東アジア歴史文化研究会

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日本史最大のクーデター「本能寺の変」真実求め50年、定説への挑戦(明智憲三郎)

2017-08-10 | 日本の歴史

時をさかのぼること天正10(1582)年、智将・明智光秀は謀反を起こし織田信長を自害に追い込む。日本史最大のクーデター、本能寺の変だ。その光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血を引くという。

「曾祖父が明治14(1881)年、内務省に系図や短冊、笛などの伝承品を提出して名字を明田(あけた)から明智姓に復姓しました。『将来、子孫が明田を本姓と誤ることがあれば先祖の霊に相済まない』と考えたからだそうです」

明智一族と伝承された家系の中で、明智姓を名乗る家系は他にないとされ、どの家も隠れ忍んできたことがうかがえる。

「光秀の研究を始めたのは20歳ごろで、1冊の歴史書がきっかけでした。物心ついてからずっと、『上司(織田信長)にいじめられたから殺すなんて、ずいぶん浅はかな先祖だ』と信じ込んでいましたが、そこには『(怨恨説は)後世の軍記物による作り話だ』と書かれていて、大変な衝撃を受けました。同時に『それなら何が動機なのか、どうしても知りたい』という思いが募り、本能寺の変の本を読みあさったんです」

今の歴史学界では怨恨説と野望説の両立によって、すでに動機論は決着したとされている。

だが、「もとは『惟任(これとう)退治記』(惟任は光秀がたまわった名字)です。これは羽柴秀吉が本能寺の変から4カ月後に家臣に書かせた(本能寺の変の)顛末書と言えるもので、秀吉が政権簒奪(さんだつ)のために都合よく書かせたものです」と、穏やかに話す。

大学院を修了後、大手電機メーカーでエンジニアとして働きながら、歴史学者とは違う方法論でアプローチしてきた。

犯罪捜査のように、さまざまな証拠から蓋然性の高い真実を復元。史料に書かれた記事ごとの信憑性を問い、徹底的に証拠を集め直した。

その過程で、信長が徳川家康を本能寺に呼び寄せ、光秀に討たせる企てを立てていたことを見いだす。

「あの時点で信長が家康を討つわけがない」と歴史学者は否定するが、「例えば、同盟前の両家は敵対関係で、家康の祖父も父も暗殺されています。武田信玄の重臣は、信玄が死ねば信長は家康を殺すと予測していたし、本能寺へ討ち入った光秀の兵の証言からも『家康討ち』は当時の常識でした」と力説する。

光秀の動機については、「主因は信長の『唐入り』(=中国侵攻)だと思います。自分の死後に一族が中国大陸に派遣されて一族が滅亡する危機認識があったのです。家康の暗殺指令を受けた光秀は、家康を味方につけ織田家打倒を決意。信長の企てを逆手にとって決起した」と推測するのだ。

本能寺の変をめぐっては、いまだに諸説ある。黒幕説では足利義昭やイエズス会宣教師の名前が挙がる。2014年のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」では、光秀が朝廷のために立ち上がるというシナリオだった。

「証拠不十分でしたね。ただ、黒田官兵衛親子が『黒田家存続のため』と語るセリフは新鮮でした。今でも黒田家のご子孫はこの家訓を大事にしてます。私はこの武将の論理を『生存合理性』と言い続けてきた。光秀も同じで、常に一族安泰、子孫繁栄を願っていた。現代人には理解しにくいようですが…」

末裔(まつえい)による渾身の歴史捜査をまとめた著書『本能寺の変 431年目の真実』(13年、文芸社文庫)は、歴史書としては異例の40万部を超えた。

だが、世の中の定説の壁は厚い。

「そこで、これから歴史を学ぼうという若い世代に真実の究明を引き継ぐことにして、昨年、『本能寺の変は変だ!』を書きました。第1話を『ハゲだから謀反って変だ!』にしたのも、興味を持ってもらえたらという思いからです」。浅はかな逆臣と呼ばれる一方、智将として名を残す光秀。厳しい明智残党狩りを生き延び、つながった命は今も脈々と伝わる。


以下、8月23日明智憲三郎氏に日本史最大のクーデター「本能寺の変」の真相を語っていただきます。どなたでも参加できます。奮ってご参加ください。
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第138回東アジア歴史文化研究会のご案内

日 時 2017年8月23日(水)午後6時30分~8時45分
場 所 常円寺・祖師堂地下ホール
新宿区西新宿7-12-5 電話03-3371-1797
テーマ 「本能寺の変 435年目の真実」
講 師 明智憲三郎氏(作家・歴史研究家)
参加費 2,000円
連 絡 東アジア歴史文化研究会(事務局:花田 成一)
TEL:080-7012-1782
Eメール:e-asia@topaz.ocn.ne.jp
※どなたでも自由に参加できます。当日直接お越しいただければ幸いです。

明智憲三郎氏プロフィール
1947年生まれ。明智残党刈りの手を逃れた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の子孫。明治まで一族は明田(あけた)の姓を名乗っていたが、曾祖父が伝承品を添えて政府に明智姓への復姓を願い出て改名。1972年、慶應義塾大学大学院工学研究科計測工学専攻修修士課程修了。同年、三菱電機株式会社入社。一貫して情報システム分野で活躍する。長年の情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を展開し、精力的に執筆、講演活動を行っている。明智一族伝承の会会員、土岐会会員、社団法人織田木瓜紋会会員。2009年、会社勤めのかたわら『本能寺の変 四二七年目の真実』を出版。BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史捜査」の初回(本能寺の変)、TBS「世界ふしぎ発見」などに出演。
著書に『本能寺の変 四二七年目の真実』(プレジデント社)、『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社)、『織田信長四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』(幻冬舎)、『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』(文芸社)などがある。
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