年に出した「異国船(無(む)二(に)念(ねん))打払令」を、南京条約調印の前日1842年8月28日に「薪(しん)水(すい)給(きゆう)与(よ)令(れい)」に代えた。また林則徐(りんそくじよ)が集めた資料を使って友人の魏源(ぎげん)が編纂した世界地誌『海国図(かいこくず)志(し)』が日本に輸入され、多くの日本人に読まれた。

5 中国が国民国家になれなかった理由2:「中体西用」と「和魂洋才」の違い
1856~60年の第二次アヘン戦争(アロー戦争)に敗れた結果、北京条約で、清朝は「夷(い)」を使うことをやめさせられた。それまで対外関係に用いていた「夷務(いむ)」が「洋務(ようむ)」になる。洋務運動の担い手は、曾国藩(そうこくはん)、李鴻章(りこうしよう)、左宗棠(さそうとう)ら、太平天国の乱を鎮圧した清の将軍たちで、武器、弾薬、船舶などの西洋近代文明の威力を知り、兵工廠や造船所などを設立する。軍事工業から始まった洋務運動は、運輸業や紡績業、鉱山開発や電信設備の導入などに広がるが、すべて強兵のため、しかも国家に所属する軍隊ではなく各将軍の私兵を強くするためだった。

1860年に始まった近代海軍には、渤海・黄海の北洋海軍、上海周辺の南洋海軍、福建・広東の海軍の三つがあったが、主力は北洋海軍で、財源は釐金(りきん)(通行税)と関税があてられた。「中体西用(ちゆうたいせいよう)」は、精神は中国のままで物質の面だけ西洋を摂取するという意味だが、儒教を学ぶ漢人の読書人にとって、科学技術の習得は「末」と位置づけられた。手足は頭の命令で動くものだから、汗を流して労働をするのは偉い人に使われる下層階級なのである。

1865年、新たに生まれた外務省にあたる総理衙門(そうりがもん)が国際法の漢訳『万国公法』を刊行する。しかし、総理衙門自身が「わが邦の制度と比べてみると、すべて合致するというわけではないが、なかには取るべきところもある」と述べ、自分たちは万国公法に拘束されるとは考えていない。たとえ不平等条約でも国際規範を受け入れ、国際社会の突きつけた条件をすべて満たして、五十年以上かかって不平等条約を解消した日本の姿勢とは全く異なる。

6 清はなぜ日清戦争に負けたのか
1884年の清仏戦争の際にフランス艦隊が台湾海峡を封鎖したため、台湾の重大性にようやく気づいた清は、85年10月「化外の地」と見なしていた台湾を省にした。それまでは蛮族の住む台湾が重要であるとは考えていなかったのである。清朝が、狩猟民である満洲人が遊牧民であるモンゴル人と同盟をして建てた大陸国家であったことが、海の防衛に弱かった理由である。国軍である八旗兵もモンゴル騎兵も、草原の戦争には強かったが、太平天国の乱以後の南方の戦争では、本来の能力を発揮することができなかった。

1881年、李鴻章は朝鮮関連の事務を朝貢担当の役所の礼部から北洋大臣(自分)に移した。1882年、李鴻章は朝鮮と「商民水陸貿易章程」を結び、袁世凱(えんせいがい)を派遣して朝鮮を監督させる。これは清国の商人が朝鮮で自由に商売ができるようにするという条約で、北洋大臣は朝鮮国王と同格であると規定されている。袁世凱は植民地総督のようなものである。李鴻章は、朝鮮を清の一部にしようとしたというより、自分の勢力下に入れようとしたわけだ。 

清国最強の北洋軍がどうして日本に簡単に負けてしまったのか、日本軍は自国のために戦う国民軍だったのに対して、北洋軍は李鴻章の私軍のようなものだったからである。

日本の明治維新が成功したのに、清国の変法がなぜ失敗したのかというと、「日本を手本とすれば清朝の変法は自ずと実現する」ときわめて楽観的な康有為(こうゆうい)に賛同したのはほんの一握りのグループで、実力者への根回しもなく、実行力がともなわなかったからである。

