東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』 加藤康男著(飛鳥新社)

2016-10-13 | 歴史の真実
ついに出た「通州事件」調査・研究の決定版
事件から80年余、凶悪残虐な日本人虐殺事件の全貌が明らかに

****************************************************************************

中国兵に惨殺された邦人は257名(前後)。その通州事件で犠牲となった多くの日本人たちの非命を辿ったノンフィクション、血涙の作品が出た。

かの「南京大虐殺」とかいう事件は、中国がでっちあげたフィクション、嘘放送の類いだったことはすでに120%証明された。にもかかわらずユネスコは、これを世界記憶遺産としての申請を認めてしまった。ブルガリア共産党出身のボゴバが主導した。日本が貶められているのに、政府も外務省も何もしない。

他方、現実に起きた日本人虐殺の「通州事件」は、ようやくにして「アーカイブ」が民間人の手で設立され、歴史教科書にも一部だけだが掲載され、各地で研究と講演会が連続開催され、国連ユネスコの「世界記憶遺産」への登録申請が行われる。

しかし事件から長い歳月が流れ、いったいどれほどの日本人が、この事件の真相を知っているのだろうか。まして日本政府は、この事件を忘却の彼方へと自虐的に追いやり、戦後一度も取り上げて中国に抗議し、賠償を請求することもなかった。

このたび、加藤氏の雄渾な筆によって、総合的見地からの歴史通観、そして実地踏査に加えて、過去の重要な資料のダイジャストを行う一方で、新しい資料、証言を多数あつめた。現場ばかりか、足を棒にして各地を歩かれ、その血涙の労作が完成した。

複眼で通州事件をみると、これが廬講橋事件直後におきている時系列的なポイントが重要になる。なぜ、北京郊外に日本兵がいたかは説明するまでもない。居留外国人の安全を護るため、今日で言うPKOであり、断じて「侵略」ではなかった。

あと二つ、議論を始める前に、前提として知っておくことがある。

第一は、通州事件により、日本は朝野をあげて中国を討てという合唱になって国論がまとまって、結果的に泥沼の戦争に巻き込まれてしまったこと。加藤氏が結論的にいうように通州の虐殺は「キ東保安部隊」と国民党との密約が存在していた。かれらはもっと大規模な同時多発テロを準備していたことである。

第二は中国の「兵」の定義である。加藤氏は言う。「中国では『兵』と『匪賊』の差がほとんどないのが実情だった。満州まで含めれば『匪賊』に『緑林』(盗賊、馬賊)が加わる。兵が脱走して匪賊、馬賊となり、匪賊、馬賊が帰順して兵となるのが日常化していると考えればよい」

こういう治安状況、そして重税が課せられた北シナでは、自治政府が結成され、河北省のそれが段汝耕だった。ほかにも宋哲元らがいた。かれらは「親日派」とされ、うっかり日本軍は段汝耕らを信じたが、地下で蒋介石と繋がっていたのだ。

そして実際の虐殺では、シナの正規軍は日本の保安部隊と自治政府の保安部隊を襲い、数時間の戦闘となるのだが、そのあとで起きた民間人の虐殺は、匪賊系、つまり蒋介石の別働隊である「藍衣社」系列の殺人部隊が行ったのである。

殺戮の舞台となった通州は歴史的に由緒がある。安録山の乱は、この地から発祥した。

明治四年、台湾で日本人虐殺がおきたとき、北京へ談判にでかけた大久保利通は「台湾は化外の地」と清朝から言質を得た。その帰路、大久保は、この通州に滞在した。「明代以降、通洲は北京に次いで繁栄した大都市だった。運河による交易で行きかう人と銀が、通洲城内を活気づかせた」。

大久保は通洲で一詩を詠む。
「和なり忽ち下る通州の水 閑に蓬窓(よしずの下がった窓)に臥して 夢自ら平かなり」

さて事件のあらまし、その凄惨を極めた現場の再現は他の諸作に譲るとして、本書では新発見のデータが頻出する。本書の特色である。奇跡的に助かった妊婦ふたりの証言や生き残った新聞記者の実録は当時から新聞にも報道された。

これまでの通州事件の証言、資料にはなった新しい資料が近年になってでてきた。北京への留学生だった河野通弘は目撃者から貴重な談話を集めて記録を作り、平成七年になって手記を残した。当日、かれは北京にいて、通州方面に爆撃によるのか、黒煙のあがるのを見て、飛びあがった。

「拓殖大学の先輩にあたる中山正敏を訪ねて東京からやってきたばかりの亀井実の安否だった」。彼は「大使館の要請で通州へ救援と通訳に駆り出される」ことになった。 通州で見た残虐な地獄。河野通弘は克明にメモをとった。同級生だった亀井は非命に斃れていた。

ちょっと脱線だが、ここにでてくる中山正敏氏。はて、評者(宮崎)は、思い当たった。以前に何度もお目にかかっている。たしか日本空手協会の首席師範の中山氏のことではないか。慌ててページを捲ると、やっぱりそうだった。中山氏は、三島由紀夫の空手の師匠でもあり、何回か憂国忌で奉納演武を実演していただいたことを思い出した。

閑話休題。憲兵隊の荒牧中尉も記録を残していた。「事件当時の通州憲兵隊長は安部起吉憲兵少佐だったが、事件から一年が経過した昭和十三年八月、新たに荒牧純介憲兵中尉が赴任してきた。」

この荒牧が、安部が作成した事件調書を筆写しており、終戦後まで長く保存し、昭和五十六年に私家版の『痛々しい通州虐殺事変』を残していた。憲兵隊の原本が存在しないため、この荒巻私家版が真実を物語ることになる。

また加藤氏は、この事件を外国人特派員はいかに報じていたかを探し当て、フレデリック・ウィリアムズが『中国の戦争宣伝の内幕』を書いていた。これは近年、田中秀雄氏が翻訳した。 
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%AE%A3%E4%BC%9D%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95%E2%80%95%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BA/dp/4829504676

ウィリアムズは「古代から近代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう」。「最も暗黒なる町の名として(通洲は)何世紀のあとも記されることだろう」と書き残した。

そして直近になって復刻されたのが実際の目撃者、佐々木テンの独白録である。これは自由社からブックレットとなった
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E7%9B%AE%E6%92%83%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80-%E8%87%AA%E7%94%B1%E7%A4%BE%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%885-%E8%97%A4%E5%B2%A1-%E4%BF%A1%E5%8B%9D/dp/4915237931

佐々木テンは、中国人と結婚していたので「目撃」する側にいた。彼女は目の前で陵辱され虐殺されてゆく邦人女性たちの業、その非命をまぶたに焼き付けていた。その手記が、近年発見されたのである。

かくして日本を震撼させた極悪非道、残酷無比な通洲事件の全貌が明らかとなった。これは国民必読の書である。

読み終えて一言。加藤さんには次に、日本人三千人が殺され、町が血の海と化けた「通化事件」の全貌を是非書いて貰いたい。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« トランプの「外国排斥主義」... | トップ | ユネスコの現実、慰安婦登録... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む