日清戦争の敗戦後、1919年の五・四運動で反日になるまでの25年間にやってきた10万人を超える日本留学経験者が持ち帰ったものが、現在の中国文化の基礎をつくったのである。

付録:現代中国語に入った和製漢語の一部 (『歴史通』2012年7月号)
●欧米の語彙をもとに日本でつくられた語
亜鉛 暗示 栄養 遠足 温度 概算 概略 会談 会話 回収 改訂 拡散 活躍 関係 観点 間接・直接 寒帯 基準 義務 協会 共鳴 強制 金婚式・銀婚式 緊張 空間 契機 経験 系統 化粧品 原則 現役 現実 現代 効果 高潮 肯定 国教 固定 採光 雑誌 作用 時間 刺激 指導 実感 失恋 資料 宗教 集団 出版 常識 承認 進度 新聞記者 制限 清算 性能 石油 積極 絶対 接吻 宣伝 総合 促進 体育 体操 代表 対象 単位 探検 単行本 電池 伝統 農作業 背景 否定 否認 必要 批評 評価 標語 不動産 方式 本質 蜜月 目的 目標 理想 理念 了解 類型 運動 改革 階級 解放 幹部 議員 議院 議会 企業 協定 共産主義・社会主義 業務 共和国 金融 銀行 組合 警察 景気 経済恐慌 軽工業 決算 権威 現金 公民 広告 工業 下水道・上水道 高利貸 国税 債権 施行 思想 市長 自治領 指数 事務員 実業 資本家 社会 重工業 消費 商業 証券 情報 所得税 人権 信託 進歩 人民 政策 生産手段 政党 選挙 総理 代議士 闘争 同志 法人 無産階級 輸出 立憲 労働組合 労働者 基地 軍国主義 国際 将軍 退役 領海 領土 冷戦 幹線 航空 終点 出発点 乗客 速度 鉄道 電車 電報 道路 飛行機 医学 遺伝 意訳 概念 科学 化学 学校 学生 仮定 擬人法 客観 教育学 教科書 教養 経済学 形而上学 原子 原理 元素 建築 講演 講座 講師 光線 酵素 固体 質量 社会科学 主観 進化 進化論 心理学 水素 成分 退化 単元 蛋白質 窒素 抽象 直径 定義 哲学 電子 電波 電流 図書館 物質 物理学 平面 方程式 放射 母校 密度 唯物論 要素 理論 倫理学 論壇 論文 論理学 黄熱病 化膿 看護婦 神経衰弱 伝染病 百日咳 病院 保健 演出 歌劇 喜劇 銀幕 芸術 劇場 図案 展覧会 美術 舞台 漫画

●日本語をそのまま採用した語
入口・出口 市場 大型・小型 奥巴桑(おばさん)海抜 簡単 巨星 金額 権限 公認 公立・私立 克服 故障 参観 支配 支部 実験 実績 失効 重点 就任 成員 組成 大局 但書 榻榻米(たたみ) 立場 単純 手続 取消 内服 日程 場合 場所 備品 広場 服務 方針 見習 明確 流感 財閥 不景気 学会 記号 原作 作者 茶道

●古代漢語からとった和製語
意義 経費 印象 鉛筆 交際 環境 機関 記録 抗議 節約 分配 気質 気分 規則 規範 偶然 計画 現象 交換 主食 消極 条件 信用 世紀 精神 想像 相対 組織 素質 知識 道具 同情 能力 発明 反対 美化 悲観 標本 服用 保障 身分 理事 文化 文明 予算 階級 綱領 労働 専売 右翼・左翼 共和 主義 生産 輸入 投機 演説 会計 自由 憲法 時事 資本 社会 登記 封建 法律 保険 民主 民法 演習 革命 侵略 事変 信号 交通 医学 意識 遺伝 教授 博士 具体 科目 経済 学士 学府 課程 思想 神経 分析 理性 物理 文学 分子 法則 理論 胃潰瘍 衛生

参考資料





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